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いつかの、誰かが、見た景色(4)

 希望したのか偶然なのかはわからないが、案内されたのは前回泊まったのと同じ部屋だった。  スイートルームとも言える広々とした部屋で、ダブルベッドが二つ並び、それ以外に和室や露天風呂もついている。  三間が和室に布団を敷いてくれて、光希を寝かせる。布団に下ろしても、起きる気配はなかった。今日は午前中にお昼寝していないから、たっぷり2時間以上は寝そうな気がする。  天使の寝顔に暫し頬をゆるめて。 「お茶でも煎れましょうか」  そう言って腰を上げたところ、何故か三間も立ち上がった。 「お茶は後でいいから、先にあっちがいい」 「あっち?」  くい、と顎で示された先には、大きな掃き出し窓の向こうに露天風呂が見える。 「お風呂ですか?」  目が泳ぎ、顔が赤くなってくるのは、「お誘い」の雰囲気がわかるくらいには、そういうことを繰り返してきたからだ。 「ま、まだ明るいし……。晴さん、一人でゆっくり浸かってください」 「一人で浸かったら、風呂付きの部屋にした意味ねーだろ。貸し切りの風呂もあるから、夜はそっち予約してるんだ。ここより広いからチビも喜ぶと思って」  発情期(ヒート)になれば、欲情に流されて、それ以外のことはどうでもよくなる。ただ、それ以外の時期は、三間に雄の顔をされることに対して、未だに素直に喜ぶよりも反応に困ることのほうが多い。 「前回は一人で入ってたじゃないですか」  切れ長の目が、不穏な笑みの形に細まる。 「そ。だから、リベンジさせて」  有無を言わさぬ強引さを前面に押し出しながら、声には甘さを含ませている。  こういうところは、毎回、ずるいなと思う。ずるいし、上手い。ほだされるたびに、いつか僕も、こういう悪い男を演じてやる! と腹いせのように思っているが、果たして生きている間に実現する日は来るのか。  4時を過ぎたばかりだから、当然、外は明るい。  部屋の外に広がるテラススペースには、約2畳ほどの石造りの浴槽があり、その周囲にはすのこが敷かれている。湯冷まし用にか一人掛けのラタンソファが二脚置かれていた。  浴槽は壁際にありテラス全体が庇の下なので、厳密には「半露天」になるのだろう。柵の向こうに砂浜と海が望める。立ち上がれば、砂浜を歩いている人や船に乗っている人から見えそうで、落ち着かない気分になる。    「先に入ってて」と言われたので、外で体を洗い、湯に浸かると、仕切りである掃き出し窓が開く音がし、全裸の三間が現れた。  来年の大河ドラマの主人公を務めることが決まっている彼は、稽古に向けて体を作り上げていて、以前にも増して筋肉の厚みが増し、アスリート顔負けの無駄のない引き締まった体をしている。その手に、それ用のチューブが握られているのを見て、僕は慌てて遠くの景色へと視線を移した。  体に湯をかける音がしたのち、三間が湯船へと入って来る。湯が大きく波立ち、ザバーッと派手な音を立てて勢いよく溢れ出した。  肩を触れ合わせ、三間が僕の隣に座る。  腕を肩に回され、もう片方の手で顎を捉えられた。  何度繰り返しても、この瞬間は毎回、鼓動は異様に加速するし、お湯で温められた体はいつも以上に熱い。  上から覆い被さるように、三間の顔が近付いて来る。  今朝、ホテルの部屋を出たとき以来。唇同士が触れ合う。見た目よりもやわらかなそれが押し当てられ、食むように、軽く引っ張られる。  あわいを舌で撫でられ、薄く唇を開いた。  熱く、僕のものより肉厚な舌が、入って来る。  焦らすように頬の内側の粘膜や舌の裏側を撫でられて、堪らず自ら舌を絡めた。  『恥ずかしい』から『気持ちいい』へと、一気に感覚がシフトする。高めるための、濃厚なキスに、すぐに夢中になった。  絡ませた舌から生じる濡れた音や唾液を吸う音が、鼓膜に響く。  いつも以上に感じてしまうのは、誰かに見られるかも、聞かれるかも、という状況の所為でもあるのかもしれない。 「なつ――」  触れ合う唇が、切なげに名前を呼ぶ。 「乗って」  言葉の意味を理解し、僕は三間の胸を押して少しだけ距離を取った。 「でも、ここだと……、隣の部屋に、声が……」  角部屋だが、浴槽側の壁を挟んだ向こう側には、隣の部屋がある。この別館の客室は全てが露天風呂付きなので、おそらく隣も似たような構造をしていると思われる。 「隣は夕食ぎりぎりのチェックインの予定って、仲居さんが言ってたじゃん」  そう言えば、部屋に着くまでの間、他愛ない話の一つとして、そんな会話をしたことを思い出した。 「まさか、そのために訊いたんですか?」  確かあのときは、「子供がはしゃいで大きな声を出したら迷惑をかけるから」という理由で、隣室の客の到着予定時間を訊ねていたはずだ。  三間が、ニッ、と悪戯っぽく片頬だけを吊り上げる。僕の呆れ顔はスルーし、腕を引いた。  スイッチの入った彼に抗えないことはわかっているし、本気で抗いたいと思ったこともない。  「渋々」を装い、僕は向かい合わせになる形で、彼の二の足に跨った。

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