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プロローグ(1)

 暗闇の中を歩いていた。    一筋の光もない真っ暗闇なのに、不思議と怖くなかったのは、手を引いてくれる人がいたからだろう。手というか、正確には人差し指のみだけど。それをくるんと包み込むのは、とてもあたたかく、ぷにぷにした柔らかい掌で、明らかに子供の手だった。  僕には子供の知り合いはいない。最近、子役と共演することもなかったはずだ。  記憶を遡り、一つ思い出したことがある。この真っ暗闇に来る前の、覚えている限りで最も新しい記憶。  僕はあの人を、人目につかないよう、テレビ局の非常階段に呼び出したんだった。  僕が先に来て、非常階段の踊り場に立っていた。  ドアが開く音がして、振り返ろうとしたら、勢いよく背中を押されて……。  落下しながら見たのは、僕を見下ろす、野球帽とサングラスとマスクを身につけた男の姿だった。顔はわからなかったけど、アルファ然とした立派な体格は、あの人だったようにも思える。  手を差し伸べることもせず、両手をばたつかせながら落ちていく僕を、ただ冷ややかに見届けていた。  直後、頭に強い衝撃を受け、視界がぐるんとひっくり返った。  覚えている色のついた光景は、それが最後だ。    それからどのくらい時間が経ったのかわからないけど。気がついたら、こうして暗闇の中を、子供に手を引かれ歩いていた。  あまりにも真っ暗闇だったから、最初、自分が目を閉じているのかと思って、試しに空いている方の手で瞼を触ってみたくらいだ。  きっと、僕は死んだのだろう。  星一つないこんな真っ暗闇、見たことないし、さっきからしきりに足を動かしているのに、足裏に地面を踏みつける感触がしない。それに何より、どこも痛くない。あれだけ勢いよく階段から落ちたのだから、生きていたらどこかしこが痛いはずだ。  既に死んでいるのだとしたら、手を引いて導いてくれているこの子は、天使か、もしくは子供の死神か――。  死を実感し、胸に苦く込み上げてきたのは、後悔の念だった。  呼び出さなければよかったと思った。  妊娠していることがわかって。相談するために、あの人を呼び出した。  妊娠を告げたとして、更に疎ましく思われるだろうことはわかっていた。「堕ろせ」と言ってもらえたら、それでよかった。憎まれていることを実感できれば、中絶する踏ん切りがつくと思っていた。  でも、今ならわかる。  本当は、中絶の後押しがほしかったわけじゃない。  ただ、あの人に会いたかったのだ。このまま芸能界を去ることになれば、もう二度と会えなくなるから。最後にもう一度だけ、近くで顔を見たかった。  けれど、まさか殺意を抱くほど憎まれていたとは。  死と引き換えにその事実を知らされるなんて、神様はあまりにも残酷だと思う。

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