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第19話 うっかりマダム

「はあはあ、はあはあっ……」 「な、なななんですか!」  金緑の瞳はベゴールの腕に固定されている。それに気づき、ベゴールはさっと腕を背後に隠す。そのせいか、キラキラした瞳が自分の顔に向けられる。 「え? なんで隠すんですか? す、素敵な腕ですね。触って、いえ、撫でていいですか? ねえねえ。見せてくださいよ」 「……~~~ッ!」  迫ってくるな。  声を出せず歯を喰いしばっていると、情報部の紅一点が両手を広げて割って入った。 「や、やめてください! この図体で、長は人見知りで恥ずかしがり屋さんなんですから。いじめないであげてください」  ちまっとした女性が間に入ったおかげで、フリーの目線がぐんと下を向く。そしてハッとする。その女性の頭部にある黒と茶色が混じった丸っこい耳。 「その耳はっ!」 「え?」 「あ、あああ赤犬族ですか?」  ぽかんとしながら、女性は首を横に振る。 「この尾が見えないですか? 私は葉狸(はたぬき)族ですっ」  たぬき顔の女性がぷうっと頬を膨らませる。羽織から覗くぶっとい毛の塊。黒いギザギザ模様が西瓜のような狸の尻尾。 「ぐうっ」  何故か膝をついたリーンに、先輩二名が駆け寄る。 「おい」 「どうした? 差し込みか?」 「くっ。……可愛い。俺はドールさんのような童顔女子に弱い」  先輩は顔を見合わせる。 「ドールサン?」 「……あれじゃね? 洗濯屋の。洗福(あらふく)の」 「ああ……。あの、いつも元気な」  葉狸族の女性は猫のように尾を立てて怒る。 「童顔って、失礼な! 私はれっきとしたマダムよ。上の子は二歳になったんだから」  リーンは冷や汗を流す。 「その中学生な見た目で人妻子持ちだとっ?」 「尻尾モフらせてもらっていいですか?」  先輩二名によってフリーだけ閉め出された。廊下が冷たい。 「あれ? 何故です? 別にアウトなこと言ってませんよね? セーフですよね?」 「アウトだよ」 「人妻尻尾に興味持つんじゃない。キミカゲ様の部屋に戻りなさい」  往生際悪くカリカリと戸を引っ掻く音が聞こえるが、背筋が冷えるので開けない。  葉狸マダムは聞き慣れない単語に、眉間にしわを寄せる。 「ちゅうが、くせい?」 「あー……えっと」  地上ではなじみない言葉だった。リーンが説明する前に、先輩の片方が口を開く。 「百歳未満の未成年……俺らで言うと、十二歳から十五歳までの子どものことを、宙の民はそう呼ぶんだ」 「!」  目を丸くするリーンに、片方の先輩は片目を閉じてみせる。男のウインクは嬉しくないけれども、 「詳しい、ですね……。あなたは宙の民、じゃない、よな? よね?」  じろじろと見るが、宙の民に分類される種族の特徴がない。  男は敵意がないように笑う。 「俺はあんたら、神を恐れぬ宙の民に興味があるんでね……。個人的に調べていただけさ。それをボスに買われたんだ」  そういやさきほども、このヒトだけ光輪事情を知っていたな。  ――というか、 「種族名と名前を聞き出すテスト中なのに」 「……あっっっ!」  うっかり暴露してしまった葉狸マダムが、リーンに指摘されるとぱっと両手で口元を押さえる。仕草が可愛い。が、時すでに遅し。ばっちり葉狸族であると理解した。  相手がフリーだったので油断したのだろう。名前こそばらしていないものの、答えをひとつ教えてしまった。  マダムは涙目でぷるぷると震えながら、恐る恐る長を振り返る。  背後で庇われていたベゴールはリーンが膝をついたと同時に、長いため息をこぼしていた。 「す、すみません……。長……」 「あとでケツ、百叩きですからね」 「ぴいっ!」  飛び上がる葉狸族を庇うようにリーンが前に出る。 「人妻の尻を叩くだと? アンタにそんなうらやま、けしからん権利があるというのか? まさかあんたがこのヒトの旦那なのか?」  どうでもよさそうにベゴールはごきごきと首を鳴らす。口だけ笑っているが、これは彼が鬱陶しいと感じた時によくやる仕草である。 「もう休憩は十分そうですね。さっさとテストに戻りなさいクソガキ」 「ぬあー! はなせ下ろせーっ」  竜っぽい爪で黒羽織を摘まむ。子猫のように持ち上げられたリーンはじたばたと暴れるが廊下にポイ捨てされた。 「あうっ」 「むぎゅっ」  まだ居たらしい。フリーを下敷きにしてしまったが、俺様に怪我がなかったので良しとしよう。 「そんなわけで、先輩は今、忙しいそうです」  その後。やはり部屋の戻り方が分からず情報部の前でえぐえぐべそべそ泣いていると、見かねた葉狸マダムが手を引いて案内してくれた。  無事に部屋に戻れたフリーは、正座で叱られている最中だった。  叱っているのはもちろん、 「……だそうです、じゃない。だから僕もついていくって言っただろう?」 「厠くらい一人で行けると思ったんだもん!」  腕を組んで見下ろす赤い瞳。フリーが正座しても目線の高さが同じなので、椅子の上に仁王立ちしておられる。 「で? 厠には行けなかったのか?」 「ううん。厠には行けたけど、広くて楽しいから探検しよーって、ぐるぐる歩いてたら、帰り道が分からなくなっちゃって」 「このど阿呆がよぉ」  それを、呆れたような微笑ましいものを見るような顔で笑っているのはキミカゲだ。 「まあまあ。この邸宅が迷路なのが悪いよ。あまり叱らないでおあげ」 「……まったく」  叱り足りないが翁にそう言われては仕方がない。椅子から下りると、前にならえのように両腕を伸ばす。 「ん」 「あ、はいはい」  すぐにフリーが抱き上げてくれる。この察しない系男子に「僕が腕を出したら即抱っこ」と仕込むのは大変だった。しかし物覚えは良い方なので、一度覚えさせたらこの通り。  ぎゅっと白い着物を掴み、離れていた時間(数分)を埋めるようにめちゃくちゃに頬ずりする。  もちもちすりすり。 「ああ~~~っ」  幸せそうな白髪の声をBGMに、キミカゲはしおりの挟んであるページを開くのだった。  就寝前のほっと一息つける静かな時間。……といっても、がたがたと風が奏でる音がやかましい夜は、あと数日続きそうだ。  「まだ情報を集めきってないって! 葉狸マダムさんの年齢と好物も聞き出せてない」「あの葉狸(おっちょこちょい)以外の情報も集めろや」と、新入りを引きずっているベゴールを見つけた時はふっと笑った。 (あの照れ屋の人見知りが。随分打ち解けたものだ)  ベゴールが聞けば全力否定しそうなことを思いながら仕事の残りをしていると、ふと、廊下から声がした。 「あの~」  一瞬、キミカゲかと思い顔をしかめながら目を向けたが、雪見障子に映った影は百八十センチ近くあった。  子分でここまでの長身は、ベゴールくらいしかいない。が、角がない。  と、いうことは。  あの白髪か。 「入れ」 「お邪魔……おあっ?」  自動で開いた障子に驚きつつ、オキンをじっと見つめてくる。  なかなか入ってこない。 「どうした? 入れと言ったぞ?」  ワシが怖いのだろうかと思ったが、白髪は室内をしきりにきょろきょろしながら入ってくる。若干、目がキマッているのが気になる。 「自動で開いた……。なんだか小さい子がいる気配がする」  伯父貴みたいなことを言っている。白髪の足元で泥沼が慌てて影に沈んだのが見えた。実態ではないのに身の危険を感じたのだろう。その判断は正しい。この白髪。大人しそうな顔をして、大広間では変態発言を繰り返していたからな。  正直、伯父貴の子(居候)でなければ叩き出している。 「何用か?」  手を止めると、白い青年は正座し手ぬぐいを差し出してきた。 「手ぬぐい。借りっぱなしですみませんでした。返すの忘れてました」  手の上の手ぬぐいに目を落とす。確かに自分の手ぬぐいではあるが。 「あげたつもりだったのだがな。気に入らんかったか?」  小さく笑うと、青年はがばっと頭を上げた。 「え? そうだったんですか? じゃあ、貰っちゃおうっと。えへへー。ありがとうございます」  迷うことなく手ぬぐいを懐へ仕舞う。ミナミ並みの遠慮のなさだ。すがすがしい。

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