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真相(11)
白木さんの機嫌が急降下したことが、眉間に深く刻まれた皺と剣呑に細められた目つきから感じ取れた。
僕も、『記者会見』という言葉で、今まで刑事ドラマを見ているようだった気分を、一気に現実に引き戻された。
現実は現実で、決して甘くないし優しくない世界だった。そのことを、数時間ぶりに思い出した。
「それって別の日に変更できないの?」
いつにない強引な調子で、白木さんが食い下がる。
「ホテルを押さえてるし、既にマスコミにファックスも回してますからね。この時間だから、記者はもう集まり始めている。それに、週刊誌の発売が明後日なんだ。それより先となると、今日しかない」
「柿谷君も、記者会見、行きたい?」
白木さんは今度は、助けを求めるように僕を見た。
「行きたくないよね? 行きたくないって言って!」と言いたげな切実な眼差しを向けられ、僕は三間と白木さんの間で視線をさ迷わせる。
助けを求め稲垣を見たけど、「俺を巻き込まないでくれ……」という感じでさりげなく目を逸らされてしまった。
「記者会見には……、僕が行く必要……ない、ですよね?」
どう考えても事情聴取のほうが優先順位は高い。
それを毅然と言うことができず、しどろもどろになるのは、一歩も引きそうにない三間の眼差しの強さの所為だろう。
「いる必要はないが、できればいてほしい」
三間が記者会見を開くとしたら、目的は一つしか考えられない。佑美さんとのことだろう。交際していたことを明らかにするだけなら、ホテルでの記者会見なんて派手なことはしないはずだ。結婚発表――きっとそれしかない。
あの記事が出る前に、佑美さんとの交際を認め、結婚の予定を大々的に発表することで、二股疑惑を潰す算段かと考えた。後にも先にも愛する人は一人だけだと、世間に知らしめるための会見。
僕を連れて行きたがるのも、きっと同じ目的だろう。僕が、無駄な期待を抱かなくてすむように。僕に、知らしめるために。
――そういえば……。さっき、専務との会話で、妊娠のこと話してたな……。
今になってようやく、そのことを思い出した。
クロロホルムをほとんど吸っておらず、意識を失くしていなかったのなら、三間もそれを聞いていたはずだ。
あの夜、『日本に帰ったら、アフターピルを飲みます』と言って、ゴムなしで最後までした。あの口約束を守らなかったことを知られたということは、僕の気持ちにも気づかれたということか……。
本音としては、できれば結婚の会見は、自分の目で見るよりもネットニュースのほうがよかった。でも、三間がそれを望むのなら仕方ない。
一夜限りの相手に無駄な期待を抱かせない。それもまた、彼なりの誠実だろう。そういうところも、好きだと思えるから。
了承を求めて白木さんを見ると、諦めの滲む溜め息を吐き、かすかに頷いた。
「えっと……、三間さんが、そう仰るなら……、そっちに行きます」
「……わかった。今日の事情聴取は諦めるから、そのかわり、明日も動けませんとかは絶対になしだからね!」
白木さんは僕ではなく、三間に、釘を差すように言った。
なぜ、明日のことまで心配するのかはわからない。
その後、現場の写真を撮っていた警察官に、首の切り傷や絞め痕の写真を撮られ、白木さんが三間のマンションまで覆面パトカーで送ってくれることになった。
白木さんに送ってもらいながら、三間の家に着くまでの間、「ここだけの話」という前提で、事件の真相を大まかに聞かせてもらった。
警視庁薬物銃器対策課。通称、『薬対』。それが、白木さんが所属している部署なのだそうだ。名前の通り、違法薬物や銃器に関する捜査を行い、必要があれば、今回のように、他の組織に潜入し捜査を行うこともある。白木誠也という名前も偽名だった。
白木さんが月城プロダクションの捜査を始めたのは、元々は、発情促進剤がきっかけだった。
発情促進剤は不妊治療などの目的で病院で処方される分には合法だが、医療以外での使用は性的ドラッグと同様に法律で規制されている。すなわち、医師の処方箋なしに手に入れた発情促進剤は、基本的に全て違法薬物になる。
一年前に佑美さんがアプローズから独立し、独立の理由は三間との結婚のためじゃないかと噂されていた。その頃から三間は、打ち上げや飲み会なんかの後に、オメガのタレントにハニートラップを仕掛けられるようになったそうだ。会がお開きになった後、「二人きりで飲み直したい」と誘われ、そういうときは大抵、誘ったオメガは|発情期《ヒート》の匂いを漂わせていたらしい。
「以前に色々あって気をつけていたから引っかかることはなかったが、誘ってくるオメガが毎回、月城プロダクションのタレントで、あまりにタイミングよく発情期 が来るのが気になってな。組織ぐるみで発情促進剤を使ってるんじゃないかと疑っていたんだ。それで、親父のツテで、薬物関係に詳しい刑事を紹介してもらった」
それが白木さんだった。
捜査を進める中で、月城プロダクションのタレントの中には、発情促進剤だけでなく覚せい剤など、他の違法薬物を使用している疑いも浮上した。そのため、白木さんは半年前から事務所に潜入し、内部の実態解明を進めていた。
「月城プロダクションの闇はかなり深くてね……、全容の解明はこれからだけど、しばらくの間、業界はかなり荒れると思う」
薬物捜査については現在も進行中のため、それ以上の詳細は聞けなかった。しかし、家宅捜索が行われたということは、オメガの寮も違法薬物の温床である可能性を疑われているのかもしれない、とは思った。
裏事情を知れば、いくつか思い当たることもある。
一度目の人生のとき、オメガの寮には、タレントとしては旬が過ぎ、メディアに登場しなくなって久しい人達も少ない数いた。その人たちは一様に無気力な目をしていたが、仕事がないわりに身に着けているものは高級そうで、政財界の要人相手に性的な奉仕をさせられているという黒い噂を耳にしたこともあった。
専務とあの偽刑事との会話の中で、専務は警察にも顔がきくようなことを言っていた。金や薬でオメガを支配し、性的な接待を斡旋することで、権力と太いパイプを築いていたのかもしれない。
だとすると、白木さんの言う「業界はかなり荒れる」の「業界」は、芸能界だけにとどまらなさそうに思える。
一度目の人生で僕もオメガの寮に居続けていたら、そのうちそういう未来が待っていたのかもしれないと思うと、どうにもやりきれない気持ちになる。
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