37 / 56
第37話 何者でもどうでもいいよ
首なし死体とホクトの着物を掴み、ベゴールはなんとか水面から顔を出す。
「ブハッ! えほえほっ。ちょっと! 死体はともかく、ホクトさんは自力で泳いでくださいよ」
さっそく文句を言いながらホクトをがくがく揺するも、完全に目を回していた。当たりどころが悪かったらしい。
「ちょっと。目ぇ覚ましなさい! 捨てていきますよこの……」
「おいおい。こっちに渡しな」
声がした方を見ると、牛の角を持つ若者が手を差し伸べていた。
「……」
胸ぐらを掴んだまま一瞬躊躇したが、ベゴールは彼にホクトを託す。若者は軽々と水中から狼青年を引き上げた。
ホクトをそっと寝かせ、ベゴールにも腕を伸ばす。
「ほら。あんたも」
「……私は今、死体を持っているので。一般人には見せられません。あなたはヒト払いしてください」
牛の若者はきょろきょろと周囲を確認する。
「今ちっさい子はいねえよ。死体なんか持っていたら、アンタが溺れるぞ」
「フンッ!」
鬱陶しそうにその手を払いのける。
陸地に上がろうと四苦八苦しているベゴールを困った顔で見つめていると、周囲からひそひそと声が聞こえてきた。野次馬が集まってきたのだ。
「いやだ……あれ」「混血じゃねえか? うわっ、気味悪い!」「不吉な……。明るいところで見ると一層不気味だね。紅葉街から出てってほしいねぇ」
悪意と困惑に染められた言の葉が降ってくる。
そんな言葉聞き飽きていると頭を振った時、伸びてきた腕がベゴールの羽織を掴み、引き上げてくれた。
「……は?」
ぽかんとしながらも、その手はささっと死体を大きな布でくるんで隠す。黒羽織の内側にいろいろ仕込んでいる道具の一つ、死体袋である。
「怪我はないか? あっちにキミカゲ様がいたから、診てもらえよ?」
甘牛族の若者だった。
水滴が落ちる前髪を払いながら、ベゴールは思わずまじまじと彼を見つめる。
「何してるんですか、あなた。あなたまで変な目で見られますよ。馬鹿なんですか? ま、どうでもいいですけど」
「アンタ黒羽織だろ? 俺よ、助けてもらったことがあるんだ。赤髪の、気の強そうな姉ちゃんだったけど。だから俺も、アンタが何者でもどうでもいいよ」
牛の若者は満足そうに笑うと、やる気十分、腕を回しながら仕事に戻っていく。ベゴールはつい珍獣を見るような目でその背中を見てしまうも、すぐにくだらないとホクトと死体袋を掴んで歩き出す。
思いやりの欠片もなく引きずっているが、この程度で怪我をする狼ではないので。
街人から引かれながら先ほどの裏路地へ戻ると、キミカゲが膝まくらをしてミナミの治療にあたっていた。
その光景に鼻を鳴らす。
翼族は絶対にミナミを殺すつもりだったのだろう。刃に毒が塗ってあるとは。殺意の高さがうかがえる。
(残念でしたね。この街にはすぐ治してしまう薬師がいるんですよ)
ニケとキミカゲはベゴールに気づくと、ちび犬だけ駆け寄ってきた。
「ホクトさん? 怪我したんですか?」
「どこかぶつけただけですよ。うっさいですねぇ」
ベゴールが無情にも手を放したので、仕方なくニケがホクトを翁の元まで持って行く。
治療を終えたのか、キミカゲもようやく顔を上げた。
微妙な顔でベゴールを見てくる。
「ベゴール君は? 怪我はないかい?」
「それ聞かないと具合悪くなるんですか? 怪我なんてしてませんよ。馬鹿馬鹿しい」
キミカゲへの口の利き方に野次馬たちはざわつく。だが、おじいちゃんはにこっと微笑む。
「そうかい、そうかい。良かったよ。君だけ終始、敵か味方か分からなかったからね」
助太刀に入ったのだろうが、完全に遊んでいたのだ。ベゴールがさっさと首を刎ねていれば雨生川へ飛び込むこともなかっただろう。
ベゴールは馬鹿にしたように口角を吊り上げる。
「私は全生物の敵です」
「またそういうことを言う……」
眉を下げるキミカゲから顔を背け雑な一礼だけすると、死体袋を引きずったままオキン邸へ消えていく。
「いってえ……」
ぎゅっと抱きしめていたホクトが呻く。
ニケは顔を覗き込んだ。
「ホクトさん。僕が分かりますか?」
「……に、うっ」
起き上がりホクトは二秒ほど停止した後、「ごぼっ」と口から水を吐いた。
苦しそうなのでその背を摩ってやる。
咽ながらも気丈に手の甲で口元を拭う。
「ホクトさん」
「あー。大丈夫っす。ニケざ……ベゴールあの野郎」
小声で何か物騒なことを呟くが、ニケは聞こえないふりをした。
会えて嬉しくてホクトに引っつこうとするが、彼はミナミの方に行ってしまう。
「あぅ……」
「キミカゲ様。ごほっ。ミナミは?」
「もう大丈夫だよ。それにしても、危ないな。ジェントゥシェンの葉が使われていたよ。ねえ。その毒が塗ってある刃物は? あれ放置していたら危険だよ」
触れただけで肌がただれる強力な毒草だ。古の時代、ジェントゥシェンが暗殺に使われたという記録もある。
「えーっと……」
ホクトは前髪をかき上げる。周囲から黄色い悲鳴が上がった。
「あれなら多分、ベゴールさんが回収してると思うっすよ。仕事はちゃんとするんで……。あのヒト」
「そう、かい? うん。それならいいんだ」
「むうー」
拗ねた様子のニケが「今度こそ!」と右腕にしがみついてくる。
長男気質の手が、無意識に黒髪を撫でていた。
「ニケさん。濡れちゃうっすよ?」
「ホクトさんは? お怪我は?」
ニケとホクトの声が重なる。
「「……」」
ホクトは自分の身体を見下ろす。首なし死体が喉元に直撃したせいか、喉が痛む。
鎖骨の上を押さえる。
「キミカゲ様。首が痛いです」
「首は大事な個所だから、診てあげよう。軽く顎を上向けて」
路上で診察を始める薬師。だがどこからも「邪魔」などという声は上がらない。むしろ自分も診てもらおうと、ホクトの後ろに二~三人並び始めてつい笑ってしまう。並んでいるヒト、誰も怪我人にも病人にも見えないがキミカゲは無償で健康診断もしているので、おそらくそれ目当てだろう。
中には単に水が滴っているイケメンを見ようと、うろうろしている少女や奥様方までいる。
誰もミナミに注目しないのは、キミカゲが頭部を隠しているからだろう。鈴蘭柄の手ぬぐいが巻かれてあった。流石の気遣いである。
ミナミは血まみれなのに、手ぬぐいが汚れますよと言いかけるが、そんなことを気にするお方ではないのでホクトは口を閉ざす。
ニケは引っ付いたままキミカゲを見上げる。
「翁。ホクトさんはどうですか?」
「……うーん。特に喉が潰れている、といったことはないね。数日は喉が痛むかも知れないから、しばらくはオキンのとこで安静にしておくんだよ? もし大声出したり見回りしたり、このくらいなら大丈夫だろうとか言って、勝手なことをしていたら……」
肝心なところをぼかす薬師。
「し、していたら、なんすか? 最後まで言ってほしいっす」
おじいちゃんは握りこぶしを顔の横で作る。
「怒るよ?」
全然迫力も何もないというのに、ホクトはビシッと敬礼した。
「了解したっす! ……えほごほっ!」
「大声出すなと言ったのにこの子は……」
おじいちゃんと一緒に背中を摩りながら、ニケはううむと唸る。
「しかし、毒ですか。最近の引ったくりは物騒なんですね。そうだ! フリーにも伝えておかなきゃ」
「いやあの……待ってほしいっす」
その辺の引ったくり犯は毒なんて常備していないし、今回のはただの引ったくりじゃなかったのだが、ホクトはなんと説明したものかと目を泳がす。
これ、ちゃんと言っておかないとフリーが引ったくりを、魔九来来を使ってまで撃退するようになったら、引ったくり犯の命にかかわる。なぜ引ったくりの心配をしなきゃいけないんだと疑問が浮かぶが、ホクトから見てもフリーの魔九来来は殺傷力が高い。ヒスイだから生きていただけで、一般人だと耐えられずにあの世へ直行してしまうかもしれないのだ。引ったくりを軽罪というつもりはないが、さすがに罪に対して罰が重すぎる。
並んでいたヒトの健康診断を開始し始めたキミカゲが、助け舟を出した。
「ニケ君。引ったくりに会ったら無理に戦おうとしてはいけないよ? すぐに治安維持の子たちに報せてね?」
「そ、そうですよね。フリーに毒が当たったら危ないし。分かりました」
まあ、素直。
真面目に悩んでいたホクトはがくっとよろけた。
ともだちにシェアしよう!