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第3話

 この別荘は、元々先の国王陛下・顧允紹(こ・いんしょう)さまの、父上の弟君のご子息…要するにお従弟(いとこ)顧参緯(こ・さんい)さまの持ち物でございました。  参緯さまは、爵位こそ、それほどとは申せませんでしたが、今の梁寧侯爵のように裕福な大貴族であられたので、これほど広大な別荘をお持ちだったのです。  もちろん安瑶にも、お父上の戴王(たい・おう)殿下から譲られたご立派な屋敷をお持ちでしたが、こちらは、安瑶の王府には置いておけないような身分の低い夫人を、お住ませになっておられたのです。  実は夫人は、元は、遠く華陽(かよう)平原から買われた妓女でしたので、本宅ではご正室さまやご側室との折り合いが悪く、ご心配された参緯さまがこちらの別荘をご用意されたのです。  初めは、息の詰まるような本宅から逃れ、参緯さまも、夫人も楽しく暮らしておいでのようでしたが、そのうちに、参緯さまも長く本宅を空けているわけにもゆかず、次第に若く美しい異国から来た夫人が一人、ここに取り残されるようになったのでございます。  ああ、羽家の公子はお優しいのですね。夫人をお可哀想だと申されますか。  そうですね。この別荘は、参緯どのがお好きだった、乗馬や馬球を楽しむには最適の場所ですが、華陽では女性は馬に乗らぬそうですから、若い女性が一人で暮らすには、さぞ退屈で気が塞ぐ場所であったことでしょう。  この先は…、お若い公子がたに詳しくはお話しにくいのですが…。  一人きりになった夫人は、偶然にも、この別荘の北西にある軍用馬の放牧場に来ていた兵士と知り合いになったそうです。  寂しい毎日を送る、若く美しい女性と、若く雄々しく、生真面目な兵士は一目で恋に落ちたと言います。  おや、唐家の侯弟は、随分と「ねんね」でございますな。「恋」などという言葉が出た途端に頬を赤らめて…。  いやいや、「ねんね」は申家の公子のほうでございますか。「恋」の意味が分からずにおられるがゆえに、平然となさっている。  いや、このように公子がたをからかっては、廷振王子にお叱りをうけますな。  さて、話を戻すと、お二人は家人に隠れるようにして、あの西の庭園の奥にある離れ「竹蘭亭」にて密会を重ねられたのです。  公子がたが驚かれる中、さすがに神童の誉れ高い包家の公子は落ち着いておられますな。聡明な方は、心も早く大人になられるものですよ。  ですが、悪い事は出来ぬものです。  所詮は高い銀貨を積んで買われた妓女、参緯さまの持ち物の1つに過ぎません。そのような者が、参緯さまを裏切って、他の男を連れ込むなどと…。  それを知った参緯さまは激怒されましたが、夫人への愛着も捨てがたく、結局、その兵士の上官に命じて、若い兵士を戦の最前線に送ってしまい、戦死させるように(はか)られたのです。  けれど、そのことを夫人には知らされませんでした。  夫人は若い兵士が自分に飽きて、もう会いに来ないのだと思われたのです。  とは言え二人の仲は秘密の関係。誰にも相談することが出来ず、一人で思い悩まれ、夫人はとうとう心の病気になってしまわれたのです。  おやおや、公子がたにおかれては、そんな風に目に涙を一杯溜められて…。  皆さまお優しい、いい子でございますね。  ですが、不憫なのはこれからでございます。  夫人は、参緯さまがこちらの別荘に来られても、もはや笑いもせず、言葉も交わさず、魂が抜けたようになられて…。そうなると参緯さまが愛された美貌も、歌舞音曲の才も、何もかもが無意味に思われたのでしょう、  ますます参緯さまの足が、この別荘から遠のきました。  本当に独りぼっちになられた夫人は、毎日毎日あの「竹蘭亭(ちくらんてい)」で、兵士が戻るのを泣きながら待ち続けたそうです。  そんなある日、竹蘭亭からの泣き声がピタリと止んでいるのに家人が気付きましてな。おそるおそる見に行くと…。  なんと、夫人はいつの間にか母屋に飾ってあった太刀を持ち出していて…。  こう、喉を真横にザックリと切りつけて…。  そりゃあもう、酷い様子だったと聞きますね。夫人はもちろん、部屋一面に鮮血が飛び散り…。  いっそあの建物を壊してしまおうという話もあったのですが、なぜか参緯さまはお残しになられて…。ただ、「竹蘭亭」という名を、「紅蘭亭(こうらんてい)」に変えられたのは、どういうお気持ちだったのでしょうねえ。  それに、夫人に対するお怒りもあったのでしょう。家譜からも除名され、一族の墓にも入れず、夫人のご遺体は紅蘭亭の傍に埋められたそうでございますよ。  そうして参緯さまも亡くなられ、後継ぎもおられず、家系は途絶えてしまったのです。  その後この別荘は、当時王太子だった今の国王陛下に下賜されましたが、その後すぐにご即位なさったので、このように辺鄙な場所に来られることも無く、数年前に廷振王子にお与えになったのです。  国王陛下の所有であった頃は、ろくに使用人もおらず、まるで廃墟のようだったと言いますが、廷振王子がこのように手を加えられ、快適な別荘にされ、常駐の使用人も置くようになったのですが…。  そのせいでしょうか、誰かが気付いてしまったのですよ。  夜な夜な、あの「紅蘭亭」から女の泣き声がすると…。  おそらくは、夫人は今でも泣くほどに兵士を慕い、待っておられるのでしょうね。  ただ、兵士以外の者は(かたき)のように思われているようで、泣き声に引かれて「紅蘭亭」に行った者は、どこへ行ったのか、誰一人帰ってこないのでございますよ。  おや、公子がたは随分と大人しくなってしまわれて…。  ご心配には及びませんよ、暗くなってから西の庭園へ、「紅蘭亭」へ近づかねばよろしいのですからね。  さあ、お屋敷に着きましたね。  皆さま手足を洗って、お食事にいたしましょう。

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