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第3話 普通に会話できる

 部屋を出たフリーは廊下に出ると左右に首を動かす。 (こっちから来たよな……)  広い廊下だ。それに雨なのにじめっとしていない。風が通っているというか、あきらかに空気が籠っていない。くすりばこと違い隙間など見当たらないのに、どういうことやら。 「あ。こんにちは」  前から来た黒羽織にぺこっと礼をして通り過ぎる。 「……」  無視された~とフリーが心で泣いていると、数歩進んだあたりで黒羽織は足を止めた。 「……迷子か?」 「え? ああ、いえ。ちょっと玄関まで」 「案内しよう」 「えっ」  目つきの鋭い方がUターンして前を歩く。迷う自信があったのでこれ幸いとついていく。 「助かります」 「いい。ボスの客人だろう? 良くしろと言われている」  黒羽織からチラ見えしている尻尾の先を見つめる。 「ついたぞ。ここは広くて迷う奴がたまにいる。迷ったら下手に動かず誰かが通るのを待て」 「あ、ありが――あれっ? いない!」  玄関に視線を移したほんの一瞬に、尻尾のヒトはいなくなっていた。 (瞬間移動?)  ドキドキ鳴る胸を押さえ、とりあえずリーンの姿を探す。  玄関を開けて外に出る。雨。何より風があり、久方ぶりに「涼しい」と感じた。 (暑くないってだけで、だいぶ楽だな。ほっとする)  風に当たっていたくて軒下で空を見上げる。首の後ろで結ばれた白髪が、風に踊る。伸びてきたので切ろうかなとニケに相談したところ、「中途半端な長さだと括れないし暑いぞ。僕みたいに」と助言をもらったのでこのままにしている。 (手入れめんどくさいんだよね……)  しかしこれでもマシにはなったなと思う。ディドールから椿油を貰う前は朝起きると髪がガサガサのぼっさぼさだったのに、塗り始めて何日か経つと次第に櫛の通りがよくなってきたのだ。 (ていうかここ、ヒスイさんがいるんだよね)  鼻先をくすぐる前髪をかき分ける。どこにいるのか見当もつかないが、いまどうしているのかが気になる。 「どうした?」  ぬっと玄関から出てきたのはオキンだった。背はフリーの方が少し高いくらいか。強大な存在ゆえに勝手に自分より長身だと思っていたフリーは、「あれ?」と思いジロジロ見つめてしまう。 「ん?」 「ああ。すいません。えーっと。竜の方」  人ひとり分あけて隣に立ったオキンは不思議そうに首を傾げる 「名乗らんかったか?」 「オキンってあだ名、気に入っていないんですよね? オキンって呼んでいいのかなって思いまして」  だからといって「竜の方」という呼びも自分でどうかと思うが、それしか出てこなかった。  オキンは小さく吹き出す。 「そうか。だが気遣いは不要だ」 「そうですか。オキンさん。避難させてくれて嬉しいです。ありがとうございます」  竜は鬱陶しげに息を吐く。 「構わぬ」  感謝の言葉など聞き飽きている者の声音だった。  オキンは雨雲を見上げる。 「それで? こんなところで何をしている? 迷子か?」  よっぽど迷うヒトがいるんだろうなぁと軽く頬を引きつらせ、フリーは何かを探すように背伸びする。 「リーンさん。まだかな~と思いまして」 「ああ。星影の」 「……」  金緑の視線を、オキンはさほど気にした様子もなく受け止める。 「そのようにじろじろ見られても、何も出んぞ?」 「おあっ、すいません……。」  見ていた自覚がなかったフリーは慌てて視線をそらす。  ――最強種とか、すごい生物とか聞いていたから、普通に会話していることになんか違和感があるんだよ……。  他の種族のためにオキンが頑張っていることなど知らないフリーは、なんだかな~と後頭部を掻く。  あ、そういえば。 「オキンさん。ちょっと聞きたいことがあるんですが」 「ん? ヒスイのことか?」 「心読みました?」  オキンは答えず、フリーの首根っこを掴むと家に入り、玄関内の段差の隅っこに座らせた。その横にオキンも腰掛ける。確かに成人男性二名が出入り口の前にいたら邪魔なのは分かる。……でもそんな物みたいに移動させなくても、言ってくれたら言う通りにしますよ。  しょぼんと膝を抱えるフリーの頭に、首にかけていた手ぬぐいをぽふっと乗っける。 「?」 「軒下とはいえ、ずっと立っていたら濡れるぞ」  ――もしかして、俺が風邪引かないように気を……  目を丸くするフリーに、オキンは胡乱な目を向ける。 「伯父貴から『白髪の子は雨に濡れただけで四散するクソ雑魚オキアミだから気を遣ってあげてね』と言われていてな……。雨にも風にも負けるとは、貴様は何の種族だ?」  立てた膝に顔を埋めて落ち込むフリーに構わず、オキンはこきこきと首を鳴らす。 「まあ、だいたいは察しがついておるがな。……そうそう。ヒスイだったな。あれはワシの子分に任せているから、生きているということ以外は知らん」  定時報告は聞いているがな、と付け加えのろのろ顔を上げる青年に一瞬だけ目をやる。オキンがかたくなに目を合わせようとしないのは、目があっただけで気絶されたことがあるからだ。 「オキンさんは、ヒスイさんをどうする予定なんですか?」  竜は自身の顎を撫でる。 「そうさな。腕は立つようだが、たいして珍しくもなく才もない者だ。本来ならさっさと灰にするかポイ捨てするかなのだが。子分共の頼みでもあるし、下働きとして置いてやる予定だ。今のところはな」 「今のところ……?」  顔を前方に向けたまま頷く。 「それで使えぬようならそばに置いておく価値もない。役に立たなかったら肉団子にして家畜の餌にするに決まっていよう。……冗談だ」  ダバダバと走り去ろうとした白い着物を掴む。 「なんで怖いことを言うんですか」  涙が滲んだ瞳でぎっと睨む。  オキンはくつくつと喉の奥で笑う。 「からかっただけだ。そう怒るな。許せ」 「なにオキアミ虐めて遊んでるんです」  先ほどの赤髪の女性、ペポラが顔を出す。 「虐めなど人聞きの悪い」  ボスの言葉を聞いていないのか「さあ入って」と、ペポラは少年の背を押す。 「星影、来ましたよ」 「先輩!」  誰よりも早く反応したのはフリーだった。 「よう。フリー。遅れて悪かったな」  気まずそうに片手を挙げる。  現れたリーンはずぶ濡れだった。この雨の中、笠も付けずに歩いたのだろう。濡れた着物は湖面に映る星空のように波打っている。濡れるとこんな風になるのかと、オキンは感心した。  約一名だけ、着物を気にも留めず飛び掛かろうとする。 「イエエエエエッ! 会えて嬉しいハグーーーっ」 「うぜえええ引っ付くな! 濡れるぞ! 俺様がずぶ濡れなのが見えんのか」  飛びついてきた長身を玄関の外へ投げ飛ばす。  飛んでいった後輩を見もせずに、リーンはオキンに頭を下げる。 「お、お邪魔します。オキンさん。遅れてすみません」  邸の主ははあとため息をついた。 「そのようなずぶ濡れで、我が邸内を歩こうというのか?」  低い声にぎょっとし、リーンは「ですよね……」とばつが悪そうに一歩下がる。  オキンは仕方なく子分に命じる。 「ペポラ。こやつらを湯に放り込んでおけ」 「……はっ。ぎょ、御意」  じぃーっとリーンの着物を見つめていたペポラが、「いかんいかん」と頬を叩く。珍しい反応に、オキンはニヤニヤ笑いを浮かべる。 「ほお? 宝石にも花にも興味を示さなかった貴様が。星空に見惚れるか。可愛らしいところがあるではないか」 「……ふ、風呂ね! 了解了解!」  顔を赤くしたペポラが、リーンと花畑まで吹っ飛んだフリーを掴んで風呂場へ走る。 「ふっ」  竜は短く笑い、玄関の扉を閉めた。  脱衣所に放り込まれる男子二名。 「汚れた着物は籠(カゴ)の中に入れておいて。纏めて洗うから」  と言って去って行く。上の立場の方なのか、何かと忙しそうだ。 「はーい」 「ありがとうございます」  去って行く背にお礼を言い、リーンたちは脱衣所内を見回す。 「すげーな。ここだけで俺の家よりでかくね? でかいな」 「規模が違いますなぁ」  一言感想を述べただけで、フリーは脱いだ着物を適当な籠の中に押し込んでいく。早くお風呂に入りたい。  着物を置いておくと盗まれてきた過去のせいでなかなか脱ぐことが出来ないリーンは、もうほぼ全裸の後輩を見上げる。 「ていうか、なんでお前まで風呂に入るんだよ」 「え? 先輩に投げられたおかげで泥だらけなんですが? 見えないんですかこの泥が。先輩こそなんで滝行して来てんすか」 「してねえわ! ドールさんに『オキンさんとこに行ってらっしゃい。あたしは守られるほど弱くないから』って笑顔でフラれたんだぞ。……そのあと、笠もなく歩いていた女性に笠譲ったから、この有様だよ」 「雨の中笠も付けずに……? それ幽霊とかの類じゃないんですか?」 「幽霊でも女性だろ。悔いはない!」  ブレない先輩に「あ、はい」と頷いておく。髪を団子状に束ね、オキンから借りたままだった手ぬぐいを頭に乗せる。

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