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Zee Deveel ON STAGE / # 11. 侵入
チューリヒに続いてミュンヘンで公演を行ったバンドとそのスタッフの一行は、三週間と二日ぶりにプラハへと帰ってきた。二日後、プラハ九区にあるO2アリーナ、旧名称サズカ・アリーナでの公演まで、暫しの休息である。
ミュンヘン空港から直行便でヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に降り立った一行は、その場でとりあえずの労いの言葉をかけ合って散り、大荷物をタクシーのトランクに積みこんだクルーと一緒にそれぞれの自宅へと帰っていった。
青々と生い茂る樹々に挟まれた道路を走る車内で、ルカは振り返り後続のタクシーを確認した。テディは空港で、家に戻るとロードにでている気分が途切れてボルテージが下がると云い、ロニーにホテルを手配してくれと頼んでいた。しかしルカは、一緒にヴィノフラディのフラットに帰るようテディを説得した。テディは気に入らない様子で頑なにそれを拒否していたが、そんな態度をされればされるほどルカとしては納得がいかず、譲る気は起きなかった。
なにしろパリでじっくりと話をして関係を修復し、結婚の件ももう少し考えて返事をすると云っていたのに、その後いきなりテディの不機嫌がぶり返してさっぱりわけがわからないのだ。
家に帰って、もう一度ふたりでゆっくりと話をする必要がある――どうもテディは自分に対してだけ冷ややかだったり刺々しかったりするようなのだが、そんな態度をされるようなことを云ったりやったりした覚えはまったくない。まだツアーも半分以上残っているというのに、いつまでもこんな状態では困る。今のところステージはいつもどおり熟しているとはいえ、そのうち演奏にだって影響しかねない。
ヴィトとブルーノが荷物を運び終えたら小遣いをやって、さっさと帰ってもらおう。そんなことを考えながらルカは一定の距離をおいてちゃんとついてくるタクシーにほっと息をつき、前を向いて坐り直した。
「――だから、いったいなんだってそんなに苛々してんだよ。思ってることがあるならなんでも云えばいいじゃないか。ほら、云ってみろよ」
「別になんでもないって云ってるだろ。だいたい、俺がなにか云ったってルカはいっつも尤もらしいこと云って、さも自分はなーんにも悪くありませーんって感じで人を丸めこんで話終わらせるじゃない。もう嫌 なんだよ、そうやってごまかされるのは!」
エントランスにブルーノたちの運んでくれたラゲッジなどの荷物を置いたまま、ルカはリビングに入ることも叶わずテディと揉めていた。こんなふうにまた口喧嘩するつもりなどなかったのに、どうしてもテディと建設的な話ができない。テディの云うようにごまかすもなにも、自分は彼がいったいなにに不満を抱いているのか見当もつかないのだ。それを話してくれないことには、どうしようもない。
「なあ……俺、本当にわからないんだ。もしも俺がなにかおまえの気にいらないことをしたんなら教えてくれ。これまで、車で出かけるのとか料理なんかもそうだけど、俺はちゃんと改善する努力はするじゃないか。なんでそうやってただ怒ったり、泣きそうな顔になったりするんだよ。頼むよ」
エントリーホールで向かいあって立ったまま、どうして結婚の話までした自分の恋人はこんなにも頑ななのだろうとやるせなくなる。せめて疲れを癒やすためお茶くらい淹れて、ソファで坐って話ができれば少しは違うかもしれないのに。
「……とりあえず、今はなにも話すことなんかないよ。じゃ、もう俺行くよ……荷物、このままここに置いといて。プラハを発つとき、またブルーノに取りに来てもらうから」
「行くっておまえ、いったいどこにだよ。またユーリのところか?」
ドアノブに手を掛けたテディに慌てて云う。するとテディは少し考えるように小首を傾げた。
「……わかんない、そうかも。ユーリといると……なんにも考えないで、楽にいられるんだよ」
「俺とは楽じゃないっていうのか?」
思わずそんな言葉が口をついた。テディと目が合う。ルカは後悔した。テディは予想したとおり、こう答えた。
「――そうだね。きついよ、いろいろと」
ドアを開け、テディが出ていく。
ゆっくりと戻り、ばたんと閉まったドアに、ルカは「……なんなんだよちくしょう!」と、八つ当たり気味に蹴りを入れた。
一夜明けて。
バンドはオフだが、ルカはいつもロニーが出勤している朝の九時前に、事務所にやってきた。ツアー中でもプラハにいる限りはいつもと同じだろうという読みは当たっていて、ロニーは道すがら買ってきたらしいコーヒーショップのプラスティックカップを片手に、書類と格闘していた。
「あら、おはようルカ。どうしたの?」
「差し入れ」
そう云ってデスクに近づき、ルカはけっこうな重さのあるスーパーマーケットの袋をどんと置いた。
「差し入れ? ありがとう……でもこんなに?」
目を丸くしてロニーは中を覗き――「これなあに? スープ?」と顔をあげた。
「ああ、そのスープジャーの中身は四つとも鶏粥だよ。あとは海老のマヨネーズ和え と青菜炒め と、焼売」
そう云うと、ロニーはじっと目を見つめてきた。
「なんだよ」
「ぜんぶテディの好物じゃない。テディは?」
「さあ。あいつはメシどころか、結局うちには入りもしなかった。せっかく旨いもん作ってやろうと思って、ペトラさんに買い物しといてもらったのにさ」
「え、テディ一緒に帰ったんじゃなかったの?」
「いちおう家 まではついてきたけど、荷物だけ置いてどっか行った。ま、どうせユーリのところだろうけどな」
じゃ、仕事の邪魔はするつもりないからとルカが帰ろうとすると、ロニーが云った。
「待ちなさいよ。どうせやることもなくて暇なんでしょ。もう少ししたらサズカ・アリーナへ会場チェックに行くから、一緒にどう?」
なにかしているほうが気が紛れると、ロニーが気を遣ってくれているのだとルカにはわかった。
「じゃあ、コーヒー飲んで待ってるよ」
ルカはそう云って、キチネットへ向かった。ちょうどそのとき、ドアが開いて「おはよう」「おはようございます」と、エリーとパティが入ってきた。
「ルカもおはよう」
「やあ、おはよう。差し入れがあるんでよかったら昼にでも」
「差し入れですか? ありがとうございます、でも今日ってミーティングかなにかありました?」
そう尋ね、あ、コーヒーなら私が、と云ったパティに「そういうわけじゃないわよ、ルカの好意」とロニーが答える。すると。
「え、でも……」
困ったような、不思議そうな顔でパティが室内を見まわし、言葉を濁した。
「なに?」
「あ、いえ、なんでもないんですけど……今、テディとユーリもここに入ってきたみたいだったので……」
「あいつらが?」
ルカは眉をひそめ、すたすたとドアに近づくと部屋を出ようとした。だが――
「待ってルカ。……ふたりとも、もう帰るみたい」
ロニーが椅子から立ち、デスクの背後にある窓から外を見下ろしていた。エリーと、一寸遅れてルカもそれに倣うと、確かに見慣れた後ろ姿が肩を並べて歩いていくのが見えた。
なんだあいつら、と目で追っていると、舗道を遠ざかっていくふたりの向かう先にバイクが並んで駐められてるのに気がつく。
「まったく……ツアー中は事故でもあったら大変だから、バイクには乗らないでって云ってあったのに」
ロニーがぼやく。ふたりはヘルメットを被り、バイクに跨ると乾いた排気音を響かせて、程無く視界から消え去っていった。
「……なんだったんだ? いったい」
「ここには来てないわよ。ほんとにこの建物に入ってきてたの?」
この建物のなかは、ジー・デヴィールを擁するレーベルであるポムグラネイト・レコーズと、その親会社がこの事務所のあるフロアの半分を使用している。他は一階表通り側にテナント、その上にいくつかの小さなオフィスがあるだけで、ほとんどはただの住居だ。
「トラムを降りたとき、入っていくのを見た。間違いない」
エリーまでがそう云うなら見間違いなどではないだろう。しかし、ここに来ていながら事務所に寄らずに帰るとは、いったいどこになんの用があって来たのか――
「……もう、放っとけ」
ルカは肩を竦め、溜息をつきながらソファにどかっと腰を下ろした。
明日の公演のため、サズカ・アリーナには巨大なイントレやトラスなどが運びこまれ、ステージを設営する作業が行われていた。
基本となる部分の建て込みが終わると、次は演出や装飾のためのセットの組み込み、そして照明器具の設置や機材のセッティングとなる。今回のプラハ公演の場合は、前日がこうして空いていたので設営をするための時間に余裕があるが、会場が公演のある当日しか使えないことも少なくない。その場合、早朝から設営を開始、午後にはバンドがリハーサル、ライヴ本番終了後から深夜までかけての撤去作業というハードスケジュールとなる。
ルカは少し離れた安全なところから、大勢のスタッフが着々と自分たちの立つステージを造りあげていくのを眺めていた。自分が彼処に立ち、スポットライトに照らされオーディエンスの歓声を浴びることができるのは、公演ごとにこんな大変な作業を繰り返してくれている、彼らのおかげなのだ。
建てて完成したら終わり、というのじゃなくて、またばらして運んでまた建てて……だから、気持ち的にもしんどそうだよなあ、なんてルカが思っていると、そこへロニーが早足にやってきた。
「お待たせ。こっちの用は終わったわ……どう? もう少し見ていく?」
「いや、もういい。……ロニー」
「なあに?」
ルカは作業の様子をまた見やり、云った。
「ロニーには手間かもしれないけど……」
「うん?」
「彼ら全員に差し入れをすることは可能かな」
少し気恥ずかしげに、ルカはロニーの表情を窺った。ロニーは一瞬マスカラで濃くした睫毛をぱちりと瞬かせ、そして笑みを浮かべて頷いた。
「今から人数分のデリバリーやケータリングを手配するのは難しいかもしれないけど……そうね、近くのレストランやファストフード店に声をかけて、スタッフパスを持ってるお客のぶんを後でまとめて請求してもらうようにすればいいわ。お店にそれを了承してもらえたら、みんなにそれを知らせておくから」
「なるほど。じゃ、俺が払うからそれで頼むよ」
「わかった。……ルカ、あなたは本物のスターね」
照れくさくて後ろを向き、ルカは「じゃあ頼む。俺はその辺ぶらついてから適当に帰るよ」と手を振り、ロニーと別れた。
* * *
仕事を終え、エリーたちが帰るのを見届けて事務所を閉めたあと。ロニーはいったん帰宅し、車を置いてひとり、夕食のため近くのホスポダに行った。
地元民と観光客の両方で賑わう店内に入り、比較的空いているカウンター席に腰を落ち着ける。すると、すぐに馴染みの店員が声をかけてきた。
「やあ、いらっしゃい」
「こんばんは。今日のお勧めは?」
「タタラーク かな。新鮮でいい牛肉が入ってるよ、食べないと後悔するね」
タタラークというのは牛のタルタルステーキのことである。チェコではこれに生大蒜 と、トピンカ と呼ばれる薄めに切った黒パンをかりかりに揚げたものが添えられる。トピンカに大蒜を摺りこむように塗りつけ、玉ねぎのみじん切りやスパイスなどで味付けされた牛肉のタルタルを乗せて食べるのだが、ビールがすすむこと請け合いだ。
ロニーはそれと、カマンベールチーズのマリネ を注文した。ピルスナーウルケルが注がれたころんと丸いビアマグは、話しているあいだにもう前に置かれていた。
チェコの定番料理を摘まみながら、ロニーはビールを二杯飲んだ。今日も一日がんばったぞと自分を称える、ほっとできるひとときだ。プラハハム といっしょにもう一杯おかわりを頼もうか、どうしようかとロニーが迷っていると――テーブルに置いていたスマートフォンが振動し、手帳タイプのカバーの隙間から光を溢した。
誰かしら、と思いながら手に取り、カバーを開く。画面にでているのはルカの名前だった。あら、とグリーンのアイコンをタップし、耳に当てる。
「はぁい、どうかした?」
『どうかしたどころじゃねえよ。飲んでるのか?』
なにやら真剣なトーンのルカの声に、ロニーはいい気分でだらりとしていた姿勢を正した。
「う、うん、飲んだけど……なに、なにかあったの?」
『空き巣に入られた。部屋のなかが滅茶苦茶なんだ、まいったよ』
「ええっ!?」
まさかの事態に驚き、一瞬言葉を失う。「そ、それで……警察には連絡したの? なにか盗まれたりとかは」
『通報はさっきしたばかりなんだ、警察はすぐに来るって云ってた。なにか盗られたかどうかもこれからだよ、まあ見事に荒らされててさ』
「テディは?」
『今朝見たっきりだよ。でもなにかなくなってないか、確認させなきゃいけないかもな。……とりあえず明日のこともあるし、連絡だけしておいたほうがいいかと思ってかけたんだ』
「もちろんよ。っていうか、今からそっちに行くわ」
『ああ、そうしてもらえるとたすかる』
ルカとテディのフラットに空き巣? ロニーはまたストーカーや狂信的なファンの仕業じゃないでしょうねと、厭な予感に慄きながら会計を済ませ、急いで店を出た。
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