16 / 36

第16話 新たな上司

 ふと気になったフリーは、かわいく欠伸しているニケに目を向ける。 「ねえ。凍光山は大丈夫なのかな? スミさんの村とか」 「むにゅ……?」  あ、だめだ。ニケがお眠(ねむ)だ。瞼が半分下りている目を擦っている。ぐへへへへ可愛い。 「もう寝ようか」  返事がないニケを抱き上げる。フリーの腕の中。幼子は布団に入ったかのような安らかな顔でぷうぷうと眠ってしまう。  リーンは室内を見回す。ベッドはふたつ。なるほど。 「じゃあ、俺は床で寝るんで。おやすみ」 「待って。せっかくオキンがクイーンサイズのベッドを用意してくれたんだ。二人ずつ寝ればいいじゃない?」  布団で寝たくないリーンと絶対一人で寝たくないおじいちゃんの戦いが始まる。 「誰かと寝るなら俺様はニケさんと寝るわ。お前、キミカゲ様と寝ろよ」  ニケを抱いたまま一歩下がる。 「はああん? ここはキミカゲさんの部屋ですよ? 俺とニケと先輩が一緒のベッドで、キミカゲさんが悠々と一人で寝てもらう場面でしょ」 「お前が良い思いしているだけだろ、それ! なんでホラー物質と一緒に寝なきゃいけないんだよ」 「ホラー物質って何っ? いいじゃないですか。両手に花をさせてくれたって」  フリーとリーンの戦いになっている。  若者の勢いに口を挟めずおろおろするだけだったが、眉間にしわを寄せたニケが身じろぎした。 「ううん……もう。うるしゃぃ……」 「「「……」」」  結局、フリーとニケ。キミカゲがベッドに入り、リーンは床に転がった。カーペットがふかふかなので若干落ち着かないが、ベッドよりはマシである。 「リーン君。せめて掛け布団だけでも……」  ふかふかの布団を下ろそうとしてくれているが断った。 「いりませんよ」 「今日は冷えるよ?」 「おやすみなさーい」  ゴロンと寝返りを打ち、リーンは背を向けてしまう。 「んもう」  子どもって体温高いんだから。  あきらめてキミカゲも布団を被って目を閉じる。 「……お邪魔します」 「あれ?」  寂しくなったのか、キミカゲがフリーたちと同じベッドにいそいそと入ってくる。 「せっかくベッド一人で使えるのに? キミカゲさん?」 「ふふっ。あったかい」  ぎゅっとキミカゲが腕を回してくる。お子様は好きだが大人に抱きつかれると落ち着かない。なんだかもぞもぞする、心が。それでも嫌なわけではないと思うので……やはり落ち着かない。なんだこの気持ちは。  こんなんで眠れるかな~? (うむむむ……)  悩んでいたのにニケの寝顔を見ていると五分後には眠っていた。ニケの寝顔には安眠効果がある!  ニケとおじいちゃんに抱きつかれ、就寝一時間後には布団を蹴っ飛ばしていた。  翌朝。  台風メリネはまだ尖龍国上空にいるようだ。朝と思えないくらい、暗い。  雨は止んだようだが、看板やら旗やらが視界を横切っていくので風は当分止まない気がする。風で飛びそうなものは室内に仕舞っておくよう、見回り組が言っていたはずだが。家に入りきらなかったのか。はたまたうっかりさんがいたのか。  あれらを回収するのも自分の仕事なのだと思うと、 「はあ……。だっる」  雨戸を閉め、見なかったことにした。  おぞましい身体を手早く着物の中に押し込め、鏡の前で身支度をする。  鏡に映るのは色んな魔物が混じったような異形。吐き気がするので目元を包帯でさっさと覆ってしまう。左右で大きさと形が異なるバケモノのような瞳。いっそ抉ってしまおうかと、何度思ったことか。結局そんな勇気はなく鏡(相手)の方を割る始末。  ボスの下についてから鏡を割ることはなくなったが、最初の頃はよく割っていたな。 「……」  鏡面を撫で、混血児・ベゴールリブラは口元だけで笑う。何に笑っているのか。魔王か神のように世界を滅ぼす力があるなら迷わず滅ぼすであろう。ベゴールには世界に優しくする理由がない。そんな憎悪に塗れていたはずの自分が、止まり木を見つけただけでこんなにも。心にこびりついていた憎しみがどろどろに溶けている。そんな簡単な自分に嗤ってしまう。 「そういえば、また新入りが来たんでしたよね……」  闇の民の次は宙の民、か。そろそろ全種族コンプリートしそうな勢いである。  他種族が一か所に集まれば、価値観や道徳、理の違いから揉め事や衝突があって当たり前なのに、一部を除いてボスの下ではそんなことは起こらない。  なんて、つまらないんだ。 (醜く争い喧嘩してくれていると、楽しくていいんですけどね……)  それを眺めるのが好きだ。醜いのは自分だけではないと、安心できる。  ボスは死にたがりのべゴールに、とにかく趣味や好きなこと、やりたいことを見つけろという。なんて酷い。死にたいと言っているのだから、殺すのが貴方の役目だろう。……今思えばめちゃくちゃな感情をオキンにぶつけていたと思うが、そうしないと、いや、それ以外を知らなかったのだ。 「おっと。もう時間か」  ボスに呼ばれているんだった。かけてある黒い羽織を手に取る。  やたらでかい骨格しかない羽――飛行できるわけではないのでとにかく邪魔なだけである――骨羽を折り畳んでから羽織る。どれだけ折りたたんでも仕舞えるわけではないそれが、羽織を内側から押し、背中が歪に膨らんだように見せる。 (ああ、醜い。醜い)  ふるふると髪を横に振る。自分のすべてを否定する。どこを切り取っても醜い身体。嫌悪感しかない。 「しかしなぁ……」  傷つくのも構わず、がりがりと尖った爪で顎を掻く。  オキンに保護された当時。ボスは興味深そうに眺めるだけで汚い言葉は吐かなかった。それどころか贈り物の包装紙を開けたがる顔で「抱いて良いか?」と聞かれさすがに逃げた。超逃げた。  あの頃を思い出しては苦笑する。 (ボスも物好きな。私を抱くくらいならまだ芋虫やムカデを抱いた方がマシでしょうに……)  やれやれと部屋を出る。いまだに好きなことも趣味もやりたいことも見つからない。見つける気が、ないのかもしれない。目標もやりたいこともない自分にとって、世界は広く乾いて見える。  ベゴールにとって何の価値もない調度品が並ぶ中、彼の身体に合わせてボスが作った古びた椅子だけが、大事そうに中央に置かれていた。 「では、自己紹介をするがいい」  ボスの部屋に行くと、緊張した面持ちの少年がいた。風呂場の前で会ったな。  夜空を切り取ったような煌びやかな着物を身につけている。いかにも純血の星影と言った容姿だ。はいはいはい。整っていてイイですね。きっと何の悩みもないのでしょう。魔物の血が混じっていないって、いいですねー。幸せですねー。はいはい。  心の中で皮肉を全開にしながらも表面上は穏やかに笑ってみせる。 「話は聞いておりますよ。はじめまして。私はベゴールリブラと申します。好きに呼んでください」  握手をしようと、すっと竜のものに見える腕を差し出す。  本来は立場が下の新入りから挨拶をするものなのに、つい悪戯心が先行してしまった。まあ、いいか。  さて、これを見てこの少年はどんな表情をするのでしょう。「うへぇ」とそのきれいな顔を歪めてくれれば最高だ。 「……」  ニタニタ笑う困った子(べゴール)に、オキンは内心でため息をつく。  異形の腕を見た星影の少年は、どこかホッとした顔を見せた。 「ご丁寧に。お、私は星影のリーン……じゃなかった。リンアンルギンと申します。よろしくお願いします」  ベゴールを見上げ、ガッと勢いよく両手で竜っぽい腕を掴んできた。 「ひっ!」 「え?」 「ふっ」  これには、手を差し出したべゴールの方が驚いてしまう。ぽかんとするリーンの横で、ボスが顔を背けて笑っている。 「手をっ、放せ、手を!」  慌てて少年の手を放し、ベゴールは飛び退く。その慌てぶりを見てリーンは困惑する。握手しようと手を出されたから握り返したのに、手を放せと言われればこういう顔にもなる。  男なのでどうでもいいけど。リーンはしれっとした顔に戻る。  部屋の隅で威嚇する猫のように毛を逆立てているベゴールに、戻って来いとボスが手招きする。 「この少年は探し物があるとか。貴様の下につけるから、情報を収集する能力と、ついでに貴様の神懸かった身隠しの術を仕込んでやるといい。……リーンと呼ばれていたが、ワシもそう呼んでも構わぬか?」 「え? はい。どうぞ」  頷くリーンの頭にボスは手を乗せる。大きな手だ。 「うむ。貴様も良いな? べゴール」 「めんどくさいんで、嫌です」  ボス相手だろうと、きっぱりと断る。  リーンはぎょっと竜のおじさんを見上げた。てっきり黒羽織はオキンの指示には絶対に従うものだと勝手に思っていたために。というか、竜の言葉を拒める生き物がいるとは。  リーンの心配をよそに、オキンは反抗期の息子を見るようなあたたかい眼差しだった。が、ベゴールからすれば知ったこっちゃない。  これ以上、部下が増えるとか勘弁願いたいのだ。  ぺこっと頭を下げ、出て行こうとする反抗期息子の背中を捕まえる。 「――と、このようにこいつは人見知りで照れ屋なのでな。まあ気にせず、何かあればがんがん質問するがよい」  竜の手から逃れられるはずもなく、それでもまだ出て行こうとしているので足だけがシャカシャカとその場で動いている。  そんな華やかさの欠片もない新たな上司に、リーンは小さく頷いた。 「あ、はい」

ともだちにシェアしよう!