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第9話 アイスティーの罠9

 翌日の店休日。  いつもなら掃除や買い出しで過ごすが、昼過ぎに俺は千秋と待ち合わせた駅へ向かった。  午後の講義がないからデートをしようと誘われて了承した。  生まれて初めてのデートだ。  今朝はそわそわして早くに目が覚めてしまい、家の用事も早々に終わってしまった。  家にいても落ち着かず、待ち合わせよりずいぶん早く駅についた。  駅前のベンチに座って時間を潰していると、千秋から駅に着いたとメッセージが届いた。  電話をかけるとワンコールも終わらないうちに千秋が出た。  どこにいるのかを聞こうとしたが、 「あ、土野さん、見っけ!」  スピーカーと同時に千秋の生の声が聞こえた。バスロータリーの方からスマホを片手に千秋が駆けてくる。 「もう来てたんだ、待った?」 「いや、二十分ほど前に来たばかりだ」 「すげえ待ってるじゃん」  千秋が笑い、俺を腕を掴んで立たせる。 「行こ。五分くらい歩くけどいい感じの洋食屋でさ。ミニグラタンっていうのが色んな味あって面白いんだ」  歩きながらその店のメニューから内装まで楽しそうに話し続けた千秋のおかげで、店に入るとイメージ通りのレトロで落ち着いた雰囲気を楽しむことができた。  初めての場所の行くときはいつもひどく緊張して、失敗しないように気を張るから周囲をよく見る余裕もないんだが、今日は千秋が一緒だからかあまり緊張せずに済んだ。  注文は千秋がおすすめだというグランタンセットを頼んだ。十二種類もあるグラタンから三つ選んでパンかライス、サラダとドリンクにデザートまでついてくる。  千秋は大学の友人たちの話や、気に入った音楽や映画、流行の料理やスイーツ、通りすがりに見かけた印象深い出来事など、雑多な話題を面白おかしく話し続けていた。  俺はうなずきながら聞くだけだったが、話の合間に千秋は俺の好みや俺自身のことを聞きたがった。  しかし、今まで俺に興味を持ってくれる相手などほとんどいなかったから話し慣れていない。うまく話せなかったが、それでも千秋は嬉しそうに聞いてくれていた。  くすぐったいような落ち着かなさはあるが、昨日、千秋に抱きしめられた時に感じたふわふわとした心地よさもあった。  悪くない気分だ。誰かとつき合うというのはこういう感じなのか。ずっとこんな気持ちでいられるなら、恋人を欲しがる人々の気持ちがわかる。  店を出て、次は服屋を見に行きたいという千秋の希望で歩き出した時、 「あー! トラくん、すごい偶然!」  甲高い女の声が背後から飛んできた。振り返ると、千秋と同年代の女の子が笑顔で駆け寄って来た。 「げ」  隣で小さく千秋が呻き、苦笑を浮かべた。 「今日、用事あるって言ってたけど、なにしてんのー? あたしはね、前にトラくんが言ってた雑貨屋行ってきたんだぁ。ほんとあたし好みのすっごい可愛いアクセいっぱいだった! 教えてくれてありがとね! そうだ、時間あったらどっかでお茶しない? お礼におごってあげる」  テレビに出てくるアイドルのように可愛らしいメイクと服装の女の子が千秋の横に並び、腕を絡める。  千秋もモデルのようにおしゃれがカッコいいから二人はお似合いに見えた。  さっきまでのふわふわとした心地よさはすっかり消えていた。俺はどうするべきなのか。千秋を見ると、千秋は張りついたような笑顔で俺に言った。 「えっと、この子、大学の知り合い。で、こっちは俺のバイト先の店長」  後半は女の子にそう言って、女の子の手からするりと腕を抜き取り、両腕で俺の右腕にしがみつくようにして女の子に言った。 「悪いけど、今から二人で行くとこあるから、また今度ね」 「えー、なんで? てか、バイトの店長さんとどこ行くの? トラくんバイト喫茶店って言ってたけど、なんで店長さんとどっか行くの?」 「まあ、いろいろあるんで。また今度ねー」  千秋は女の子に笑顔で手を振り、俺の腕を掴んで足早に歩きだす。引っ張られるようについて行くと、女の子の声が追いかけてくる。 「え、待って待って。じゃあさ、用事終わってからでいいから。待ってるし、連絡ちょうだい!」 「ごめーん、きょうは夜までずっと親睦会だから」  振り返りもせずに千秋が言う。女の子は小走りで追ってきて千秋の隣に並んだ。 「遅くなってもいいよ。あたしはずっと空いてるから」 「いやー、今日は店長んちにみんなで泊りでパーティーなんで、いまから買い出しなんだ。急いでるから、またねー」  千秋は足を緩めず、駅の方へ向かう。 「パーティー? いいなー、楽しそう、ね、あたしも参加していいですか? ちょうどバイト探してたし」  女の子はパッと俺たちの前に出て俺を見上げた。ぶつかりそうで足を止めようとしたが、千秋に横へ引っ張られ女の子を回り込みながら車道へ向かう。 「土野さんとこもうバイト募集してないんだ、ごめんね。あ、やべ、時間ないよ、土野さん! タクろう!」  千秋はさっと手を上げてちょうど来たタクシーを止めた。  開いたドアへから車内へ先に押し込まれ後から千秋が乗り込む。 「運転手さん、ちょっと大急ぎなんで、ドア閉めて」  怪訝そうな初老の運転手に千秋が拝むように両手を合わせ、まだ追って来ていた女の子をさりげなく示す。運転手はそれで何かトラブルだと察したらしく、ドアを閉めた。  窓越しに女の子が何か言おうとしていたが、その前にタクシーは走り出した。 「あー、まじしつこい」  千秋がシートに体を沈めて天井を仰ぐ。 「てか、あいつ絶対、この辺で張ってたよ。タイミング良すぎるし」 「どうしたんです、お客さん、ストーカーですか? 警察に行きますか?」  好奇心丸出しの声で運転手がミラー越しに千秋を見る。 「いや、そこまでじゃないんで。えっと、どこ行こう? まさか追ってこないとは思うけど。このまま土野さんのマンションとか行ったらちょっと怖いしなあ」  後ろを気にしながら千秋がぼやく。 「その辺ぐるっと回って様子見しますか?」 「あー、そうですね。それでお願いします」  しばらく街中を走り、つけてくる車はないと見て、俺たちはタクシーを降りた。 「ごめんね、土野さん。せっかくのデートなのにこんなんで」  とぼとぼと歩き出しながら千秋が俺の手を握った。  誰かと手を繋いで歩くなど、物心がついてから初めてのことだ。  またあのふわふわとした心地よさが戻って来た。 「昨日、大学でしつこかったと言っていたのもあの子か?」 「そうそう。なんかずっと一緒にいたいってしつこいんだよね。つきあってとか、はっきり言ってくれれば断りやすいんだけど、こっちから言わせたいんだかわからないけど、周りうろうろして絡んできてさ。取り巻き多いからあんまり冷たくしても面倒くさそうだし」 「取り巻き?」 「ほら、見た目はけっこう可愛かったでしょ? だから男友達とか、似たような女グループでつるんでて、そいつらがけっこううるさいんだよね」  なんでも器用にこなしている印象しかなかったが、大学では人間関係で苦労しているようだ。 「大変なんだな」 「そう、大変なの。土野さんのこと好きになる前ならさ、適当につき合って別れて終わりなんだけどね」  それは、俺がいるからよけい面倒に巻き込まれているということだろうか。千秋が困っているなら、助けてやりたい。 「……だったら、そうしてやったらどうだ?」 「え?」  千秋が足を止めてまじまじと俺を見る。 「その方が面倒が少なくていいんだろう?」  千秋が目を丸くして驚いたような顔をした。 「えっと、……土野さんまじでそれ言ってる?」 「ああ。お前が困ってるなら、俺のことは気にせずに」 「いやいや、ちょっと待って。え、だって昨日、土野さん俺につきあってもいいって言ったよね? 俺たちいまつき合ってるよね?」  そのとおりだが、そのせいで千秋が困るのはかわいそうだ。 「ああ。だが、俺とつき合ってるからあの子とつき合えなくて困るんだろう? だったら」 「違うって、俺が困ってるのはあの子に絡まれてうざいってとこで、つき合いたいわけじゃないんだって!」  しかし、つき合って別れればそれで終わりにできるとも言っていた。  それは俺とつき合ったままではできないとも言った。  世の中には二股をかけて同時につき合う人もいるようだが、千秋はそういうことは嫌なんだろう。 「俺と別れてあの子とつき合えば、さっきみたいにあの子に付きまとわれることはなくなるんだろう?」  千秋の顔がすこし強張ったように見えた。  いい案だと思うのだが、ダメなんだろうか。 「あの子のことが解決すれば面倒がなくなるなら」 「……うん、わかった」  千秋が俺の手を離した。

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