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Zee Deveel ON STAGE / # 12. ターゲットはルカ?

 ルカの待つフラットに着き、ロニーがタクシーを降りたとき。ナトリウムランプではない眩い街灯に照らしだされているアール・ヌーヴォー様式の建物の周りには、ライトブルーのランプを灯したパトカーが三台停まっていた。ロニーはエントランスに立っている警官に関係者だと話して入れてもらい、ルカの部屋へと急いだ。  部屋の入り口にも警官がいて、もう一度さっきと同じやり取りをする。すると、はい、聞いていますと云った警官に、これをつけてくださいと靴を覆う白いカバーを渡された。チェコの多くの住人がそうしているように、ルカたちも家では室内履き(バチコリ)に履き替えることを知っていたが――見れば、警官たちも黒いブーツに白いカバーを被せて入室している。しょうがないなと、ロニーは云われたとおりにすっぽりとパンプスを履いた足をその袋状のカバーで覆い、しっかりと紐を結んだ。  ――ルカがテディのために築きあげたホームは、見るも無惨なほどに荒らされていた。入ってすぐのエントリーホールに設えられたクローゼットの扉は壊され、中のものもすべて放りだされて足の踏み場もない。見覚えのあるテディのラゲッジも開けて中身を空にしたうえ、内張りが剥がされていた。  そろそろと進み覗いたリビングは、白い羽毛がまるで溶けかけた雪のように疎らに降り積もっていた。テーブルは逆さにされ、ソファも置いてあった場所から移動し、ひっくり返されている。よく見ればソファもクッションも、ざくざくと切り裂かれていた。どうやら羽毛はクッションに詰められていたもののようだ。  そんな部屋のあちこちで、何人もの警官たちが指紋を採ったり写真を撮ったりしていた。  大画面のTVとトールボーイ型のスピーカーは倒され、棚の中のものも引っ掴んでは投げたように広範囲に転がっている。楽器も蹴り倒されでもしたのか、アコースティックギターのボディには穴が空き、テディのものであろうピックガードのないサンバーストのベースギターは、ネックが折れていた。  ロニーは部屋を見まわし、茫然と立ち尽くした。空き巣ってここまでするの? と、あまりのことに絶句する。 「ロニー」  ルカの声に振り向く。ルカは奥の寝室に繋がる廊下から、警官と一緒にリビングへ出てきた。制服姿の警官は防弾ベストを身につけていて、なんだかものものしい。 「ルカ……大丈夫? 空き巣って云うから、私……まさかここまで酷いなんて」 「酷いだろ。もう、なにがどうなってるやらさっぱりだよ」 「テディには?」  そう尋ねると、ルカは難しい顔をして首を横に振った。 「電話にはでなかった。いちおうこんな状態だってメッセージは送ったけど……」  ロニーはユーリに電話したほうが早いのではないか、と思ったが、口には出さなかった。 「わかった。あとで私からも連絡をとってみるわ」 「どうも、プラハ市警のロシツキーです……あなたは?」  バッジを見せながら声をかけられ、ロニーはビジネスモードの貌になってバッグから名刺を出した。 「ヴェロニカ・マルティーニ、彼の在籍するバンドの一切を任せてもらっています」  『ポムグラネイト・レコーズ( Pomegranate Records )』の文字とジー・デヴィール( Zee Deveel )のロゴが記された名刺を手渡すと、ロシツキーは少し驚いた顔をした。 「代表取締役?」 「肩書はそうだけれど、バンドのマネージャーと思ってくださって結構よ」 「なにかあるときは俺に直にじゃなく、彼女を通してくれるとありがたい」  了解しました、と頷いて、ロシツキーはポケットから手帳を取りだした。 「被害状況と足跡から、犯人は少なくとも四人以上はいたと思われます。ひとりがドアの外にいて、三人が中を荒らしたようですね。今のところ、犯人の指紋らしきものは発見できていません。おそらく手袋をしていたんでしょう。ドアの鍵には無理に抉じ開けられた形跡はなく、どうやらあちらの窓から侵入したようです。上のほうの階では皆さん、ついつい窓を施錠しなかったりしますが、屋上からロープなどで降りて侵入するケースがあるんですよ。先ずひとりがその方法で入って、中から開けて仲間を引き入れたのかもしれません。……ただ、この近辺で同じような侵入盗犯は今のところ確認できていないので、特にこの部屋……ブランドンさんを狙った犯行の可能性もあるかと」 「ここだけ? ……じゃあ、やっぱり偏執的なファンとか、ストーカーの仕業?」 「ああ、そういえば何年か前にもストーカー化したファンが起こした事件が――」  ロニーの言葉でロシツキーは、以前テディがひとりで暮らしていたフラットで起こった事件のことに思い至ったらしい。「そうですね……今回のこれもひょっとしたら、暴走したファンの仕業である可能性はありますね。これだけ荒らしたのも、なにか目当てのものがないかと探したのだと考えれば――」 「おいおい、そいつは変だろう」  いきなり背後から聞こえた声に、ロシツキーとルカ、ロニーの三人は一斉にそちらを向いた。警官ではない。カジュアルなチェック柄のシャツにチノーズ、肩からは黒いバッグ、頸からはカメラをぶら下げた背の高い、体格のいい男がいつの間にかそこにいた。 「なんだ、ここは立入禁止だ! 記者か? すぐに出ていかないと住居侵入と公務執行妨害で逮捕するぞ」  パパラッチか、とロニーはルカと顔を見合わせた。バンドの周囲には、いつもこうしたスターのプライベートなショットを狙うカメラマンが何人か張り込んでいる。ルカに張り付いていたパパラッチが、パトカーが来て何事かと思っていたところへ自分が駆けつけたので、ルカの部屋でなにかあったのだとわかりここまで入ってきたのだろう。 「ほら、早く出ていけ!」 「おっと、そう邪険にしないでくれよ。なあ、あんたもファンの仕業だと思うか? おかしいだろ、クッションの中にいったいどんなものが入ってるっていうんだ? それに、ファンなら真っ先に楽器を持って帰ると思うんだが、ギターはあんな状態だぞ?」  そう云ってその男は、ボディに穴の空いたアコースティックギターを指さした。ロニーは思わずルカとロシツキーの顔を順に見やった。ルカが眉間に皺を寄せ、頷く。 「……確かにそうだ。あそこに俺のハープも転がってるし、テディのベースもネックが折れてる。ここに入っておいてこんなことをするならファンじゃない」 「じゃあ、ふつうの金品目当ての泥棒?」 「カードの入った財布は俺、自分で持ってたから無事だよ。でも、まだ全部は確認してないけど、ブランドものの腕時計やバッグはそのへんにぶん投げられてた。散らかされた服だって、自慢じゃないけど安いものはひとつもないぞ。……あ」  なにかに気づいたのか、ルカがぴょんぴょんと器用に散らばったものを踏まないよう、キッチンのほうへ向かった。 「割れたものを踏まないように気をつけてください!」  ロシツキーに注意を促され、ルカはキッチンの入り口で立ち止まると、中にいた警官に向かって云った。 「誰か、そこの抽斗を開けてみてくれ。……いや、そこの食洗機(ディッシュウォッシャー)の左側の――そこに現金が入ってないか?」  暫しの間があって、ルカは眉をひそめながらこっちへ戻ってきた。 「……現金がキッチンに?」  ロシツキーに訊かれ、ルカは頷いた。 「ペトラさんっていう家政婦に通いで来てもらってるんだけど、その人に買い物をしてもらうのに現金を置いてて、ペトラさんは二千コルナ()だけ持っていったって連絡をくれたんだ。遣いやすいように一〇〇〇コルナ紙幣と五〇〇コルナ紙幣ばかりで八千コルナ、マネークリップで留めて入れてあった。抽斗を開ければすぐ目のつくところにあったのに、盗られてないのは変だよ」 「つまり六千コルナ、そこにあるわけか。まあ大金というほどでもないが、金品目的の窃盗犯ならそれだけのまとまった現金も腕時計も見逃すわけがない。だが――」  云いながら、パパラッチの男は床に落ちていたフォトフレームを拾いあげた。 「ふたりで写っている写真までこんな状態だ。絶対にファンの暴走なんかじゃない。なにか他に目的があって侵入したんだ……部屋を見まわしてみてどう思う? まるでなにか必死に捜し物をしたみたいじゃないか。悪意も感じる。ちょっと身辺に気をつけたほうがいいと、俺は思うね」  そんな意見を聞かされ、ロニーはぞくりと肌が粟立つのを感じたが――男がカシャカシャとシャッターを切っているのに気づいて、はっと我に返った。 「っていうかあなたね! さっき逮捕するって云われたでしょう!? なに撮ってるの、出ていきなさいよ!」 「カメラ没収するぞ! ほら、とっとと帰った帰った!」  ロシツキーに追い立てられ、パパラッチの男は持っていたフォトフレームをロニーの手に押しつけると、おどけたように肩を竦めながら部屋から出ていった。  その後、ひととおりの現場検証が済んだとのことで、いろいろ書類を作成する必要があるので署まで来てほしいとロシツキーが云った。ロニーはルカについて一緒に警察署まで行き、ルカがサインするように云われた書類に目を通し、わかりやすく説明した。日常生活にほとんど問題はないが、ルカは独学でチェコ語会話を身につけたので、読み書きのほうは苦手なのだ。  そして、ふたりがのんびりとしたお役所な為振(しぶ)りにすっかり疲れて警察署を出たのは、もう夜の十一時になろうかという頃だった。 「ありがとう、たすかったよロニー」 「いいのよ、でもほんと、大変だったわね……。そういえば、あなた今からどうするつもり?」  現場検証が終わったとはいえ、すぐにさっと片付けて掃除できるような荒らされ方ではない。歩くのにも苦労したような部屋で眠ることなど、とても無理だろう。 「ロニーんちに泊めて……っていうのは、もうまずいよな」 「みんな一緒ならともかく、ふたりっきりはまずいわね」  ロニーの住んでいるフラットはもともと三人でルームシェアしていた広さで、以前は事務所として使っていた。その頃は家で飲んだあとバンド全員が泊まったりもしたが、今は知名度や注目度が違う。さっきのようなパパラッチに写真を撮られれば、あることないことゴシップ誌に書かれないとも限らない。  ホテルをとるしかないか……と思ってスマートフォンを手に時計を見ると、同時にルカが云った。 「ホテル、今からとれるか?」 「電話してみるわ」  馴染みのところへ電話をかけ尋ねてみる。初めは、今からですか……と好感触ではなかったが、少し事情を話すとそれは大変でしたね、と快い対応に変わった。 「じゃあ、とりあえず今日はもうゆっくり(やす)んでね。明日は午後からリハだから……そうね、十時くらいにヴィトに着替えを持って迎えに行ってもらうわ」  そしてタクシーを呼び、ルカをホテルで降ろしてからロニーは帰宅した。  翌朝。  ロニーはいつものように身支度をすると、コーヒーショップに寄りベーグルサンドとアイスコーヒーを買って事務所に向かった。愛車のフィアット500は裏手に駐め、表に立っている守衛と笑顔で「おはよう」と挨拶を交わす。建物内に入るとロニーは、かつかつと響くヒールの音に、自らをビジネスモードに切り替えた。  バッグから鍵を出し開けようとして――ロニーは、ドアがきちんと閉まりきっていないことに気がついた。おかしいな、昨日帰るときに鍵をかけ忘れたのかしらと眉根を寄せ――厭な予感が忍び寄るのを感じつつ、ゆっくりとドアを開ける。  そして目に飛びこんできたその光景に、ロニーは顔を強張らせ、時間が止まったかのように動けなくなった。 「……嘘でしょ、まさかここも――」  バンドの皆が坐って寛ぐ大きなソファ、棚の中のもの、デスクにPC――事務所の中は昨夜見たルカの部屋と同じに、滅茶苦茶に荒らされていた。

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