40 / 56
第40話 どやえへーん!!!
「お、翁? お疲れでしょう? お茶淹れましょうか?」
顔を覗き込むと、無表情でキミカゲはどこかを見つめている。よほど疲れたと見える。今日は休みだー! と思っていたら仕事が入ったようなものだ。仕事がある日より疲れる。
「翁?」
「あつーぅいやつ。淹れて、ちょうだい。あっついの」
「はい」
注文通りアッツアツのお茶を淹れて戻ると、眼鏡を外したキミカゲがうつぶせになっていた。畳と一体になっておられる。呼吸出来ているのだろうか。
音を出さないよう気遣いながら、そばでそっとしゃがむ。
「翁? お茶をお持ちしましたよ?」
「……」
返事がない。ひとまず踏んでは危険なので、眼鏡を机上に置く。
これが壊れたら、次はないらしい。超貴重品である。
視力が2,0以上のニケにはよく分からないが、視力が低下してもこれをつけると一人でも生活が送れるようになるらしい。
――これをつけると、僕もさらに見えるようになるのか?
貴重なものだと分かっていても、好奇心が勝った。
そっとお茶を乗せたお盆を机に置き、ドキドキと眼鏡をつけてみる。途端に視界が歪み、頭がくらっとした。たまらず後ろにころんと倒れる。
「ふぎゅ?」
「……どうしたの? あ、駄目だよ? 持ち主に合うように眼鏡って作られているから。それに引っ掛ける耳が顔の横にないと、つけれないよ」
「うむー。すみません。勝手に」
動くのをやめた生物のように畳に引っ付いておられたのに、子どもが転んだ気配を感じ取るとすぐさま起き上がってきた。どこもぶつけていないかと、あちこちを撫でてくる。くすぐったい。
「むひゃひゃ」
「ふふっ。はい。眼鏡は没収します」
ひょいと取り上げられる。
眼鏡を耳にかける翁を見て、ニケはひっくり返ったまま手足をバタつかせる。
「翁はその、眼鏡をつけなかったら、どのくらい見えないんですか?」
「ん? そうだねぇ」
眼鏡を外し、キミカゲはぐっと顔を近づけてきた。鼻先が触れそうな距離。
「このくらい近づいて、やっと相手の顔が見えるくらいかな?」
「え? ほぼ見えないじゃないですか。そんなに見えないんですか?」
「まあね」
ころんと起き上がる。
「眼鏡があって良かったですね」
「……」
「翁? どこ向いてるんですか?」
あれ? 嬉しくないのだろうか? まあ、翁に眼鏡があって、助かっているのは患者さん達か。眼鏡がなければ薬師やっていなかったかもしれないし。
そう思えば世紀の発明品のようだが、キミカゲはあまりありがたがっていない。
キミカゲはニケを抱きしめる。
「はあ。今日は一日中こうやって過ごす。決めたもんね」
「……」
僕を抱きしめると元気になるのだろうか? それならいくらでも。
ニケもぎゅっと、鈴蘭模様の白衣を握りしめる。えへへ。たまにはこんな日があってもいいな。
『おい! 戻ってきたぞ。キミカゲ様』
どんどんと戸を叩く音。こんな日終了。
「……」
項垂れているキミカゲの代わりに、ニケが棒を外して戸を開ける。
立っていたのは先ほどの保護者おじいちゃんだった。いかにも厳格者な顔つきで、ニケを見下ろしている。オキンとはまた違った迫力があるなと、ニケは思う。
「忘れ物ですか?」
「キミカゲ様に用がある。入るぞ」
ニケを蹴らないようにずいっと入ってくる。
キミカゲは何とか気を取り直し、座布団にのろのろと尻を乗せる。
「はい。いらっしゃい。そういえば話があるとか言ってたね」
「うむ。ああ、茶はいらんぞ。すぐ帰る」
お茶を淹れに行きそうな幼子に声をかける。
「要件はこれだ」
懐から取り出したのは一枚の封筒だった。
「……」
「……さっさと受け取れい」
「え? ああ」
判断力が低下しておられる。キミカゲの細い指が封筒を受け取る。
差出人を探すように、封筒の裏表を眺める。
「恋文でももらったのかい? 君は奥さん以外の女性は、雑草にしか見えない男だろ?」
「それはキミカゲ様もであろう? って……いらんことを言わんでいい! 恋文ではないわ。あれ(妻)が出した懸賞が当たったのだ。首都一日見学ツアー。首都までの交通費や宿代が免除される。キミカゲ様にやろう。孫を診てもらった礼だ」
キミカゲは封筒を突き返す。
「いやいやいや。奥さんとお孫さんと、三人で行ってきなさいよ」
「それの期限は今月までだし、あれ(妻)は足を悪くしておる。わしには必要ない」
のろけに来たのか? という視線に、厳格おじいちゃんはイラつく。
「違うわ!」
「何も言ってないよ?」
「ではな。キミカゲ様。せいぜい長生きするのだな」
ふんっと捨て台詞を吐くと、さっさと帰っていった。
「……はあ。あの子は元気だね」
封筒を慎重に開け、中身を取り出す。
「『海鮮を食べて首都に行こう!』……の懸賞で当たったのか。確かに一時期やっていたね」
高価な海鮮セットをたくさん食べる必要があったので、キミカゲは応募しなかった。というか、金持ち以外難しいだろう。
キミカゲはふっと笑みをこぼす。
奥さんとお孫さんと一緒に、たくさん食べたんだろうね。お孫さんに上等な飯を~って言ってたし。それなのに奥さん、足悪くしちゃったのか。そのわりに全然悔しそうじゃなかったのは、奥さんに付き合って特に好きでもない海鮮を食べていたからなのかな。
(それにしても、どうしようかなこれ)
チケットを封筒に仕舞う。
オキンにでもあげようか? いやでもあの子、首都くらいなら飛んでいけるし、そもそも首都なんて行き飽きているだろうし。では、換金してお小遣いに? 私より金持ってる子にお小遣いあげてもなぁ。受け取らないだろう。
仕方ない。ニケ君たちの借金の足しにしておくか。この首都行チケット、結構な金額になりそうだし。ちょっとでも借金を減らして……
うんうんそれが良いと、ひとり頷いているとお見送りのついでに戸締りをしてくれたニケが戻ってきた。
封筒を見て、目を輝かせている。尻尾も振っている。
いやな予感がした。
「翁っ。それがあれば首都に行く際の手段や交通費はいらないんですよね?」
首都に行く予定のあるニケからすれば、渡りに船だ。前回は竜車だったから交通費はいらなかったが、実際払うとなれば稼ぎが財布ごと飛んでいく。ならば、歩いていけばいいのだが、同行者(フリー)にそんな体力はない。
それがあれば! ……と、おめめをキラキラさせている幼子。
キミカゲは封筒の真ん中を摘まんで、力を込めようとした。
「ストーップ! なぜ破こうとするんですか?」
しゅぱんっと封筒が引っ手繰られる。ゴミに変えようとしたのがバレるとは、勘が良いね。
封筒を抱きしめ、ニケは距離を取ってぷくっと頬を膨らませる。
「翁?」
「いやあだって……。それがあればニケ君ひとりで首都に行っちゃいそうで」
首都に行きたいんですけど?
「たとえフリーが行けなくとも、僕一人で行ってきま、あああん。駄目ッ! 取っちゃ駄目!」
取り上げようとしたが躱された挙句、帯の中に仕舞われてしまった。反射神経で勝てるとは思ってないけど無理だったか。
手を引っ込める。
「あのねえ、ニケ君。よしじゃあ行ってらっしゃい、なんて、言えるわけないでしょ?」
「な、なぜです?」
目を見開くニケ。そんな驚くかい?
「小さな村では子どもが三歳になったらひとりで買い物に行かせる風習があると聞きました(フリーから)」
「うん」
説得しなければいけないと思ったのか、ニケの声に熱がこもる。
「僕はもう八歳。三歳の倍っ! 以上っ! は生きているんです。つまり一人で首都くらい、余裕です」
どやえへーん(ドヤ顔でえっへん)と胸を張る犬耳幼子。私の千分の一も生きてないね、というのは黙っておいた。
「ふーん。……で?」
「ふぇっ⁉」
もしかしていまので説得できた気でいたのか、「予想外の事態!」というような顔をしている。いかん。可愛い……にやけるな、私。
「駄目なんですか?」
「一桁の子を、単品で首都に放り込めないよ。三歳の子が一人でお使いに行く風習はね? 知ってるよ? でもあれは村が一丸となって(こっそり)見守っているから出来ることなんだよ」
「……」
そうなんだ、という風に耳を垂らしてしまった。ニケは物分かりが良い子だから分かってくれるだろうけど、だからって首都に行きたい気持ちが消えるわけでは、ない。
どうしようかな……。このことで最近ずっと悩んでいるよ。悩みすぎてたまに頭が痛い日もある。今こそ糖分が欲しい。
ともだちにシェアしよう!