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第10話

 診察室で1人になった文維は、午前のクライアントの予約を確認し、準備を済ませた。間もなく、予約をしている政府高官の夫人がやってくるはずだ。  それまでの時間、文維はまたも、この同じ場所であの恐ろしい告白をした范青䒾を思い出した。美しくて、清楚に見えて、残酷で、冷徹で、まるで悪魔のように魅力的な女性だ。  その彼女が、文維に自身の離婚理由を告げた。 「私、離婚したの。…私の、過去の『遊び』が原因でね。自業自得だわ」  そう言って自嘲的に笑った彼女の絶望的な眼の光が、文維には忘れられない。  その時、ドアがノックされた。  ビジネス用の笑顔で李夫人を迎え、文維はカウンセラーとしての責務を果たした。 ***  午前の全てのセッションを終え、文維は長めの昼休みを取り、范青䒾が宿泊する金茂(ジンマオ)タワーのホテルへ迎えに行き、同じ新浦東地区にあるレイモンド医療センターの外来診察棟へと向かった。 「大丈夫?」  少し息苦しそうな范青䒾の手を取り、文維は受付までエスコートした。范青䒾から預かった書類の入った大判の封筒を提出し、細やかに手続きをし、保険の説明などまで手伝った。  彼女はここで診察を受け、状態によっては入院も考えていた。  受付を済ませ、診察室の前まで来ると、文維は彼女を待合席に座らせた。 「迷惑…お掛けするわね」  力の無い声で范青䒾は言った。 「心配しないで。君は私のクライアントだ」  静かに文維がそう言うと、彼女は悲し気に微笑んだ。 「友人とは、言ってくれないのね」 「それが無理なのは、君が一番分かっているはずだ」  紳士的な文維の思わぬ切り返しに、范青䒾は一瞬目を見張ったが、すぐにシニカルな笑みを浮かべた。 「包医生(せんせい)…」  その時、白衣を着た小柄な女性が文維に声を掛けてきた。 「香蘭(こうらん)…」  文維は、よく見知った検査技師の魏香蘭(ぎ・こうらん)に、ホッとしたように頬を緩めた。  このレイモンド医療センターは、文維の先輩である楚雷蒙(レイモンド・チュー)が代表を務める総合医療センターだ。レイモンドと親しい文維は、自分のクライアントが心理的だけでなく物理的な医療技術が必要となった場合のために、このセンターと提携していて、クライアントを紹介することがあった。  文維自身、優秀な医師でもあるので、簡単な採血などをクリニックで行ない、このセンターの検査部門に分析を依頼することもある。  そのため、有能な技師である魏香蘭とは顔見知りで、信頼を置いていた。  受付で預けた採血のサンプルも、この魏香蘭技師の手に渡るよう手配していたのだった。 「もう、結果が出たのですか?」  穏やかで、優しい声で文維が言うと、難しい顔をしていた魏技師も、ぎこちなくほほ笑んだ。

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