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第6話『次男』

「────物音一つしない……?」  やっと異常に気づいたのか、八神律子は『いつから……?』と竦み上がる。 と同時に、部屋の扉をノックされた。 「────彰さん、終わりました」  扉越しに聞こえてくるヒューの声に、俺は少しばかり目を剥く。 『もう全員、殺したのか』と思いながら。  プロの暗殺者はやはり、違うな。依頼して、正解だった。  『さすがにあの数を相手するのは、大変だったから』と思いつつ、俺は顔を上げた。 「ご苦労。もう帰っていいぞ」  『報酬はさっきの分と合わせて、後ほど支払う』と告げ、俺は視線を元に戻す。 わざとらしく足音を立てて退散していくヒューを他所に、俺は 「じゃあ、今度こそ本題だ」  と、宣言した。 その瞬間、八神律子は身を固くする。 が、覚悟を決めたように凛とした表情を浮かべた。 「い、いいわ……!殺しなさい!私も極道の女!失敗の責任くらいは、取るわ!」  単なる強がりか、それともヤケクソか……八神律子はこんな時でも、気丈に振る舞う。 必死に涙を堪えようと歯を食いしばる彼女の前で、俺は拳銃を一度テーブルへ置いた。 その代わりと言ってはなんだが、自分のスマホを手に取る。 「一人で盛り上がっているところ、悪いが────俺はお前を殺す気などない。少なくとも、現時点では」  『殺すつもりなら、とっくに撃っている』と話し、俺は小さく肩を竦める。 と同時に、八神律子が目を白黒させた。 「は、はっ……?どういうこと……?だって、さっき『八神組と事を構えることになっても、俺は別にいい』って……」 「最悪そうなってもいいというだけで、そうなってほしい訳じゃない。俺の目的は────こっちだ」  そう言うが早いか、俺は『桐生|静《しずか》に着信中』と表示されたスマホの画面を見せた。 すると、八神律子はハッとしたように目を見開く。 「ま、待って……!静は関係ないの!これは私が勝手に────」  ────したことなの!  と続ける筈だったであろう言葉を、八神律子は呑み込んだ。 何故なら、着信中の画面が通話中に切り替わったから。 『嗚呼……』と項垂れる彼女を前に、俺はスピーカーボタンを押した。 「|兄さん《・・・》、聞こえるか?」 「ああ、突然どうしたんだい?」  スマホ越しに聞こえてくる聞き慣れた声に、俺はスッと目を細める。 と同時に、スマホを八神律子の横へ置いた。 「単刀直入に言う。そっちの企みは全て阻止した」  『これ以上、足掻いても無駄だ』と突きつけると、相手は間髪容れずに 「えっ?企み?何のこと?」  と、すっとぼけた。 まだ状況を理解していないのか、それとも誘導尋問の可能性を危惧しているのか……一切ボロを出さない。 『まあ、兄さんならそう来るよな』と納得しつつ、俺はこう言葉を続ける。 「しらばっくれても無駄だ。これまでの襲撃の黒幕が、兄さんであることはもう分かっている」 「ちょ、ちょっと待ってよ?僕は……」 「兄貴をスケープゴート代わりに使っていたようだが、それが逆に仇となったな。あの武闘派からは考えられないほど、慎重な行動ばかりだったから。生け捕りにした襲撃犯達を軒並み殺したところとか、特にな」  『詰めの甘い兄貴では、そこまでしない』と主張し、俺はふと本邸で巻き起こっている出来事を想像した。 今頃真白は血の雨を降らせているだろうか、と考えながら。  兄貴のことは殺していないといいが……まあ、死んだら死んだでいいか。本命はこっちだし。  『あっちは保険』と考えつつ、俺は再度拳銃を手に取った。 「あくまでシラを切り通すつもりならそれでもいいが、このままだと────八神律子は死ぬぞ」  彼女の額にまた銃口を突きつけ、俺は『この女が兄さんの弱味だろ』と告げた。 すると、彼は少しばかり動揺を見せる。 「な、何故そこで彰のお見合い相手の名前が出てくるんだい?僕は彼女のことなんて、何とも……」 「────思っていない、ということはないだろ。俺と八神律子のお見合い話が持ち上がった途端、明らかに襲撃の回数が増えたんだから」  確信の籠った声色で否定し、俺はこれまでのことを思い返した。 「それにもし、本当に何とも思っていないなら襲撃のタイミングをわざわざ八神律子の居ない時に限定したりしない。積極的に巻き込んで、俺の動きを制限してくるだろ」  『あと、お見合い中なら真白が居ないし』と考えつつ、俺は零れたお茶をチラリと見る。  まあ、だからこそ毒殺計画のことを知った時は驚いたが。 ついに八神律子も利用するようになったのか、と。 でも、兄さんの様子からして毒殺の件は知らないみたいだ。多分、八神律子の独断だろう。 仮に計画を知っていたなら、通話が掛かってきた時点で全てを悟っている筈だからな。 『しらばっくれる』なんて選択肢は取らない。  『本当に八神律子のことを愛しているなら』と思案する中、彼は 「……律子は今、どこに?」  と、尋ねてきた。 ようやく知らんふりをやめた彼に対し、俺は『やっとか』と一つ息を吐く。 「まだお見合い場所である旅館に居る、俺も含めてな。心配なら、直接確認しに来るといい。ただし、一人でだ。武器を持ってくることも許さない」 「分かった」  すんなりと条件を受け入れる彼に、八神律子は大きく目を見開いた。 と同時に、少しばかり身を乗り出す。 「待って……!来ちゃ、ダメ!最悪、この男に殺されるわ!」  堪らずといった様子で声を上げ、八神律子は必死に説得を施した。 逆効果であることは、分かっているのに。 彼女の存在を確信すれば、兄は必ず来るから。 「律子、本当にそこに居るんだね?」 「ええ!でも……」 「なら、尚更行かないと。僕は君を失いたくないんだ」  『ごめんね』と消え入るような声で謝り、兄は通話を切った。 その途端、八神律子は滂沱の涙を流す。 『静……』と譫言のように兄の名前を呼び、時折嗚咽を漏らした。 罪悪感に駆られているであろう八神律子を前に、俺は彼女の帯留めへ手を伸ばす。 と同時に、解いた。 「ちょっ……」  着物を脱がされるとでも思ったのか、八神律子は抵抗する素振りを見せる。 が、俺は気にせず彼女の両手を縛り上げた。 カタカタと震える八神律子を前に、俺は一つ息を吐く。 『別にお前を辱める気なんて、ないんだが』と思いながら。  ただ、兄さんに反抗された時のことを考えて自分の身を軽くしておきたかっただけ。 人質を押さえつけた状態では、咄嗟に動けないだろうから。 それに兄さんも兄貴や真白ほどではないものの、それなりに強いし。  『桐生組の次男坊という肩書きは伊達じゃない』と考え、俺は気を引き締める。 そして、おもむろに立ち上がり、拳銃を構えた。 ────と、ここで部屋の扉をノックされる。 「彰、僕だよ」 「入ってきてくれ」  声色から直ぐに二番目の兄だと断定し、俺は拳銃の引き金へ指を掛けた。 八神律子の頭部に銃口を向けながら。 どこかピリピリとした空気に包まれる中、襖は開く。 と同時に、金髪の男が姿を現した。 「やあ、彰。約束通り、一人で来たよ。武器も持っていない。だから、律子のことは解放してくれないかな?」  両手を上げて反抗する意思がないことを示しつつ、二番目の兄はじっとこちらの反応を窺う。 茶色がかった瞳に、不安と焦りを滲ませながら。 普段は全くと言っていいほど、感情を見せないのに。 「解放はしない。まだこっちの用事は終わってないからな。むしろ、これからが本番だ」  『この女には、居てもらわないと困る』と話し、俺は腰に手を当てる。 「でも、安心しろ。下手な真似をしなければ、殺しはしないから」 「……」  二番目の兄は無言でこちらを見つめ、強く手を握り締めた。 ギシッと奥歯を噛み締める彼の前で、俺は『そんな顔も出来るんだな』とぼんやり考える。 「念のため、ジャケットを脱いでくれ。本当に丸腰なのか、確かめたい」  |下半身《足》に何も仕込んでいないのはズボンの膨らみで分かるものの、上半身はジャケットなどでいくらでも誤魔化せるため少し心配だった。 『万全を期したい』と思案する俺を前に、二番目の兄は 「分かった」  と、首を縦に振る。 と同時に、あっさりスーツのジャケットを脱いだ。 また、その下に着ていたベストも自主的に外す。 これで白のワイシャツとズボンだけとなった。 ここまで薄着になれば、丸腰なのは一目瞭然。疑う余地なんて、もうなかった。 「……本当に何も持たず、来たのか」  ナイフの一つくらいは持ってくると思っていたため、つい驚いてしまう。  武器を見つけたら、脅しも兼ねて八神律子の足を撃とうと考えていたんだが……兄さんはそれを見越して、丸腰を選んだのだろうか? だとしたら、重症だな。  『まあ、俺も人のことは言えないが』と思いつつ、小さく肩を竦める。 「予想以上に、八神律子のことを大切にしているんだな」 「まあね。全てを差し置いても、手に入れたかった人だから」  床に転がる八神律子をじっと見つめ、二番目の兄はどこか切ない表情を浮かべた。 茶色がかった瞳に、悲嘆を滲ませながら。

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