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第22話 覚悟して

 甲子園予選地区大会、九回裏。  サヨナラホームランは外野を守っていた俺の頭のはるか上を飛んでいき、バックスタンドにぶつかった。    まだ、グラウンドに立っていたい。  まだ、あいつの後ろを守っていたい。  勝ちたかった。  終わりたくなかった。    耳を劈くサイレンが響く。  涙を流しながら礼をした。  俺たちの夏が、終わった。  *  ダンボールに机の上の物を詰め込んでいく。  教科書、ノート、筆箱。  歯ブラシ、シャンプー、髭剃り。  制服、白いユニフォーム、ボロボロのグローブ。 「終わった?」  振り返らずに聞く。 「まだに決まってんだろ」 「今日中に終わると思う?」 「終わらせるんだよ」  はーあ……と背後からため息が聞こえる。  それを聞いて、ますますやる気がなくなった。  自然と手が止まる。 「酷いと思わないか? 敗退したら三年は速攻で退寮って」 「思うけど。でも、しょうがないだろ。部活に専念するための寮なんだから」  ペチペチと止まった手を叩かれる。  促されて、俺はまた荷物を詰め込み始めた。  俺たちが通う山都学園は、全国でも有名なスポーツ強豪校だ。  部活に専念するため、通学可能範囲に家があっても、部員は必ず入寮することになっている。  かくいう俺――清野郁哉――も、そのルームメイトの安達洋樹も、野球部に所属しているために入寮している。  でも、俺たちの夏は三日前に終わった。  つまり、この寮にいる意味はない。  あらかじめ聞かされていたことだけど、お前たちは用済みだと言われているような気がする。  ぶっちゃけ、いい気分ではない。 「そうなんだけどさぁ」    口を尖らせながら手を動かしていると、洋樹が立ち上がる。  そして、膝立ちになってダンボールの中を整理していた俺の背後から前に、上から覆い被さってきた。  逆さになった洋樹の顔。  その顔はなんとも言えない表情を浮かべていた。 「いいから、手ぇ動かせ!」 「いひゃい!」  ぶちゅっと思いっきり頬を挟まれた。  顔面崩壊ってこういうことだと思う。 「わかったか?」 「うん」  コクコクと頷く。  それを見て、洋樹は深いため息をついて自分のダンボールの前に戻っていった。 「俺だって、退寮したくねぇよ」  ぽつりと落とされた言葉は、悲しみを帯びていた。 「本当はさ。もっと野球したかった。俺がショートで、郁哉が外野。俺がミスっても、郁哉がカバーしてくれる。郁哉に後ろを守ってもらうと、凄く安心できたんだ」  洋樹の改まった言葉に、ひゅっと喉が鳴った。  ああ、同じ気持ちだったんだなって、胸が熱くなる。   「俺も洋樹の後ろを守るの、俺にしかできないって思ってたよ」  仮に打たれても、俺たちが絶対に球を取る。  必ずホームに球を戻す。  ピッチャーをしている先輩に、安心して投げられると言われたときは飛び上がるくらい嬉しくて、その日は夜通し洋樹と野球の話をした。    俺と洋樹は、地方紙でも取り上げられたことのある最強の守備ペアだった。 「それだけじゃない。郁哉とルームメイトで本当に楽しかった。寮監に怒られたのも、良い思い出だ」 「消灯後に野球の話してて怒られたやつな」 「あんなに怒ってたくせに、監督には言ってなかったんだよな」 「そうそう。監督に頭下げに行って変な顔されたんだっけ」  くくっ、と堪えきれない笑いをどうにか噛み締める。  あんまり大声出すと、それこそ寮監が飛んで来るからだ。 「だからさ。郁哉と離れるの、嫌なんだよ」 「俺だって寂しいよ」  二年半、ほぼ毎日、二十四時間。  一緒にいたんだ。  寂しいに決まっている。 「郁哉も寂しいって思ってくれてて嬉しい」 「当たり前だろ。あーでも、大丈夫だって。クラスは一緒。通学路も途中から同じ。放課後、受験勉強も一緒にやればいいんだから」    スポーツ強豪校でありながら進学校でもある山都学園は、高校三年の夏以降、一気に受験モードに切り替わる。  俺は、俺よりもほんの少しだけ勉強ができる洋樹に、全力で頼る気だ。 「それだけじゃ足りない」 「え?」  小さな呟きははっきりと聞こえなかった。  振り返って聞き返す。  洋樹は、眉を寄せて苦しそうな顔をしていた。 「郁哉、好きだ。だから、ずっと一緒にいたい」  突然の告白に、体が一気に熱くなる。  それは、俺が飲み込んだ言葉と同じだからだ。  甲子園での試合が終わったら、言おうと思っていた。  野球だけじゃなく、それ以外でも一緒にいたいと望み、願掛けのように決めていたこと。  でも、それは叶わなかった。  自分で縛りをかけた俺には、好意を伝える資格はない。  それでも、次は大学受験のタイミングだと自分を甘やかす。  けれど、まさか洋樹がこのタイミングで、しかも俺が好きだって言ってくるなんて思ってもみなかった。  びっくりして、嬉しくて、なんて言ったらいいかわからない。  それを、洋樹は俺の思いとは違うように解釈した。 「いきなり言われて困る、よな。ごめん」 「え、いや……」 「でも」  キシ……と床板が小さく軋む。  首筋に触れた洋樹の唇。  離れていくときに首筋に感じた熱い吐息。  心臓が文字通り跳ね上がる。  待って。  今、何が起きた? 「絶対、俺を意識させるから。だから、覚悟して」  笑顔で宣言する洋樹は無敵に見えた。    どうしよう。  もうすでに洋樹が好きな俺は、何を覚悟しなきゃいけないんだ?

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