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第13話

「李豊さん」  心を決めた文維は、朝食を終えた少年たちの様子を見に来た李豊に声を掛けた。 「何でございましょうか、包家の公子?」 「出来れば、昨夜のことを廷振王子にご報告するのは、私一人で参りたいのですが」 「え?」  文維の申し出に驚いたのは、李豊だけでは無かった。羽小敏も、申玄紀も、唐煜瑾も不思議そうに顔を上げる。 「私たちはほとんど一緒におりましたし、見聞きしたものも同じです。何があったか、何を見たかについては、私一人で説明がつくかと存じます。羽小敏は怪我をしておりますし、お二人の公子もお疲れのご様子。ここは私だけで済むことではないかと…」  確かに、最後の最後ではぐれてしまったものの、あの「紅蘭亭」で何を見たかについては、怯えた年下の公子たちよりも、文維一人のほうが無駄に騒ぎ立てせずに、要領よく話せるだろうと李豊は思った。 「文維公子…」「文維…」  玄紀と煜瑾は不安そうな、それでもどこかホッとしたような顔をして文維を見詰めている。 「心配はいりませんよ。昨夜のことを思い出すのも、お二人には楽しい事では無いでしょうから、もう忘れておしまいなさい」  そう言って文維はニッコリとして、年下の二人を安心させた。 「李豊さん、廷振王子にお伝え願います」  包文維に頭まで下げられ、李豊も断れない。 「さようでございますね。ではそのように、廷振王子にお伝えして参ります」  そう言って李豊は退室した。  それを見送って、心配そうな目をして煜瑾が口を開いた。 「…ありがとう、文維」  昨夜の恐ろしい出来事を思い出し、廷振王子の前でそれを繰り返すことは、繊細な貴公子である唐煜瑾には、胸の痛いことだった。それを見越して肩代わりしてくれという文維に、煜瑾は感謝したのだ。 「いいえ。お礼には及びませんよ。それより、私が廷振王子に説明をしている間、ちゃんと蘇三涛老師の課題を進めて下さいね」 「はい」「…は~い」「……うん…」  素直に返事をしたのは煜瑾だけで、後の2人はちょっと苦笑いを浮かべていた。  言葉を続けようとした文維だったが、廊下から李豊が声を掛けた。 「包家の公子、廷振王子がお待ちでございます」 「あ…はい」  小敏と玄紀のことが気がかりではありながら、文維は年下の公子たちがいない所で廷振王子と話さなければならないことがあり、仕方なく立ち上がった。 「今、参ります」 ***  文維は母屋にある、廷振王子の居室へ迎えられた。 「やあ、おはよう、包文維」  明らかに寝不足気味の様子で、廷振王子は文維を迎えた。その理由が、自分たちの騒動だけでは無いと、文維は確信していた。 「そこに掛けなさい、文維」 「ありがとうございます」  文維は大人しく示された椅子に座った。 「で、文維。お前ほどの秀才が、どうして子供たちを引き連れて西の森へなど行ったのだ?」  困った様子で廷振王子は質問し、おそらく寝不足からの頭痛を和らげるための薬湯をゆっくりと啜った。 「昨夜は、梁寧侯弟の部屋にて4人で休みました。真夜中に偶然目を覚ました羽小敏が、馬場を駆けて西の庭園に向かう『白い影』を見ました」  薬湯を口に運ぶ廷振王子の手が止まった。 「白い影?」 「はい。それは真っ直ぐに西の庭園に向かい、おそらくは『紅蘭亭』に行ったと思われます」  文維は微塵も臆することなく、ジッと廷振王子を見詰めて、まるで科挙に合格した官吏のように冷静に昨夜の報告を続けた。 「そしてそれは、あなたですね、廷振王子」 「……」  廷振王子は聞こえなかったかのように、再び薬湯を啜り始める。 「『紅蘭亭』で、あなたが何をされていたのかも、おそらく想像はついています」 「ブッ!…げ、ゲホッ、ゲホッ…」  淡々とした文維の発言に、急に廷振王子が薬湯を吹き出し、激しくむせた。 「な、何を言っているんだ、包文維」  不自然に慌て始めた廷振王子にも、文維は冷ややかだ。 「まさか、お相手が男の方だとは思いませんでしたが…。こんな近くに子供たちがいるというのに、王子ともあろう方が軽率なことをなさるとは、いかがなものでしょうか」  咳込みながら、廷振王子は恨みがましい目で文維を見た。 「お前は、私を脅そうと言うのか」  廷振王子の慌てた様子に、しばらく黙っていた文維だったが、フッと表情を緩めた。まるで文維の方が大人で、廷振王子の方が悪戯(いたずら)を見つかった子供のようだった。 「私は、あなたを責める立場にございません。ただ、ほんの少し慎重になっていただきたいだけです」 「……」  まるで本当に叱られた幼子のように、廷振王子はキュッと唇を尖らせた。 「私が悪いのではない。向こうが私を追いかけて来たのだ…」  誰への、何のための言い訳か、廷振王子はそんな風に言った。それがちょっと寂しそうで、文維はつい優しい言葉をかけてしまう。 「ここへ、お呼びになればよろしいのに…」  至って真っ当なことを文維は口にする。  そんな正論を言われて、廷振王子はまた唇を尖らせるが、すぐに表情を曇らせ、今度は唇をギュッと噛んだ。 「子供には分からない、大人の事情というものがあるのだ…」  そんな廷振王子の顔つきに、とても踏み込めないものを感じて、文維はそれ以上何も言えなくなった。  それでも言うべきことは言っておこうと、文維は堅苦しい態度で事実だけを伝えた。 「とにかく、他の子たちは幽霊を追いかけて西の庭園に行き、『紅蘭亭』で『女性のすすり泣く声』を聞いたと思っています。そこで白い腕を見て、知らない男性の声で『そこに居るのは誰だ』と驚かされた」  思い当たる節があるのか、廷振王子は極まりが悪そうに眼を伏せた。 「私たちが森で迷ったのは仕方が無いとして、王子におかれては、今後は西の庭園で…その…」  ここで我に返ったかのように、年若い文維は珍しく頬を染めた。 「あ、逢引は、お控えいただきたい…」 「あ…う、うん…。気を付ける」  そのまま二人はお互いに気まずくなり、眼を合わせようとはしなかった。 「あの…、私たちも、もう真夜中に出歩いたりはいたしませんから…」 「う、うん、そうだな。そうしてもらえると助かるな」  廷振王子は何かを誤魔化そうとして、薬湯を飲み干し、大人の振りをして言った。 「今日は、羽小敏の怪我もあるし、馬球の練習は取りやめる。ゆっくりと休んで、明日からまた練習を始める」 「承知いたしました…」  文維は素直に頭を下げた。 「くれぐれも…」  文維が立ち去ろうとすると、廷振王子の心細い声が追いかけた。 「くれぐれも、公子たちに私の…、私たちのことは、言わないで欲しい」 「もちろんです」  誠意を込めて包文維は答え、もう一度頭を下げて、困惑した様子の王子を1人残して退室したのだった。 《おしまい》

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