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第48話 女神の手が届く範囲内
「―――……?」
目を開けると知らない天井ではなく、ニケのドアップだった。
「……えっと」
「起きたか?」
ニケの低い声を聞くと、どうして心がこんなに安らぐんだろう。
自然と口角が緩む。手が動き、ニケをわしゃわしゃと撫でまくる。ニケはその手をやさしく払うと、がしっとフリーの頬肉を掴んだ。
「だから、起きたら僕に挨拶しろと言っただろうが!」
「ふえー。しゅひはへん(すみません)」
笑顔を浮かべてはいるがフリーの声は小さかった。
ニケは悲しそうに手を放す。
「具合はどうだ?」
「ここは?」
二人の声が重なるが、フリーはニケの質問に先に応えることにした。そんな顔をされては。
「……ちょっと、頭が痛い、かな?」
「ズキズキする感じか?」
「ん……? 分かんないや。ニケは? 怪我してな……」
そこでようやく意識がはっきりしてきたのか、フリーは肘に力を入れて身体を起こそうとした。だが完全に起き上がる前に幼子の手によって阻止され、再び横になる。
ニケの力が強いことは知っているが、胸に手のひらを添えられただけで起き上がれなくなった。それだけ自分が弱っているのだろう。
起き上がろうとしたせいか、ズキッと頭部が痛んだ。
当然、叱られる。
「急に起き上がるな。馬鹿者。すべての関節を捻るぞ」
「す、すいません……。命だけは。あの、山賊は? ニケは? 怪我してない?」
ニケは呆れたように小さく息を吐く。
「僕に怪我はない。山賊は三号車に乗っていた蛇乳族が鎮圧してくれた。怪我人は多いし死者も出たが……治安維持が来てくれて助かった」
「そっ……か。蛇乳族って、ペポラさん?」
ニケは首を横に振る。
「悪人面の男となんか自信なさげな男の二人組だ。ペポラさん、だったら良かったんだけどな」
「うん……」
よしよしとフリーの額を撫でる。
「ここは蘇血村という小さな村だ。怪我が酷い乗客もいたから、一番近くにあったこの村で、いまは皆安静にしているところだ」
フリーはぼんやりと自身の身体の周囲を見回す。
布団ではなく敷かれた藁の上で、埋もれるように横になっている。
ニケは白い骨を取り出していっぷくする。
「はあ。お前さんが縦長なせいで合う布団はないし、比較的軽傷と判断されたから、寝具は貸してもらえなかったんだ。だからそれで我慢しろ」
小さな村だ。外ではなく家の中に入れてもらえただけでありがたいが床に転がすのは可哀想と思ったので、家畜を育てているヒトに頼んで藁を借りてきたのだ。ニケがせっせと運んでいると、同じ牛車だった奥さんと村長の娘さんが手伝ってくれた。
「どのくらい、寝てたの? 俺は」
フリーはそっと腕を持ち上げた。つま先も動かしてみる。五体満足だった。
「んー? ここに着いてから三時間は経過しているな。さっき軽く昼飯をご馳走になったところだ。お前さんの分も確保しているから、安心しろ」
枕元を見ると、大きな葉にくるまれたおむすびがちょんと置いてある。ご馳走になったと言ったが、多分これはニケの分だろう。
フリーはゆっくりと身を起こす。
「おい。起きて大丈夫か?」
すぐにニケが背中を支えてくれる。
「頭がガンガンする」
額を押さえるフリーの片手を、ニケがぎゅっと握る。
「ふえ?」
「っ、いいか? よく聞け。この村に何故か黒羽織のヒト達がいてな、お前さんもしっかり手当てしてくれたぞ。だからもうすぐ痛みも引いてくるはずだ。悪い方に考えるな。身体の力を抜け。楽にしていろ」
「……」
怪我人や病人を安心させるのも薬師の務めだ。ニケは薬師ではないが、キミカゲの治療を側で見ていたせいか、治療時の言動まで似てきている。
フリーは笑みを浮かべる。
「ありがとう。ニケ。ニケに手を握ってもらえたら、元気出てきたよ」
そう言ってもらえて、ニケもホッと表情を緩ませる。手を握った際、フリーの手が水のようで心臓が跳ねたのだ。
邪魔そうに骨を懐へ仕舞うと、にやっと笑みを見せる。
「そうか。じゃあ、ほっぺをくっつける必要はなさそうだな。痛みが紛れるならすりすりしてやろうと思ったが、必要ないか。そうかそうか」
「どぼぢでそんなごど言うのっ?」
小さかったフリーの声量が普段のに戻る。
「あああああん! ほっぺすりすりしてほしいよおおおっ。ニケのほっぺ! ニケのぼっぺえええええんああああっ!」
ニケを抱きしめ年甲斐もなく泣き出した男に、周囲がざわつく。
「すーりすーりしでよおおおっ。もちもちしでほじいよ! 俺のもちもちがあ。もちもちしだいよぼおおおうええええん」
何を言っているのか分からないな。まあ、いつものことか。
うるさそうに耳を塞ぎ、ニケはもう大丈夫だなとあくびをした。
ずっと気を張っていたせいか眠くなってきたのだ。むにゃむにゃとフリーの腕の中で瞼を閉じる。
「ぐずっ、あれ? ニケ? ずびっ、寝ちゃった?」
鼻水を垂らしながらニケの顔を覗き込む。安心したような寝顔。
――心配をかけちゃったな。
ニケの小さな手はフリーの着物をしっかりと握っていて、寿命が延びた気がした。
「なんの騒ぎだ」
五人も入れない狭い部屋に、副隊長が入ってくる。ここは部屋ではなく農具などを仕舞う納屋ではあったが、隙間がないせいか外よりはあったかい。狭いので農具類は村長の娘が外に運び出してくれた。もちろん維持隊も手伝った。納屋にしてはきれいな方だが、埃を逃がすために窓を全開にしてある。
軽傷の者を三名ほど寝かせておいたが、元気になったのか?
赤犬の子を抱いて泣いている青年へ近寄る。
「貴方は頭を負傷していたな。どうだ?」
「……治安維持の、ヒト?」
「そうだ」
金緑の瞳が、維持隊の頭部や尻部を舐め回すように見つめる。
毛に覆われた耳や尾は、見当たらなかった。フリーは歯を喰いしばる。
「頭が少し、痛いですけど。マシになってきました……ぐぎぎぎ」
「なんでそんな残念そうな顔をしているのかは分からないけど、それは良かった。黒羽織の薬を使ったから、心配はいらないぞ。多分な」
頭を撫でようとしたが、頭に包帯を巻いているので白い青年の肩をぽんと叩いておく。
「あの、山賊に襲われたって、誰かが報せてくれたんですか?」
「ん?」
そういえば、赤犬の子もそんな質問をしたような。目を落とすと幼子は眠っていた。
副隊長は深い森を思わせる色の髪を耳にかける。尖ってもいない、フリーのものとよく似た耳だった。
「報せてくれた……というか、教えてくれたのはアキチカ様だったよ」
「え? あの角のヒトが? なんで?」
「角のヒトって、あんたな……」
副隊長は首をひねりながら、顎に指をかける。
「さてな。急に署に来て隊長に『首都ツアーの車を追いかけて』っておっしゃったんだと……」
朝から酒を呷っていたナカレンツアは当然、面倒くさそうな訝しむような顔をした。
『はあ? 急に来てヒック、何を言われるのです?』
『首都ツアーの車を追いかけてくれない?』
『はい。分かりました』
神使の紫の瞳がうっすら光っているのを見て、ナカレンツアは脳死で敬礼した。
維持隊全員を連れて行くのは多すぎ、または紅葉街の警備がおろそかになるという理由で、仮眠を取っていた隊員たち全員、八つ当たり気味にたたき起こされた。夜勤を終え、さあ寝るかと横になった途端、これである。
辞表を書きそうになったが寝ぼけ切った頭でも、即座に動けるのは鍛錬の賜物だろう。
「恐らくだが」と、すごい眠い副隊長は続ける。
「アキチカ様の主、豊穣の女神が紅葉街の住人の危機に、気まぐれを発揮してくださったのかも知れないな」
神は基本、大事なのは自分の神使だけで、地上の生物にはあまり干渉しない。だが、自分が守護する土地に住んでいる者に、情けをかけてくれることもある。
ニケが冷えないよう、自分の布団をかけてやる。
「でもここ、紅葉街からかなり離れてますよ?」
副隊長は軽く笑う。
「俺たちからすればそうだが、神からすれば誤差の範囲内。豊穣の女神の手が……目が届く範囲内だった、ということだろう。きっと」
フリーはアキチカが居そうな方角に手を合わせておく。器用にニケを抱いたまま。ニケを床に下ろすという選択肢はないらしい。
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