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第1話 アイスティーの罠1

  スマホのアラームが鳴る。午前七時。俺はアラームを止めて、メニューを表示した置き看板を外に出した。店の前は住宅街から駅へ抜ける道で、この時間から人通りが増えていく。住宅街の方向に向けた片面は、母が手書きした定番メニューにイラストを添えたものをポスターにして貼ってある。反対側は俺が書いたおすすめのメニューだ。きょうは春野菜のスープとスパゲッティのセット、スイーツは近くの商店街のケーキ店から仕入れている桜とクリームチーズのシフォンケーキ。  陽射しは暖かいが、まだすこし冷たい春風は道行く人々のスプリングコートをはためかせている。  駅へ向かう勤め人や制服姿の学生、ウォーキングをする高齢者、飼い主に連れられて楽し気に歩く犬。普段と変わらぬ光景だが、いつも開店時間とほぼ同時に来る常連客、長井さんの姿はまだ見えない。  長井さんはウォーキングの帰りにうちのカフェに寄ってモーニングを食べていくのが日課だ。母とは幼馴染で、親友だった。母が店を始めた当初から通ってくれて、いまもほとんど毎日やってくる。  先月、長井さんは七十五歳になった。母より三歳年下だったが、同い年になったと笑っていた。  どこかでおしゃべりに興じているだけならいいが、体調を悪くしているのではないかと思うと気がかりだ。いつもどおりではない事が起きると、どうしても不安になる。  長井さんは俺の恩人でもある。俺が母の手伝いで店に出るようになった頃から、俺の無駄に威圧感のある顔やぎこちない接客のせいで戸惑う客を母と一緒になってフォローしてくれた。  後でメッセージを送ってみよう。しかし最近はタイミングを読み違えるとスマホを確認できないほど忙しいことがある。いまのうちに連絡しておくか。  すこし離れたところに新しい住宅地が整備され、店の前を行きかう人々が増えるのに合わせてうちの店にも新規客が増えた。最近では昼と夕方のピーク時には俺ひとりでは手が足りないほどだ。  ひとりで働ける気楽さを優先したために避けていたが、サービスの質を保つには一人ではそろそろ限界だ。  幸い、近くに大学がある。働き口を探す若者は多いはずだ。四月半ばのこの時期なら、学生生活に慣れてきた五月頃からバイトを入れようと考える学生もいるだろう。  たしか、商店街の方で月に一度、求人をまとめて学生課に出していると商店街の組合長が言っていた。今年は俺も頼んでみるか。  もう一度、公園の方を眺めた。見慣れた背格好は現れない。 「すみません」  背後からかけられた声にはっとしてふりかえると、 「バイト希望なんですけど、募集してますか?」  爽やかな笑みを浮かべた若い男がいた。  大学生だろうか。雑誌のモデルのように洒落た格好だ。緩くパーマをかけたような髪は肩の少し上まであり、砂糖をたっぷりと入れたカフェオレのような髪色が白い肌によく似合っていた。男らしく整った顔立ちだが澄んだ淡い茶色の瞳が甘く優しい印象を加えている。  目が合った途端、なぜか俺の心臓が跳ねた。返事をしようとしたが、言葉が出なかった。  十年前、母が店を始めた頃に頻発した状態だ。人前に出るだけで鼓動が不穏に乱れ、冷や汗が滲み、頭の中が真っ白になる。  もうすっかり治ったと思ったのに再発したんだろうか。  詰まった喉を押し開くように無理やり唾を飲んだ。言葉を押し出そうと焦りながら無言で立ち尽くす俺に、若い男は満開の桜のように華やかな笑みで言った。 「バイトだめなら俺と付き合ってください。俺、あなたに一目惚れしたんです」

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