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Ⅰ 第1話
この世界はイーシュ派、グレイウォルト派、オルコット派の3つの門派が治めている。
その門派から派生して小さな門派がたくさんあり、俺はその中の1つの門派の宗主である師匠に孤児だったのを拾われて弟子にしてもらった。
師匠は俺に、カイルという素晴らしい名前もつけてくださった。
師匠の名はパーシー・ヴォルガーといって、ヴォルガー派の宗主だ。
師匠は本当に強くて、どうしてこんな小さな門派で留まっているのか不思議なくらいだった。
俺は師匠にここまで育ててもらった恩返しがしたくて、毎日修行に励んでいた。
だけど俺には才能など全くなくて、実力が伸びることはほとんどなかった。
それに加えてこの平凡な、いやそれ以下とも言える容姿をもつ俺は、孤児だったのもあり他の弟子たちに陰口を叩かれていた。
最初は気にしないよう努めたが、段々その優秀な弟子たちと自分を比較して劣等感を持つようになった。
そして俺が12歳になった年のある日、新しい門弟が入ってきた。
その人物は俺より3つ年下で、最初女の子だと思ってしまったくらい中性的でそれはそれは美しい顔立ちをしていた。
深紅の瞳と輝く白髪は、彼のその端正な顔立ちを引き立てていた。
彼は俺と同じように孤児なのを師匠が拾ってきたらしく、姓はなくて名をシアンといった。
彼は容姿が整っているだけでなく物凄い才能を持っていて、すぐにヴォルガー派の弟子の中で3本の指に入るくらい強くなった。
弟子の中で数少ない女の子たちはシアンに夢中になり、男たちまでシアンに擦り寄り始めた。
俺はこんなに努力しても認めてもらえないというのに、シアンはあっという間に人気者になり弟子たちの中心人物になっていった。
そんなシアンが気に入らなくて、同じように彼に対して不満を持っていた他の弟子たちと、5人でシアンを虐めはじめた。
今では考えられないくらいひどいことをして、シアンにたくさんの傷を負わせてしまった。
5人でシアンを取り囲んで暴言を吐きながら殴ったり蹴ったりしたのはまだいい方で、時にはナイフを持ち出したり煙草の火を押し付けたりもした。
どうしてあんな酷いことが出来たのだろう。
シアンの修為が高くなければ、間違いなく死んでいた。
けれどシアンはいつも無表情で、笑顔はおろか俺たちが何をしても痛がることも嫌がることもしなかった。
それが余計に俺達の非行を加速させた。
だけどあんなことをしていて、師匠に知られないはずもなくて。
師匠に虐めが発覚して俺と一緒にシアンを虐めていた弟子4人は破門になり、俺もそうなるはずだった。
けれど他に行くところもない俺は、弟子は辞めるが雑用でも何でもするから置いてくれと師匠に懇願した。
そのとき追い出されて当然だったのに、心優しい師匠は俺の申し出を了承し、ヴォルガー派にいさせてくれた。
それから8年たち20歳になった今も、俺はヴォルガー派で弟子たちの食事作りや洗濯、掃除、そして師匠の秘書のようなことをして過ごしている。
俺が雑用係になった直後は、まだ俺がシアンに虐めをしていたことを知っている人間しかいなくて、嫌味を言われたり暴力を振るわれたりして居づらかった。
俺がシアンにしたことを考えれば当然なのだが。
しかし今は、8年も経てば門弟もほとんど入れ替わっていて、みんな俺のことを“カイル兄さん”と呼んで懐いてくれている。
俺は師匠の弟子ではないから、彼らに“兄さん”と呼ばれるのは間違っているのかもしれないけど。
だけど俺はみんなにそう呼ばれる度にすごく嬉しくなって、みんなのために働いていることが誇らしくなる。
しかし同時に、シアンも稀に俺のことを“カイル兄さん”と呼んでいたなと思い出して胸が痛くなる。
…虐めが発覚したあと、俺が謝る暇もなくシアンはヴォルガー派を抜けて、どこへ行ったのかもわからなくなった。
できることなら彼に謝罪したい。
もちろん許してもらおうなんて思っていない。
謝ったってどうにもならないけど、どうしてもシアンに謝罪したかった。
…これは俺の自己満足だ。
あのとき、俺達が虐めをしていたことを知った師匠のあの悲しそうな顔を見て、自分が何をしてしまったか唐突に理解した。
今まで自分がやってきたことに吐き気がして、俺なんか死んでしまったほうがいいんじゃないかと思ったくらいだ。
けれどまだ師匠に何の恩返しもできていない。
それどころか、とんでもない迷惑をかけてしまった。
優秀なシアンを破門させて、結果として5人もの弟子を失ったのだ。
この小さな門派で、弟子を5人失うというのは大きな損害だ。
あのときの師匠の心労は計り知れない。
俺がいなくなったほうが師匠にとって良かったのかもしれない。
けれど師匠は俺が弟子を辞めた時61歳で、今はもう69歳だ。
とてもそんな高齢の師匠をほうっておくことなどできなかった。
シアンにあんなに酷いことをしていた俺が、こんなことを考えているなんて善人ぶりたいだけだと言われても文句は言えない。
けれど、俺が師匠を尊敬し慕っているのは事実だ。
これだけは胸を張って言える。
俺は出来る事ならずっと、この場所で師匠とヴォルガー派を支えていくつもりだ。
❀
「師匠、今日はお出かけですか?」
師匠がせっせと修行着から上等な紳士服に着替えているのを見て、声をかけた。
俺は師匠の弟子ではなくなったけど、彼を“師匠”と呼ぶことを許されている。
『パーシー様』と呼んだとき、師匠がほほっと長い髭を震わせながら『なんだかこそばゆいのぅ。呼び方なぞ、変えなくても良いわぃ』と言ってくれたので、その言葉に甘えてしまったのだ。
「ちと、他の宗主たちとの集まりがあってのぅ。なに、ちょっとした情報交換会のようなもんじゃ。すぐに帰ってくるわぃ」
師匠は「ほほっ」と笑って部屋を出ていった。
師匠の嬉しそうな様子に俺まで気分が明るくなる。
多分、親しい宗主と会えるのだろう。
友達というのか。
俺にはそういう存在がいないから、少し羨ましい。
師匠が返ってくるまでに部屋の掃除をしてしまおう。
ピカピカにして、帰ってきた師匠を吃驚させるぞ、と意気込んで始めたはいいものの、師匠は予想よりもずっと早く帰ってきた。
それも、どっと冷や汗を流しながら。
師匠の尋常ではないその様子に、背中に寒気が走る。
「師匠、どうなさったのですか…?」
「大変なことになった。どうやら、イーシュ派がオルコット派を吸収したらしくてのぅ…」
驚きのあまり、手に持っていたはたきを落としてしまった。
イーシュ派がオルコット派を吸収した…?
それはつまり、長年保たれていた3門の均衡が崩れたということだ。
「…師匠、どうするおつもりですか?」
このヴォルガー派は中立で、3大門派のどことも交流していない。
故に今回もそれほど大きく巻き込まれることはないとは思うのだが…。
それはただの願望で、不安は拭えない。
こんな小さい門派、イーシュ派かグレイウォルト派どちらかに手を出されたらひとたまりもない。
師匠は自分の長い髭を触りながら口を開いた。
「わしらにできることといえば、他の門派と同じようにイーシュ派に擦り寄ることだけであろうの」
「そんな…」
「グレイウォルト派も、じきにイーシュ派に吸収されるやもしれん。何もしないよりかは良かろう」
師匠はゆっくりと窓の外を見やった。
「なに、ヴォルガー派は元々力のない門派。後ろ盾無くしては、じきに消滅していたであろう。強大な門派の恩恵にあずかる時が少し早まっただけじゃ」
「しかし、そうすればヴォルガー派はヴォルガー派でなくなるかもしれません。師匠がずっと守り続けてきたこの門派が…」
師匠は若くして先代宗主である父を亡くし、ずっと1人でこのヴォルガー派を守ってきた。
小さな門派であるが故に何度も他の門派との合併の話も出ていたけれど、師匠は父から受け継いだこの門派を違うものにするわけにはいかないと本当に頑張っていたのだ。
俺は赤ん坊の頃からだから20年しか師匠と一緒にいないけど、その間だけでもどれだけ師匠が苦労してきたか知っている。
それが、水の泡になってしまうのだ。
「いいんじゃ。先代もきっと、こればかりは許してくださるであろう」
「………はい」
師匠がそれでいいと言っているなら、俺が口を挟むべきではない。
例え、師匠がひどく悲しげな顔をしていたとしても。
「明日、イーシュ派に連絡を取ってみようかの。……話がまとまったら、皆に報告するとしよう」
❀
昨日掃除を全部できなかったので、師匠がイーシュ派のところへ連絡を取りに出掛けている間に昨日の続きをしてしまおうと腕まくりをしたところだったのだが。
バタンッと勢いよく扉が開いて、師匠が息を切らしながら入ってきた。
「カイル!なんと、イーシュ派の宗主様がわしにお会いしてくださるそうじゃ!」
「え、ほんとうに!?いつですか!?」
「明日じゃ!急で悪いが、応接室の掃除を頼めるかのう?」
ほんとうに急すぎて吃驚したが、そんなに早く来てくれるとは。
もしかするとイーシュ派の宗主は、ヴォルガー派を支援することに積極的なのかもしれない。
大きな希望が見えてきた。
「はい、もちろんです!すぐに取り掛かります!」
俺は腕まくりをし直して、応接室に向かうため走り出した。
❀
会合が始まる予定時刻の少し前。
師匠はドアの反対側のソファに座り、俺は師匠の後ろで腕を後ろに組み、イーシュ派宗主の到着を待っていた。
「うまくいくと良いですね」
「そうじゃのぅ。イーシュ派の後ろ盾ができれば、弟子たちも安心するじゃろぅしの」
ドアを3回ノックする音が部屋に響いた。
「師匠、イーシュ派宗主様がお着きになりました」
「お入りくだされ」
師匠の声がかすかに強張っている。
師匠も、俺と同じように緊張しているのかもしれない。
俺は生唾をごくりと呑み込んだ。
だが次の瞬間、ドアから軽やかな足取りで部屋に入ってきた人物を見て、緊張なんてどこかに飛んでいってしまった。
スラリと伸びた長い腕と脚。
陶器のように白く美しい肌。
まるで彫刻のように整った端正な顔立ち。
そして、深みのある赤い瞳と雪のように白い髪。
この、人は…。
「……シアン…?」
「これは、一体どういうことじゃ…?」
師匠も俺と同じように目を見開いて固まっている。
彼はそんな俺達を一瞥すると、洗練された動作で胸に手を置き腰を曲げた。
「お初にお目にかかります。シェイト・イーシュと申します。以後お見知りおきを」
彼はあの頃の無表情が信じられないほど、穏やかに笑っていた。
これが、これから俺を地獄へ突き落とす悪魔との再会だった。
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