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最終話 そして、その後の彼ら(5)
◇
ベトナムは気候もさることながら、国民の熱量も高く、発展途上国としてのエネルギーを肌で感じた。
犬飼が赴任した先は、首都ハノイからおよそ八百キロほど離れた港町・ホイアンだ。ホイアンでは、街のいたる所にテーラーが軒を連ねており、出向先の事業会社もオーダーメイドで紳士服を取り扱っている。
まだ若い会社ということもあり、マネジメントの改善点は多数あったものの、現地の従業員はみな優秀で、仕事もやりやすかった。
日本人とベトナム人の気質のギャップに戸惑うことも多かったが、彼らの前向きな姿勢に何度も救われたし、徐々に職場にも慣れてきたように思う。
そうして――毎日新しい業務に追われるなか、一年、二年と月日が経っていた。
忙しいことこの上ないが、今までにないやりがいと、日々の充実感があった。
ただ、やはり羽柴のことが気にかかって、ふとした瞬間にどうしようもなく思い出してしまう。
休暇を利用してベトナムまで来てくれたことがあったが、会ったのはその一度だけ。メッセージやビデオ通話のやり取りは頻繁にしていたものの、最近ではそれもめっきり減ってしまった。
心の拠り所としてカラーがあるおかげで、プレイをせずとも何とかやっていけている。
が、寂しいものは寂しいし、羽柴のいない日々は味気なく、まるで心に穴が開いてしまったかのようだ。
そんな折に舞い込んできたのが、また予想だにしなかった話で、犬飼は大いに驚かされることになるのだが――、
◇
「Hi! May I sit here? <やあ! ここ座ってもいいかな?>」
「………………」
日本との直行便があるダナン国際空港。犬飼はホイアンからタクシーで出向き、ある人物を待っていた。
なにも、ナンパしてくるような男を待っていたわけではない。事業拡大に伴った人員補充のため、日本から新たな駐在員がやって来るという連絡があったのだ。
せっかくだから到着ロビーで出迎えようと、ベンチに座っていたわけだが……現状はこのとおり。なおも英語で甘い言葉をかけられ、犬飼は深々とため息をついた。
「いい加減にしろ、羽柴」
そう、相手は遠く思いを馳せていた人物――羽柴だった。
犬飼は呆れ半分に羽柴を睨みつけるが、当の本人は気にした様子もなくニコニコと笑っている。
「蓮也さん、見ないうちに随分と日焼けしましたね。色白なのもよかったけど、こっちも健康的で素敵です」
「おい、まだふざけたことを言うつもりか。俺は怒っているんだぞ」
「ええっ!?」
「君ってやつは……ろくに連絡も寄こさないで」
犬飼は腕を組み、そっぽを向いてみせた。途端に羽柴が慌てだす。
「す、すみませんっ。ここ三日ばかり、駐在の準備であまりに忙しくって……蓮也さん、毎日連絡してほしい派でしたか?」
「っ!」
……図星だった。通知も来ていないのに、ふとアプリを起動してはメッセージが入らないかとソワソワしてしまったし、本当は毎日でも声が聞きたいと思っていたほどだ。
だが、重い男と思われるのも嫌なので、今はそれ以上言わないでおく。犬飼は咳払いを一つしてから、羽柴に向き直った。
「べ、べつに、そんなつもりはないが……でも」
「?」
「……寂しかったのは、確かだ」
と、蚊の鳴くような声で本音をこぼす。
羽柴は面食らったように目をぱちくりとさせたが、すぐに破顔し、跪くようにして犬飼の手を取ってきた。
「ここまで追いかけてきてよかった」
伝わってくる久しぶりの体温。手に頬ずりをして、羽柴は心底嬉しそうに微笑む。
その顔は以前より数段たくましくなっており、ここ二年での成長具合を感じさせられた。
「ったく。こんなにもいい男が、迎えに来るとは思わなかった」
「へへ、待っていられなかったもんで」
今度は手を引っ張られて、立たされる。
羽柴が「おいで」とばかりに両手を広げたが、犬飼はそれをスルーして背を背けた。
「行くぞ、羽柴。仕事は山積みなんだ、これからはさらに忙しくなるぞ」
感慨に浸る間もなく、そのようなことを言えば、あからさまに羽柴がしょんぼりとするのがわかった。
無論、こんなのは単なる意趣返しにすぎない。犬飼は小さく鼻で笑って、振り向き――そして、羽柴の襟元を引き寄せる。
「公私ともに、頼りにしているからな」
ちゅっと音を立てて口づけたのち、してやったりといった笑みを浮かべた。
対する羽柴は一瞬にして頬を赤らめ、カチンと固まってしまう。返事があったのは、犬飼が踵を返してからだった。
「っ、はい!!」
相変わらずの声の大きさに苦笑しながらも、犬飼は背中越しに頷いてみせる。
そうして、二人で新たな一歩を踏み出したのだった。
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▼「はじめての発情トラブル」ほか、番外編へ続きます
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