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第5話 突然の解雇
広い会議室の一角で、俺は上司に頭を下げられた。
机の上には退職届のテンプレートが存在感を放っている。
意味がわからなかった。
「どうしてですか」
もっと言うことがあるだろうに、驚きでそれしか言えなかった。
「すまない。トップダウンの指示なんだ。私もこの事態について説明ができない」
フランスで自主退職では失業保険が出ない。
なのに上は春樹に退職届を出せと言う。
会社都合の、しかも今日中にという命令の退職勧告なのにどういうことだ?
ありえない。
日本では労基に言えば一発アウトだが、フランスでは俺が外国人という立場もあって行政に訴えてもまともに対応してもらえるかも怪しい。
だからといって、ここで安易に退職届を出すことは出来ない。
俺は社宅に住んでいる。
退職届を出せば、仕事と同時に住まいも失う。
俺には日本に帰れない理由がある。
やっとの思いで逃げ出したんだ。
たったの五年であいつが諦めるとは思えない。
日本に帰った途端、俺の居場所は速攻で特定され拉致されるに決まっている。
かと言って、こちらに今の会社以外に伝手はない。
俺は目の前の退職届を睨んだ。
「何か事情があって日本に帰れないのは知っている。退職については力になれないが、転職先は知人に心当たりがあるんだ。もしよければ紹介するし、君さえ良ければ目処が立つまでうちに来ないか? 妻は息子が独り立ちして寂しがってるんだ。きっと歓迎する」
死ねとも言っているような退職勧告に負い目があるのか、上司はそう提案してきた。
明日の行き先もわからなくなった俺にとって、渡に船だった。
「いいんですか? お世話になります」
俺は転職先が見つかるまでの間、上司の家に転がり込むことになった。
そうと決まれば行動だ。
退職届にサインし上司に渡した。
それはすぐにデータ化され、総務部にメールで送られた。
そして、一日かけて困惑顔の同僚に仕事を引き継ぐ。
一緒に仕事をしていたメンバーからは残念がられ、引き止められもしたがどうしようもなかった。
代わりに、今夜はパブで送別会をすることになった。
デスクには殆ど私物を置いていなかったため、引き上げる荷物は通勤で使っている鞄で事足りた。
あとは社宅に戻って荷物を纏め、鍵を会社に返せば終わりだ。
流石に今日の今日出て行くことは出来ないため、明後日までの退去を待ってもらうことになった。
それはありがたいのことなのかはさておき、俺としては幸運だった。
日本の会社と違って欧州の会社はドライだ。
本当なら今日にでも追い出される可能性だってあった。
それを考えるとまだマシだと思えた。
就業時刻になると同僚、いや、元同僚に連れられて行きつけのパブに行った。
明日以降はしばらく上司の家に厄介になるから会う機会は十分にある。
でも、最後の別れではないにも関わらず、皆んなから酒をたらふく飲まされた。
帰りは別れを惜しまれつつ、それぞれの帰路についた。
俺は別れて行く元同僚一人ひとりの背中を見送りながら社宅に向かう。
それが、本当に最後の別れになるとも知らずに。
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