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第20話  台風の夜

 子分と重なったことで、この青年の大罪――キミカゲを害したこと――は忘れてやろう。  ほくほく笑顔でフリーは立ち上がる。 「それじゃ。失礼しました」 「うむ。夜更かしせず、寝るように」 「よふかし? あ、麩菓子? おやつですか?」  仕事に戻ろうとしたオキンの手が止まる。 「ん? ……夜遅くまで起きていることだ」 「へえー……。夜、起きていられるヒトなんているんですかね?」  何を言いたいのかはよく分からないが、この青年が夜更かししたことないのは伝わった。健全でいいことだ。まあ、伯父貴と暮らしているなら、そうなるか。 「オキンさんはまだ、寝ないんですか?」 「……ん。まあな」  普通に話しかけてくるなぁ。慣れていない者は早く会話を切り上げようとするものだが。 「ワシはこのあと夜回りがある」 「小回り?」  もしかしてワシって活舌が悪いのだろうか、と不安になった。 「……巡回がある。雨生川(あまうがわ)が氾濫していないかとか、うっかり外に出た阿呆が怪我をしていないか、とかな。そういうのを見て回らねばならん」  当然のように言うオキンに、フリーは目を見開く。 「この雨の中っ? 風もすっごいですよ? ……それもオキンさんの仕事なんですか?」 「いや……」  こういうことをするから治安維持隊からやっかまれるのだろうが、自分がしないとキミカゲが出動してしまう。 『どこへ行くのだ。愚か者!』 『だってええ! 小さい子が泣いてるかもしれないじゃないか。それとついでにちょっと薬草畑の様子を見てくるだけだから』  死亡フラグを建てるな。 『台風の日に畑の様子を……。わかった。ワシが見てくるから……』  当時のやり取りを思い出し、呪詛のようなため息をつく。 「はあああああ……」 「オキンさん。なんか老けましたね」  昔のことを少し思い出しただけで、この疲労感。あのジジイはどこまで自分を苦しめるのか。白髪の声にも気の毒そうな色が混じる。  やれやれと腰を上げ、オキンは壁にかけてある羽織を肩にかける。 「では、ワシは行ってくる。貴様はもう部屋に戻れ」 「はーい。……あの、気をつけてくださいね? 傘を持った子どもなら飛んでいけそうな風ですから」 「ふっ。クリュの報告通り。随分な心配性のようだな」 「っ……」  言葉に詰まる青年の横を通り過ぎ、オキンは玄関へ向かう。  庭に出ると、海の民たちが池のほとりで談笑していた。  一人はミナミだ。他の海の民とは仲が悪かったように感じるが、嫌いな相手とも普通に会話が出来るのがやつのすごいところだろう。  それか雨でテンションが上がっているだけか。  近づくと一斉にこちらを見る。 「おや。ボス」 「見回りですよね? いってらっしゃいませ」 「お土産買ってきてくださいねー」 「……」  オキンは自身の耳をとんとんと叩く。凄まじい雨風の中だというのに、彼らの声は当たり前のように届く。水中でコミュニケーションを取る彼らには、声を遮られない特殊な会話方法があるのだとか。それを使っているため、慣れないオキンの耳には異常をきたしたような感じがするのだ。耳に水が入った時のような、あのぼわんとした嫌な感じ。 「こんな日に開いている店があるか」  のんきにお土産を頼むミナミに呆れる。  染料が落ち、ろくに顔も隠していないミナミの姿に一瞬とはいえ、瞳が揺れた。  いかんいかん。理性が飛ぶところだった。さすが天氷(無貝)族。美しさでは他の種族の追随を許さない。時が止まったと錯覚してしまいそうになるほどの透明感。こいつを外に出す時、毎回ハラハラするわ。雨の日とか本当に外に出したくない。 (……こんなことを言っているから、ジジイに過保護だなんだと言われるのだな)  眉間を揉んでさっさと背を向けてしまう。水にぬれたミナミをじっと見つめているのは危険だ。 「貴様らも、もう寝ろ。では、行ってくる」 「「はい」」 「はーい」  月明りすらない中、誰も不自由をしている様子はない。それもそのはず。この場にいるミナミ以外の海の民は、宙より遠いと言われる深海の出身。明かりなどハナからいらないのだ。  去って行く竜の背中に、誰も「気をつけて」とは言わない。  彼にその言葉は不要なのだから。  雨が弱まったのではなく、強風で散らされているのだろう。屋根の一部らしきものが凧のように飛んでいくのを眺め、夜の街を闊歩する。  たとえ災害級の狂風や暴雨が降ろうと、竜を押し流すことは出来ない。ごうごうと風の音を聞きながら、オキンは晴天時とさして変わらぬ顔で歩く。  そこそこ高価な着物が吸収しきれない水でびったびたになっているが、金持ちは歯牙にもかけない。 (ぐるりと一周するくらいでいいだろう)  細い路地まで見ていたら朝になってしまう。それに、話し相手がいないというのは退屈だ。こんな天気なので我慢したが、普段は誰かを連れてきているのだ。話を聞いてくれる相手がいないのは寂しい。  ――寂しい。これは本来孤高の竜が抱くことのない感情であるが、大家族出身のオキンは孤独を普通に寂しがる。賑やかなのが好きだ。夜はわあわあと枕投げなどをして、母上に叱られたい。「なんで私を誘わないの!」と叱られ、「フッ。おもしれー母上」ってやり取りをしたい。今やりたい。 「……ふうっ」  もちろん威厳保持のために、表には出していないがな!  なのに、ペポラ含む古参連中には見抜かれているのがなんか悔しい。あのエスパー軍団、どうにかならんか。  「ボスが分かりやすいんですよ」などと教えてくれるヒトがいないため、オキンの疑問が解消されることはなかった。 「おっやー? そこにいるのは、もしやオキンさんでは?」 「……」  こんな台風の日に、しかも夜に出歩いている者が自分以外にいるわけがない。  よっていまのは幻聴の類なのだ。  そう決めつけ、オキンは足を速める。 「お、オキンさん? あれ? 聞こえてますよね? 聞こえてますよね? おーい。その無駄に形の良い耳は飾りじゃないですよね?」 「……」  風の音がヒトの声に聞こえているだけだ。年中吹雪いている凍光山などでは、よくある現象だ。  ペースを上げても、背後からびしゃびしゃと水溜まりを蹴る音がついてくる。そういう怪談話があったな。 「オキンさん? もしかして幻聴か何かだと思ってません? 幻聴じゃないですよ。私です。アキチカですうぅ!」 「……はあ」  雨音に負けないくらい声を張り上げられ、オキンはようやく足を止めた。ため息をついてから億劫そうに身体ごと振り返る。  小走りで駆け寄ってくる凛々しい鹿角を持つ青年。うっすらと、身体の輪郭が光っている。その後ろを半歩遅れて影のように、ゴールグースがついてくる。下駄を履けばベゴールと並ぶほどの身長だが、どこか苦労人の気配がする人物だ。  「面白いヒトを見つけたぜー」みたいに、紫の目を輝かせている最高(に面倒くさい)神使に、竜の目が据わる。 「神使か。何用だ? そうか、声をかけただけか。では、さらばだ」  自己完結して歩き出そうとする肩を、追いついたアキチカがようやく捕まえた。 「はあはあっ。なんでっ? そんなわけないでしょうが! ちょっとお話しましょうよ! オキンさん、滅多に私の前に出てこないじゃないですか」 「単純に貴様と会話したくないのだ。察せよ」 「この私相手に遠慮なく物を言う姿勢は嫌いじゃないですよ?」  ふっと、雨粒がかからなくなった。見れば、ゴールグースの男がアキチカとオキンの頭上に傘を差しだしている。紫矢(しや)という果物が描かれた良い品だ。この風でよく傘を差そうと思ったものだ。  だが、アキチカは見えない被膜に包まれているかのように雨粒を弾いており、髪の毛一本すら濡れていない。オキンは風邪など引かないので、この場で一番傘が必要なのは従者だろう。それなのにオキンとアキチカが濡れないように傾けて持っているせいで、獣の面をつけた男はずぶ濡れだ。  立場的に仕方ないのだろうが、キミカゲに過保護と言われた竜は内心落ち着かずそわそわする。 「はあ……。ついてこい」 「え?」  せめて風が少しでも防げるよう、そこそこ大きな屋敷の影に移動する。本当にわずかだが身体に当たる風が弱くなった。オキンの気遣いを汲み取った従者は、小さく頭を下げる。 「それで? 用件は?」 「え? 用なんて無いですけど?」  カラッコロンと、桶が良い音を立てながら転がって行く。静寂を司る静霊が出現するも、即行吹き飛んでいく。  目を合わせないようにと心掛けているのに、思わず紫の瞳を見つめてしまった。アキチカもまともに視線が合った刀を思わせる銀の瞳に、怯えたように一瞬のけ反る。

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