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MEET & GREET / # 25. ステフとテディ
ザグレブを発ってからおよそ一時間ほどが経過した頃だった。ステフに云われたとおり機内Wi‐Fi を利用してSkype に接続し、期待を懸けずっと待っていたにも拘わらず、手にヴァイブレーションが伝わったときロニーはスマートフォンを放り投げてしまいそうなほど驚いた。
テキストメッセージではなく音声通話なことに気づき、すぐにでようとして――いい知らせなのか悪い知らせなのかと一瞬手が止まる。
「ロニー」
ゆったりとした機内の、通路を挟んで並んでいるシートからルカに声をかけられ、ロニーは深呼吸をして頷いた。でないわけにはいかない。悪い知らせであるわけがない――そう信じ、ロニーはグリーンのアイコンをタップした。
「はい――」
『ロニー、テディは無事に保護した。安心しろ、もうソフィアには行かなくていい』
応答するなり、そう簡潔に云ってくれたステフの姿が瞼の裏に浮かぶ。ロニーはあぁ、と両手でスマートフォンを包みこむようにして、ステフにハグをする気持ちで頬を寄せた。
「よかった……! 感謝するわステフ、本当にありがとう、ありがとう……!」
張り詰めていたものが解け、感謝の言葉以外でてこないロニーに、ステフはゆっくりと話を続けた。テディは大きな怪我もなく元気だが、いちおう病院へ連れていく。チャーター機の行き先を変更できるようなら、ベオグラード・ニコラ・テスラ空港で降りてくれれば迎えに行く。わかったと答え、ロニーはその場でキャビンアテンダント を呼び、その旨を伝えた。
ルカもほっとした顔でシートに凭れ、すぐにスマートフォンを取りだして誰かにメッセージを打っていた。おそらくユーリだろう。ロニーもステフとの通話はいったん切り、変更が可能かどうかの返事を待っているあいだにエリーに連絡を入れた。エリーは、自分に返事をするときはいつものとおりの話し方だったが、通話を切る直前『よかった……!』と泣きだしそうに震える声が聞こえた。ジェシに抱きつき、喜びあっていたに違いない。
そしてベオグラード・ニコラ・テスラ空港に向けて進路を変更しましたと知らせがきて、機は大きく旋回した。既に過ぎていたらしい。十分ほどで着きますよとCAに微笑まれ、ロニーは慌ててステフに知らせなきゃと折り返した。
「――テディ……!」
空港まで迎えに来たステフに連れられ、ロニーとルカが病院までやってきたとき。テディは処置室の前にある長椅子に、所在無げに坐っていた。ルカは駆け寄ってハグするかと思ったが、意外なことに姿を見て足を止め、ほっと笑みを浮かべただけだった。その代わりというわけでもなかったが、ロニーは立ちあがったテディに足早に歩み寄り、両手でぎゅっと抱きしめた。
「よかった、もうどれだけ心配したか……! 無事でよかった、本当によかったわ……!」
背後でルカがふっと笑うのを感じ、ロニーは身を離してテディの困った表情に苦笑した。
「無事でなにより。まったく……おまえは悪運が強いよな」
「悪運? ……そうなのかな」
テディはなにがおかしかったのか、ルカとこつんと拳を合わせながらくすっと笑った。ロニーはふたりの姿にほっとしながら、テディのいつもより白く感じる顔を見た。
少し顔色が悪いようだが、無理もない。きっとまともに食事もさせてもらえなかったのだろう。見れば両手首には縛られていた痕らしい赤紫色の痣がくっきりと残っているし、頭には痛々しい白い包帯が巻かれている。ロニーは、怪我はないんじゃなかったのとステフを睨んだ。だがテディは、これちょっと大袈裟なんだよと云って笑った。
「大丈夫だよロニー。これは、テープを貼るんで周りをちょっと剃りますって云われたから……やめてくれって云ったら、かわりにこうなったんだ」
「ああ、そういうこと……。でも、ほんとに大丈夫?」
「念の為レントゲンも撮って検査しましたが、どこも異常はないです。四針縫合しましたが、ステイプラーなので痕も殆ど残らず綺麗に治りますよ」
あとは精神面のケアだけです。今はなんともなくても後から影響がでる場合がありますので、カウンセリングは必ず受けてくださいね――いつの間にか傍に来ていた医師からそう説明され、ロニーはありがとうございます、お世話様でしたと丁寧に挨拶をした。医師はもうお帰りになって結構ですよ、お大事にと云い、ロニーはもう一度感謝の言葉を伝えると、テディたちと一緒に広い廊下を戻った。
「ずっとおとなしくしてれば、こんな怪我もしなかったのかもしれないけどね。俺、なんとか逃げだせないかと思って、いろいろやっちゃったから」
「いろいろって?」
エレベーターの前まで来て、階下 に向かうボタンを押しながら、ロニーは怖ろしい組織に監禁されていたのに、いったいなにをしたのと眉をひそめた。だがテディは、まるでコーラのカップに間違ってガムシロップを入れちゃったというような調子で、話を続けた。
「んー、高いところにある小さな窓から外を見たりとか……いろいろだよ」
「ああ、そういえばおまえ、チョコの話で捕まってるのはベオグラードだって知らせてきたよな。外を見てわかったのか?」
「いや、この怪我したのは外を見てたのがばれて張っ倒されたときだけど、ベオグラードだってわかったのは逃げて外まで出たときだよ」
「外まで? 逃げたの!?」
「うん、でもすぐに捕まっちゃったんだけどね」
エレベーターを降り、エントランスへと向かいながらロニーは本当によく無事にたすかったものだと、今更ながらにぞっとした。
「もう……テディ、あなた無茶しすぎよ。こうして無事に戻ってこれたからよかったようなものの――」
「まあでも、その無茶があったから居処もわかったんだけどな。それに――」
エントランスの扉を開けながら、ステフが云った。「無茶というならロニーも相当なもんだったぞ? あのときはまったく肝が冷えた」
ロニーはばつが悪そうに口先を尖らせてステフを睨み、テディは「あのときって?」と小首を傾げ、尋ねた。
「おまえが攫われたとき、ロニーは車に飛びついてそのまま引き摺られたんだ。気づかなかったか?」
ルカがさらっとそう話すと、テディは目を瞠ってロニーを見た。
「ほんとに? ちっとも知らなかった」
「……無我夢中だったのよ。冷静だったらたぶん、いくらなんでもやらないわ」
病院を出て、夏の眩しい太陽に目を細め、額に手を翳す。エントランスから程近いパーキングには、ここまで乗ってきたシルバーのオクタヴィアが見える。ポケットからキーホルダーをだし、指にかけてちゃらっと弄びながらステフが云った。
「さて、これからどうする? ザグレブに戻るのか、それとも今日は一晩ここに泊まるって云うなら、ホテルを手配するが」
ロニーはちらりとルカとテディの顔を見やり、少し考えた。もう陽が落ちる頃なら泊まることも考えたかもしれないが、まだ午前中だ。ザグレブに戻ってエリーやユーリたちと合流したとしても、あとはプラハに戻るだけだが――
「そうね、ザグレブでみんなと合流してプラハに戻るけど、その前にちょっとだけホテルで休憩するわ。どこかで着替えを一式買って、テディにシャワーを浴びさせてあげたいの。それに食事もしなきゃ……テディはもちろんだけど、私もルカも今日は朝なにも食べずに来たのよ。ベオグラードは私、初めてだし、なにか美味しいものくらい食べなきゃね」
「じゃあ、大きなショッピングセンターの近くにあるホテルを手配しよう。空港からもそう離れてない。食事はスカダルリヤ通りにお薦めのレストランがある。君らがここを発つまで付き合うよ」
「たすかるわ。でも、仕事のほうはいいの? 犯人、捕まえたんでしょ? いろいろやることがあるんじゃないの?」
ロニーがそう尋ねると、ステフは「ああ」と頷いた。
「今、まず間違いなくフラッシュメモリだろうってものを回収に行ってるんだ。その確認が済んだら仕事に戻るが……当たりだったとしても、引き上げ作業は明日の朝からになるだろうな。だから気にしなくていい」
そう云ってステフは、さりげなくエスコートするように、ロニーの背中に手をまわした。
「それって、やっぱりメモリはおまえが持ってたってことだよな。回収に行ってるって、いったいどこに?」
ルカがそう云ってテディの顔を見ると、彼は困ったようにステフを見た。
「プラハさ」
「……云わないでって云ったのに」
「この先は云わないさ。……でも、すぐにばれると思うがね」
そのやりとりを聞いて、ロニーは怪訝そうにテディを見つめた。
「ばれるってなに? テディ、あなたいったいメモリをどこに置いてたの?」
「置いてたんじゃなくて、隠してあるらしい。ま、責めないでやってくれ……テディは単に被害者ってだけじゃなく、何度もナイスアシストを決めた陰の功労者だ」
確かにチョコの話の件はそうかもしれないが、でもそのアシストのために危ない目に遭ったのに……と、ロニーはいまひとつ納得がいかなかったが。
それまで黙って話を聞いていたルカが、いきなり「わかった!」と声をあげた。
「わかったって、なにが?」
「喫煙室だろ。おまえ、ユーリと事務所の傍まで来て中には入らずにすぐ帰ったろ? あのときどこかに隠したんだ。なんでそんなことをしたのかはわからないけど……」
するとテディは笑いを堪らえるように口許を歪め、ちらりとステフを見た。
「ルカ、惜しいが喫煙室は外れだ」
「ステフ、云っちゃだめだってば」
「違うのか。でも、建物の中のどこかってのは合ってるんだな?」
ルカがそう訊くと、テディは一歩前に進んで振り返り、
「さあ、惜しいけどまだ違うかも」
と、意味深な笑みを浮かべた。
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