36 / 56

第36話 骨格羽

「……」  もはや悲鳴を上げることも出来ずに、翼族は地面を数回バウンドし動かなくなる。桜のような薄紅色の羽が舞う。  だらりと舌を出し白目を剥いた相手に、だがホクトは民家の「壁」を蹴っていた。  垂直の壁を駆けあがる。  死蟷螂族、クレーターマルティネス様直伝。  ――斧落としッ!  ヒトの背丈をゆうに超える高さから振り下ろされた踵が、翼族の脳天に突き刺さる。踵落としである。 「が――っ?」  小石や散乱した塵が一斉に跳ねる。  気絶寸前だったのだ。なんの防御姿勢を取ることもなく、翼族の頭部は地面にめり込み潰れたトマトのように、赤い花が咲く。 「うわ」  自分でやっておいて、地面に舞い降りながらホクトは嫌そうに顔をしかめる。充満する血と肉のにおい。お腹がすくではないか――ではなくて、子どもに見せられないっすね。  なんとなくミナミの方を見て、ハッと思い出す。 (あ。駄目じゃん。ボスに生け捕りにしろって言われていたのに)  なんで念入りにトドメを刺してしまっただろう。 (斧落としを試してみたかったからなんて言えない。そうだ! 適当に誤魔化し、無理か)  嘘発見器(ペポラ)に肩ポンされる未来しか見えない。  ぼりぼりと頭部を掻く。川越えあたりからやり直したい気分だ。  よっこらせっとミナミを肩に担ぐ。 「とにかくこいつを……」  医学部に放り込み、この惨状の後始末。見回りも終わっていないのにやる事が多い。そういえば先ほどキミカゲ様たちが来ていたが、なにか用事でもあったのか。  ゴウッ! 「!」  風が巻き起こり、ホクトは片目を瞑る。自然発生した風ではない。 「なんだ? ……馬鹿な」  見たものが信じられず、思わず目を剥いて叫ぶ。  なぜなら―― 「キィアハハハハハハハッ!」  翼族が飛翔していたからだ。 「嘘だろ。脳天割ったんだぞ!」  頭部から赤い滴をぼたぼたと零し、恍惚とした笑みを浮かべて。太陽を掴まんと上昇する。  もはや痛みを遮断しているから動ける、とかそんな領域ではない。頭蓋が割れ、崩れ落ちた脳の破片が、ホクトの着物にべちゃりと付着する。 「くそっ」  再び跳躍しようとするが。 「……ぐ」  棒を拾い上げた時点で奴ははるか高みへ。もはや四つ足の獣ごときが到達不可能な高度へと。  翼族は笑う。  天を睨むしか出来ない、滑稽な芋虫を。  手を叩きながら嗤って、嘲笑って、笑い倒して――   「イイですねぇ」 「へ?」  冷や汗が吹き出す。  まただ。また近くで声がした。俺は飛んでいるんだぞ? 何度も何度も、 「跳び上がってくるな、狼! ……あれ?」  唾を飛ばして怒鳴るも、足首には誰もおらず引ったくり犯は間抜けな声を出す。棒使いの男はまだ地上で米粒サイズだ。  では、声の主は――? 「脳みそこぼしながら飛行するって……ププッ。笑わせないでくださいよ」 「なん――ギャアアアアッ!」  楽しげに笑っている声が聞こえ、翼族は悲鳴を上げる。猛禽類の脚が、爪が、がっちりと両肩の肉を掴んでいるのだ。痛みは感じないはずなのに。  魂でも鷲掴みにされたのか、体温が急激に下がっていく。  たまらなくなった。恐ろしくなった翼族はめちゃくちゃに飛び、爪の主を振りほどこうと足掻くが太い爪は体内に食い込んでいく。より苦痛の声を絞り出さんとするように。 「が、あ、あああっ!」 「イイ声ですね。私よりキモイ生物は、大歓迎ですよ?」  何を言っているのか分からないが、このままではまた地面に落ちる。もう体が限界だ。次は、立ち上がれない。そんなこと、冗談ではない。  翼族は、ぎりっと唇を噛む。  諦めない。幼き日に見たあの光景を。  こんな生き物がいるのかと。自分と同じ生き物なのかと。呼吸を忘れるほどに驚かされた。あの日の光景。  ――美しい、天氷族。  神の祝福を一心に受けたその姿。世界から歓迎されたその声。世界中、どの色でも再現できないその髪と瞳。  天氷族という「宝石」が、欲しい。  この翼族も、天氷に深く深く魅了された、よくいるヒトのひとりだった。 「……」  猛禽類の脚の主、ベゴールが地上のミナミを一瞥する。  はいはい。まーたミナミさん絡みですか。美しいっていいですねーはいはいはい。  天氷も、あのクソ生意気な星影も、崇め奉られている白髪も。みんなみんなみんな! 「くたばれ。マジで」 「お、お前は? なんだその骨の羽は? それで飛んできたと言うのかっ?」 「なんですか? その羽毛で覆われた羽は。……あ、翼って本来、こういうものでしたね……」  のんきにぽんと、竜っぽい手を打つ。 「飛べるわけないでしょ? こんなクソ骨格羽で。ノミみたいに跳べるだけです。理由? 知りませんよ」  そういう魔物の血が流れている、で説明がついてしまう。本当に気持ちが悪い。 「……ぐ」 「ここで降参するなら、生かしてあげますよ? あなた、キモイですから」  ケラケラ笑っているが、もう翼族に話す力は残っていない。死んでいるような怪我を負っているのだ。「奴ら」からもらった理性がときたま飛ぶ代わりに、痛みを消し超人化する薬。たった一粒で全財産が消えたのに、ふざけたことに未完成品だと言っていた。これ以上時間を無駄に出来ない。  猛禽類男を振り下ろすのを諦め、翼族は地上目掛け進路を変えた。薬の最後の力を振り絞り速度を上げる。超低空飛行。地を走る閃光のよう。  あの天氷族。あいつさえ手に入れられたら、こんな場所に用はない。  戻ってきたら解毒薬をくれると「奴ら」は笑っていたんだ。すぐに離脱する。  もはや解毒薬を飲んだところで死は免れないが、天氷さえ手に入ればどうでもいいことだった。 「こっち来んなっす!」  ホクトがミナミを抱えて走るが、風に乗った翼族が追い付く方が速かった。  翼族の腕がミナミに向かって伸びる。 「いやー。サーフィンみたいで楽しいですね、これ」  ひとり場違いなほどノリノリで翼族をボード代わりにしていたベゴールが、何の躊躇いなく竜っぽい腕を振るう。  ――ザシュッ。  竜の爪で切り裂かれ、とうとう翼族の頭部は胴体から離れた。 (あの天氷は……毒で死ぬ。俺と同じ場所へ、来てくれ、る……)  首だけになってもその瞳は、最後までミナミを見ているようだった。 「ちょ、ベゴールさ」  死んだ。  しぶとかった引ったくり犯もついに事切れるが、死んだからと言って急制動するわけではない。首なしひったくり犯の身体は、ベゴールというおまけをくっつけたまま、ホクトにぶつかった。 「ぐうっ」  直前でミナミだけは放り投げることが出来たが、そのせいで受け身も取れず三人纏めてごろごろと地面を転がる。  ぽーん。 「へ?」  一瞬の浮遊感。  ちらっと眼だけで下を確認すれば、太陽光を反射してきらきら輝く水面。  ――紅葉街で一番大きな、雨生川(あまうがわ)。  ホクトはひくっと息を呑む。 「そんなっ」  ……派手な水柱が上がった。

ともだちにシェアしよう!