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Ⅰ 第2話

俺は状況が把握できずにシアンを見つめることしかできなかった。 いや、シアンじゃなくてシェイトか…。 なんだか違和感があって慣れない。 シアンは偽名だったのか。 多分、孤児っていうのも嘘だった。 師匠を見てみると、半ば呆然としているようだった。 「お主、シアンであろう…?」 「はい。お久しぶりです。師匠、カイル兄さん」 「じゃあ、なんでさっき初めてって…」 本来なら宗主同士の会話に割り込むなど言語道断だが、思わず口を挟んでしまった。 だけど、師匠もシアンも全く気にする様子はなかったので安心した。 シアンはドア側のソファに腰をかけながら口を開いた。 「シェイト・イーシュとしてお会いするのは初めてでしょう?」 「…そなた、イーシュ派の人間であったのか…」 「貴方達、先程から失礼ではありませんか?宗主様に向かって」 シアンの後ろに控えていた、おそらく従者であろう女性が俺たちをギロリと睨みつけてきた。 そうだった、今シアンはイーシュ派宗主なんだ。 宗主がシアンだったことにあまりにも驚いて、昔のように話してしまった。 「申し訳ない、宗主様。つい昔を思い出してしまいまして…」 「私も、申し訳ありません」 「かまいません」 師匠に次いで俺も謝罪すると、シアンはにこにこ笑いながら足を組んだ。 「では本題に入りますが、イーシュ派の支援を受けたいというお申し出でしたよね?」 「…その通りです」 「こちらも前々からヴォルガー派のことは気にしていたんですよ。ですから、この話は前向きに考えています」 その言葉にほっとした。 師匠も先程より肩の力が抜けて、表情も柔らかくなっているような気がする。 「今日はそれだけ伝えに来ました。それと、久しぶりにお二人の顔が見たくて」 「それはそれは…、とても有り難い。昔、貴方様がこのヴォルガー派にいらした時は、不快な思いをさせてしまったじゃろうが…そんなお言葉をかけて頂けるとは…」 師匠の言葉に、心臓がどっと早鐘を打つ。 …シアンはどう答えるのだろうか。 やはり、あの時の事を糾弾されるだろうか。 これは俺の罪で逃げちゃいけないことだけど、今すぐこの部屋から出ていきたい衝動に駆られる。 ずっとシアンに謝りたいと思っていたが、心の準備が出来ていない中、いざ当人と対峙すると居たたまれなくなる。 けれどそんな俺の思いとは裏腹に、シアンは全く顔色を変えずに口を開いた。 「不快な思いなど何一つしていませんよ。師匠にも、カイル兄さんにも、とても良くしていただきました」 「…そうですか…。それならよかった…」 師匠は驚いたように目を見開いて、細々と呟いた。 何を言うか決めかねているようだった。 その時、シアンの後ろに控えていた女性がシアンの耳元で囁いた。 「宗主、お時間が」 「ああ、分かってる」 随分と距離が近いな…。 少し驚いていると、シアンの顔が今までずっと笑顔だったのに昔のように感情のない無表情になっていることに気づいた。 その顔を見てばっと目を背けた。 なぜだか、シアンの無表情を見るのはすごく怖い。 …そういえば、昔も俺はシアンを怖がっていたのかもしれない。 顔を向け直すと、シアンはまた笑顔に戻っていた。 「実はこのあと外せない用事があるんです。そろそろ御暇しないと」 「おぉ…そうですか。では、お見送りいたします」 師匠がゆっくりと席を立つが、シアンは座ったまま師匠を見上げた。 「いえ、師匠にそんなことさせられませんよ。それと…」 深い赤色の瞳に射抜かれて、びくっと肩が震えた。 「カイル兄さん」 透き通るその声に名前を呼ばれて、なぜだか酷く寒気がする。 「少しだけ、2人だけで話しませんか?」 「……はい」 何の話だろう…。 でも、丁度良かった。 俺は何としても、シアンに言わなければいけないことがある。 師匠と、シアンの側に控えていた女性が俺を人睨みして出ていった。 何故か俺は彼女に嫌われているらしい。 けれどそんなことを気にしている場合ではない。 俺は勢いよくシアンに向かって頭を下げた。 「あの…、宗主様…、昔のこと、本当に申し訳ありませんでした…!」 「なんのこと?」 間髪入れず問われた言葉に、思わず「えっ」と口から溢れた。 シアンは本当に何の事だか分かっていないような顔をしている。 「…昔、宗主様に酷いことをしました…」 シアンは、顎に手を添えて考え込んでいるようだった。 …まさか、覚えてない…? そんなことあるのか? 困惑して何もできずにいると、シアンがパンッと手を叩いた。 「ああ、あれ。別に気にしてないよ」 「え…」 「あと、その喋り方やめて。昔みたいにシアンって呼んでよ。敬語も使わないで」 「…はい。あ、いや、わかった」 やっぱり敬語よりこっちの方がしっくりくるな。 「そんなことより!」 ずいっとシアンに距離をつめられて、思わず後ずさった。 とんでもなく綺麗な顔が目の前に来て心臓に悪い。 俺が後ずさった分、しっかり距離を詰めてきたシアンは今にも俺の手でも握りそうな勢いだ。 「さっきも言った通り俺はヴォルガー派を支援するつもりだけど、条件がある」 「条件…?」 「まさか、何の見返りもなく支援すると思う?」 「いや…、まさかそんな…」 さすがにそんな図々しいことは考えていない。 考えていないけど、わざわざ俺と二人きりになって言う条件ってなんだ…? ひとつ予想できることといえば、俺への復讐…だろうか。 さっきのやり取りでは何も気にしていないようだったけど、心の底では俺のことを憎んでいるのかもしれない。当然だ。 あれだけ酷いことをしたのだから。 むしろそうでないと納得がいかないくらいだ。 もし今ここで死ねと言われても構わない。 それでシアンの気持ちが少しでも晴れ、ヴォルガー派が支援を受けれて師匠や弟子たちが喜ぶのなら。 もしシアンが俺への制裁を望んでいるのなら、俺はそれを受け入れなければ。 罪を償うために。 「…それで、その条件ってなんだ?」 ごくりと生唾を呑み込んだ。 何を言われるのだろう。 「俺が呼んだら、絶対会いに来て」 「え……、そんなことでいいのか?」 「うん」 にこにこ笑うシアンを訝しげに見る。 支援することの対価として、軽すぎないか? 何か裏があるんじゃ…。 …でも、元々俺に選択肢なんてない。 俺は師匠に恩返ししたくて、迷惑をかけてしまった分まで償いたくて生きてるんだ。 俺にできることで師匠の役に立てるなら、やるしかない。 「…わかった」 俺がそう言うと、シアンは笑みを深めた。 なぜだかその笑顔が怖くて、また後退りしそうになる。 「交渉成立だね。これからよろしく」 シアンに右手を差し出された。 これは、握手を求められているのか。 「ああ、よろしく」 シアンの手を握り返した。 その手は予想よりずっと冷たくて、ひんやりとしていた。 これで、師匠にも弟子たちにも喜んでもらえる。 みんなに報告するのが楽しみだ。 そんなふうに、俺は馬鹿みたいに喜んでいた。 後にこの時の選択を嫌と言うほど後悔することになるとも知らずに。

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