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第31話 今すぐ分裂しろ
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野分の月も下旬に差し掛かった頃。
花の香り漂う花屋敷。ディドールの家兼仕事場にて。
フリーとニケがランランアート大会に行くという話を聞いたディドールは、割と衝撃を受けていた。
『ええっ! ちょっと困っちゃうわ。仕事が増えてきているから、あの子(リーン)とあたしだけだときついわ』
その言葉に、仕事復帰したフリーも衝撃を受けた。桶の中で洗濯物を踏み洗いしている体勢のまま、あんぐりと口を開く。
『え? えっと? 駄目なんですか?』
干そうとしていた洗濯物(誰かのフンドシ)を握りしめ、ディドールはうんうんと高速で頷く。花びらが可憐に舞い、追加の洗濯物を持ってきたリーンが地面の上でとろけ、いや溶けている。
『だってメリネであちこち壊れたでしょ?』
『はい』
『それで、お仕事を求めて地方から紅葉街に大工さん達や簡易食事処さんが(ヒトがいっぱい)来ているのよ。そのヒトたちの洗濯物で、うちは仕事が忙しい時期なの!』
三歳児(フリー)にも分かるように噛み砕いて説明しているせいか、若干おかしなことになっているが言いたいことは伝わる。
『つ、つまり?』
フリーはごくりと息を呑む。
洗福の主人は容赦なく告げる。
『大会に、行っている暇はないわ』
フリーは膝から崩れ落ちた。ばしゃんと水が跳ね、がくっと地面に両手をつく。
『そ、そんなぁ……』
『着物濡れるぞ』
復活したリーンが腕をぐいっと掴み、立たせてくれた。今日も彼は黒い羽織を身につけている。星空が写らないし下手な盾より身を守ってくれる。そのうえ、黒羽織を身につけてから、近隣住民たちからの嫌がらせはぱたりとなくなったそうで、精神的に安定してきているとのこと。宙に逃げることが出来ないのに着物が星空柄になってしまうというのは、リーンにとってずいぶんなストレスだったようだ。その重荷から解放されたおかげか、彼は明るい笑顔を見せるようになってくれた。これにはディドールもにっこりである。
『……チッ』
そのせいでリーンがくすりばこに引っ越すという話が流れてしまったのだ。ヒトの幸せを喜べない系男子(フリー)は不満げに黒羽織を見つめる。
ただその舌打ちがばっちり聞こえてしまったリーンに、夜宝剣で盛大に尻を叩かれた。
バッチーン!
『あいたぁ!』
これは痛い。
やはり君が持っているようにと返還された護り刀。リーンは渋い顔をしながらも一分かけて受け取っていた。
フリーもそんなに良い護り刀ならリーンが持っていた方がいいと納得したが、けっして尻を叩くハリセンではない。
『なに舌打ちしてんだコラ! ドールさんの決定に、文句があるってかぁアアコラ! 上等だ。表に出ろ』
ディドールさんに舌打ちしたんじゃないですうぅ、と言いたいが尻が痛い。おおんおおんと無様に泣きながら尻を摩っていると、ディドールがリーンの頬を摘まむ。
『あへ?』
『もうっ。ぽんぽん叩かない! あなたの方が先輩なんだからね? いい?』
間近に迫ったディドールの顔と香り。それと愛しのヒトに触られているという事実に、リーンはみるみる真っ赤になっていく。
『ひゃ……ひゃい! わひゃ、分かりまヒた』
『……本当に~?』
『は、はい! 叩かず、蹴るようにしましゅ!』
ゆでだこみたいになった従業員から手を放し、ディドールは満足そうに腕を組む。
『分かればよろしい』
フンドシを干している主人の後ろで、短刀を帯に差し込み「もう顔を洗わない」と感激の涙を流すリーン。その二人を「え?」という表情で見ているフリー。なんか今、おかしな出来事があったような気がするんだ。
さっさと仕事に戻っているおふたりに、おかしいのは俺なのかな? と混乱する。
『あうあう。本当に駄目なんですか? ニケと首都に行きたいんです』
諦めきれず、なおもディドールに縋りつく。ギッとリーンが睨んでくるが、彼の手は仕事をしている。
主人は困った顔で洗濯物がシワにならないよう叩く。
『う~ん。あたしも笑顔で行ってらっしゃいと見送ってあげたいけれど、今はね~』
数秒悩んでいたディドールだが、なにかひらめいたようにぽんぽんと白い頭を叩く。
『そうそう。代わりに仕事に入ってくれるヒトがいるなら、いいわよ?』
『ふへ?』
どういうことだろうと、フリーは立ち上がる。
首が上を向いたディドールは首筋が痛むのか、一歩下がる。
『ええっと。俺の代わりに仕事してくれるヒト……ですか?』
『そうよ。うちは人手不足だからね~』
ちらっと困った従業員(リーン)を見るも、彼はディドールと目が合うとわたわたと取り乱したのち、うつむいて真っ赤な顔でばしゃばしゃと洗濯物を踏んでいく。
面白いわぁ。これを叱れないのは、私が悪いわね。
ディドールは腰に手を当てる。
『代わりに入ってくれそうなヒト。いる?』
フリーはがっくしと項垂れる。
『友達がいましぇん……』
『そんなこと気にしなくていいわよ』
植物は特に群れずとも生きていけるためか、花霊族はからからと秋空のように晴れやかに笑う。
助走をつけたリーンが、後輩を蹴っ飛ばす。
『いつまでドールさんとだべってんだ羨ましいオルァ! 仕事しろボケ』
『きゃいんっ』
ぼすっと面白い音と共に、フリーが生け垣に突っ込む。
『あ』
やべ、と冷や汗を流すリーンの背後で、花を閉じ込めた琥珀色の瞳が、ギラッと光った。
「――と、そこから記憶がないですけど。大会は行けないそうです」
本日の仕事場での事を話すと、ニケとキミカゲはすごく同情するような目で頭や肩についた葉っぱを取ってくれた。
フリーが花屋敷から戻ると、くすりばこはもう「本日はお終い」の札がかけられていた。いつもより早い閉店に驚いて戸を開けると、寝転んだキミカゲの背中に、ニケが湿布を貼っているところだった。
ぎっくり腰をやらかしたキミカゲは野分の月いっぱいは営業時間短縮するようにしたらしい。そんなこと言わず、ずっと短縮すればいいのに。お年なんだから。
瑞々しい葉っぱを見つめながら、ニケは悲しげに耳を垂らす。
「そうか……。お前さんとランランアート大会行くの、楽しみにしていたんだが」
フリーはごんっと畳に額をつけた。
「申し訳ないです……」
仕方なさそうにニケがこちらを見てくる。おじいちゃんは悩まし気に腕を組んだ。
「ニケ君ひとりで首都には絶対に行かせないからね。行くなら、ホクト君やミナミ君をつけてもらわないと」
「彼ら、忙しそうなんですけど……」
「そうだねえ。オキンだとニケ君が落ち着かないだろうし」
竜が護衛についてくれれば安心だが、首都にいる間ニケ生きた心地がしない。というか、竜が現れると万単位の大会の見物人――六割が国王の孫娘目当て――が逃げ出し中止になりそうである。
ニケは駄々っ子のように足をばたつかせる。
「ううっ。絶対に大会に行くもん! おい、フリー。今すぐ分裂しろ。仕事用のフリーと僕と大会に行く用のフリーでいいぞ」
「すいません。無理です」
いまだに倒れた状態の白髪にガーンとショックを受け、ニケは翁の腕にしがみつく。
「翁ぁ……」
どうしよう。どうにかして、と言いたげな赤い瞳が見上げてくる。
――くっ。そんな可愛いことをされたら、おじいちゃん頑張るしかないじゃん。
頼りにされて嬉しいらしいキミカゲは、もちもちのほっぺを優しく撫でる。
素晴らしくもちもちした頬。これが失われずに済んで、本当に良かった。キミカゲは胸を撫で下ろす。
なんせ、自分の体重のせいでキミカゲが腰を痛めたと思ってしまったニケが、一時期ご飯を拒否するようになったのだ。子どもがご飯を食べない現実におじいちゃんは魂が出そうだったが、フリーが「あーん」するとしぶしぶ食べだしたので九死に一生を得た。キミカゲが。
「分かったよ。都合のつく子がいないが、聞いてみるね」
「ありがとうございます!」
ニケの顔が明るくなる。ううん。可愛い。よしよしと頭を撫でておく。ニケは嬉しそうに目を細める。
「でも意外だね。フリー君も大会行くって、もっと騒ぐと思っていたのに」
そうだそうだとニケも目を向けると、フリーはまだ倒れていた。
「いつまで倒れて……んだ」
髪を踏まないよう顔近くに回り込んだニケの勢いがしぼむ。いつもうるさいフリーは静かに涙をこぼしていたのだ。
大会を見に行きたくないはずがない。
「おい。静かに泣くな。フリーのクセに! もっと騒げ」
励ましのつもりで髪を引っ張るも、フリーはさらに身体を丸めてしまう。
「「……」」
おじいちゃんとニケは気まずそうに顔を見合わせた。
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