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第35話 棒高跳び
「!」
何が嬉しいのか壊れた笑みを浮かべながら、ミナミに向かって飛び掛かってきた。力を込めて踏ん張っていたミナミはそのせいで背中から倒れる。
「つっ」
だが、そのおかげで引ったくりの仕込み刃は顔すれすれで通り過ぎた。頬にチリッと痛みが走る。この程度で済んだのは幸運だった。
(会いたかっただと?)
奴の言い方からして、
「狙いは俺ですかー?」
跳ね起き上がるミナミ目掛け、翼族は刃物を振り回す。狭い裏路地戦を予想していたかのような、小ぶりな刃物。
逆にミナミは狭い場所では効果が発揮できない武器。
――わざと狭い路地に逃げたのか。誘い込まれたやね、これは。
しかも出血とは関係なく、目がかすみ手足が動きづらくなってきた。
「キャハハハハハハッ! 細切れにしてやるぅ」
(刃物に毒でも塗っていたか……?)
重くなる足で懸命に躱すも、徐々に傷が増えていく。掠った前髪が数本散り、吐き気まで込み上げる。
「うっ……」
足が絡まり、どんっと裏路地の壁にぶつかる。
「細切れにして、身につけてやるぞおおお? 美しいヒト!」
そのムカつく台詞。何度も聞いてきたんですよ!
「はあっ」
裂帛の気合と共にわずかに身を屈め、相手のどてっ腹に肘鉄を叩き込む。
「――んぶっ!」
一瞬堪えようとしたようだが、唇から血が溢れ出る。衝撃が骨にまで響いたか。誰か知らないが、こいつの肋骨にダメージを入れておいてくれて助かった。
腹を押さえてよろめく引ったくり犯。その隙に逃げることは出来たが、ミナミは路地裏から出ない。武器も振り回しにくい不利な場所であるが、表通りで戦えば市民に被害が出る。
この黒羽織を着た以上、逃げることは出来ない。それがボスとの約束だから。
(ボスは天氷狩りをしている者を捕らえ、何かを聞き出したいらしいですからね)
自分はそのための撒き餌なのだろうが、望むところである。
(とにかく動きを)
その辺の縄と違い、ミナミの武器「水流双(すいりゅうそう)」は名刀でも切断できない。スライムのような弾力のある水晶、水あめ玻璃(はり)が編み込まれているがゆえに。一度縛ってしまえばもう抜け出せないはずだ。
天氷狩りで故郷を焼かれ、家族を失ったミナミに唯一残った武器。唯一、故郷を思い出すことが出来る物。
ぐらりと、世界が回った。
大切な鞭が手から落ちる。
(うわっ。気持ち悪い……。飛駕籠(とびかご)乗った時より)
何の毒だ。
ぐにゃあと目の前が歪み、無事だった方の目も使い物にならなくなる。
反射的に頭を抱え込んだ時には、薄紅翼は体勢を立て直していた。
息遣い荒く興奮した目でミナミを見下ろし、刃を仕込んだ腕を突き出す。
朦朧とした意識の中、ミナミは死を覚悟した。悔いはないがどうせなら、もう少しだけ生きていたかった。せっかく自分の種族を気にしない、黒羽織という仲間が出来たんだ。もう少しだけ――
ヒュッと風を切る音が聞こえ、烈風がミナミの顔の横を通り過ぎた。
「!」
その先端は寸分違わず、ひったくり犯の鼻先に迫る。そして、
ぐしゃりと、顔面が陥没する音がした。ミナミの顔に、相手の血がピピッとかかる。
「え……?」
恐る恐る目だけで背後を見ると、腹の立つ狼が立っていた。
ホクトの物干し竿のような得物が、相手の顔にめり込んでいる。どうやらやっと戻ってきたようだ。
ミナミは疲れた顔で笑う。
「おっそいですよ……?」
「うるさいわ。見捨ててやろうかと思っ――おっと」
倒れかけたミナミの身体を抱きとめる。顔を見ると、意識を失っていた。美しい寝顔だが、ホクトはなんの感情も湧かない。
「おい! ミナミ」
この程度の怪我で気絶するなと怒鳴りかけ、狼の鼻はかすかに薬品のにおいを嗅ぎ取った。
(毒?)
「邪魔をするなアアアアッ。そいつを」
顔面が凹んだというのに、血と折れた歯をまき散らしながら「そいつを寄こせ」と掴みかかってくる。
なんだこいつは。不死身か?
(いや、ペポラ様並みに耐久値が高いんだろうな)
それも修行を頑張った結果とかではなく、薬漬けにして鈍化――痛みを感じなくした類だろう。中毒者のような濁った瞳をしているし、なにより薬品臭い。
「ただの薬大好き野郎かと思って、油断してたっす。ボスに叱られるっすね」
片手でミナミを抱え、後ろに跳ぶ。
タイミングばっちりに動かれ、ひったくり犯の腕は何もない宙を掠った。
血まみれの翼族は、忌々しげにぺっと血の混じった唾吐き捨てる。
「お前は何だ! それを、天氷を寄こせ」
「ただの田舎者っすよ。こんな性格の悪い貝野郎を欲しがるなんて、趣味悪いっすよ?」
望んで止まない天氷を片手で抱いている狼。
ビキビキとひったくりの顔に、身体中に青筋が浮かぶ。
「田舎者風情がァ。邪魔をするなら、貴様も殺す! 天氷以外は殺しても、何の価値もないのになアァ」
「おたく、ひとりっすか? 仲間は?」
「キアアアアア!」
無駄な時間と判断したのだろう。会話をやめ翼を広げ上空に舞い上がる。翼を持たない他の種族は、醜く地面を這いまわるしか出来ない。空をかける自分からすれば、芋虫同然。なんと哀れなのだろうと、勝ち誇った笑みを浮かべる。
(狼め。鳥葬のように、少しずつ刻んでいってやろう)
風を切り、民家の屋根の高さを超えようとしたときだった。
「ちょっと待ってくださいっす」
「――は?」
遥か下。そう、地面にいるはずの狼の声が腹のあたりから聞こえる。
何故と思った瞬間、がくんと身体が沈んだ。思わず太陽に手を伸ばす。
翼を持つ俺が、どうして太陽から遠ざかっている?
急いで下を見れば、狼耳男が自分の足首を掴んでぶら下がっているではないか。その重さで落ちているのだと。慌てて翼を羽ばたかせるも、ぐんぐん地面へ迫っていく。
「き、貴様っ! どうやってこの高さに届いたっ」
「川跳びって、知ってるっすか?」
翼族が空へ舞ったと同時に、ホクトも動いていた。
比較的きれいな地面にミナミを寝かせ、自身の伸縮式物干し竿のような得物を地に突き立てて跳躍。柔軟性のある棒がぐぐっとたわみ、ホクトを上空へと弾き飛ばす。
橋をかける工事すら行われない、鄙(ひな)の者たちが編み出した川越えの方法。
どこかの国では「棒高跳び」と言って、高さを競う競技になって楽しまれているようだが。
「田舎者。舐めないでほしいっす」
「――っ。だが、貴様も一緒に落ちるぞ!」
何か喚いているようだったが、ホクトは逆上がりの要領で身体を持ち上げ、翼族の背中に立った。
「へ?」
「ご心配なく、っす」
直後、地面に激突した。
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