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第2話

 今や「上海で一番予約が取れないカウンセラー」との評判が定着した包文維のクリニックには、キャンセル待ちのクライアントも多い。  指定の日時に空きが出たら連絡が欲しい、という者。いつでもいいのでキャンセルが出たらすぐに連絡が欲しい、と言う者。要望は様々だが、それを受けるかどうかは文維のその場での判断だ。 「新患ですか。今から30分後でいいなら、と連絡してみてください」  文維が高そうなスイス製の腕時計を確認しながらそう言うと、張女史は黙って頷き、電話を掛けるために受付に戻った。    1人になった文維は、サッと時間を計算してみた。  先のクライアントが帰って、今はまだ4時半。次の新しいクライアントが来るのが5時として、6時には今日最終の常連のクライアントの予約には間に合うだろう。  午後7時には、愛する人と共にいつもと同じように穏やかな夕食を囲むことができる。すぐに少しはにかんだ笑顔を浮かべ、夕食を並べて自分を迎える愛しい恋人の姿を思い、文維は思わず表情が緩む。  エリートカウンセラーではなく、ただ恋人を愛しく思う平凡な一人の人間としての笑みだ。 (煜瑾(いくきん)…)  その名を心の中で呟くだけでも、胸いっぱいに幸せな気持ちが満ちる。これほどに、深く、豊かで、崇高な愛情を得て、文維は自分がこの上ない幸運に恵まれていると思う。  もしも、美しく、清らかで、高貴な唐煜瑾(とう・いくきん)との出会いがなければ、自分もまた先ほどのクライアントのように孤独な人生を生きていたと、文維は気付いた。そのことが、彼に同情心を感じた理由かもしれない。  デスクの上の内線電話が鳴った。  文維が受話器を取ると、相手はもちろん張女史だった。 「新規のクライアントは、20分で到着するとのことです。お名前は、范青䒾(はん・せいい)…」 「…范…、青䒾?」  その名に、文維は覚えがあり、思わず反復した。 「ええ。お知り合いですの?」  クールな文維にしては珍しく、あからさまな声の変化に、怪訝そうに張女史は聞き返した。 「え、ええ。古い友人です…」  そう答えて、文維は困ったように黙り込んだ。そこに複雑なものを感じた張女史はそれ以上何も言わずに、「范青䒾」を迎えるために内線電話を切って、外線のボタンを押した。

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