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第49話 正直、乗せてってほしいですけど。うーん

「地上の生物に気がないふりをしているのに、神はこうしてたまに俺たちを助けて下さる。だから感謝を忘れられないよな」  うんうん頷いている深緑の髪のヒトを、フリーはじっと見つめる。 「助けてくれたのは、貴方たちじゃないですか。ありがとうございます」 「……」  副隊長はしたり顔のまま固まる。  数秒後、我に返った。 「え? いやそんっ……。俺たちは何もいていないぜ? 山賊を倒したのも、乗客だし。あれ? そういえばあいつらどこ行った?」 「貴方たちがいるから、紅葉街のヒトは安心して暮らせるんですね。この恩は忘れません」 「…………」  周りを見ると、他の怪我人も「維持隊」に向かって手を合わせていた。 「~~~っ!」  やかんが沸いたような音を立てながら、顔を真っ赤にして慌てふためく。明らかに感謝され慣れていない者の反応だった。 「た、隊長が聞いたら、喜ぶでしょうねッ! では、他の部屋も見てきますので」  謎に敬語になり、恥ずかしくなったのか納屋の戸に手をかけるが開かない。  ガタガタガタッ。 「……?」 「引き戸ですよ、それ」  教えてやると、副隊長は即座に戸を引いて出て行った。眠気はどっか行ったようだ。  フリーはニケの頬をぷにぷにとつつく。ぷにぷに。 「はああ……。幸せえぇ」  でもニケは首都に行けなくなったことを、悲しむだろうな。  ふうっとため息をつく。  フリーだって残念でならない。スミと花子さんに会いたかったのに。もふもふしたかったのに。何より、大会に出るスミを応援したかった。  しかし、こんな事態になってしまえばツアーは中止だろう。死者も出ているのだ。のんきに「ではツアーを再開します」とはなるまい。  フリーは窓から空を見上げる。  雨は小降りになって、雲の切れ目からは青空が見えた。  ツアーは中止となったが、 「首都には行きますよ? 当然」  怒りが一周して逆に冷静になったような表情で、海の民の男性は身支度をする。意地でも行くと顔に書いてある。商人って逞しいな。  蘇血村で世話になって二日。  フリーの頭の傷は、包帯は取れたが大きなガーゼが貼りつけられている。白髪なのであまり目立たないとはいえ、痛々しい。  対して背中をなかなか深く斬りつけられていた男性は、傷跡がうっすら残るだけとなった。  治る速度の差に、ニケは感心ではなく呆れたように笑ってしまう。  フリーはぱちくりと瞬きする。 「え、でもシェルさん。死人も出たのに? 行くんですか?」  海の民の男――シェペルシーウナバラ。シェルさんはいとこと丁稚(商家に年季奉公する幼児)に持ってこさせた自前の牛車に荷物を積んでいく。  この二日、夜になるとフリー目当てに声をかけてくるものだから、普通に会話する程度の仲になっていた。干し杏の礼を言うと、「気に入ったのなら、店で売っていますので遊びに来てください」と営業してきた。紅葉街の北側に、干物店を構えているらしい。  夜の相手云々の話は傷が治っていないからとニケが断ってくれたが、嫌いになり切れない相手、といった表情で、口調は優しめだった。  シェルは指示を出しているせいか、上の空で答える。 「死人が何ですか? 瞬き一回の間に、世界中で五千人くらいは死んでますが? そして五千人産まれてくるんですよ。死は、足を止める理由になりませんよ?」  何言ってんだこいつ、という目で見られ、フリーはあっけに取られた顔で気まずそうに肩を揺らす。  死は常に隣にある。恐れもするし、親しい者が死ねば悲しい。だが、それだけだ。というか、構っているほど暇ではない。寿命には限りがあるのだ。  明日死ぬと思って、やりたいことに向かって走り続ける。   生きている者は、生きることに忙しい。  海の民の男はそんな態度だった。これもまた海と陸の価値観の違いなのだろうか。レナさんもさっぱりしたお方だし。  シェルは作業の邪魔になるため束ねていた髪紐を解く。海の底のような暗い青。貝殻のように波打つ髪が、腰のあたりまで落ちる。一房だけ、中途半端な長さで途切れているが。  大きな目を細め、ぽかんとするフリーの胸元をとんとんと拳で叩く。 「へへっ。それで? どうです? もう傷も治ったでしょう? 今夜あたり相手をしてくれるというなら、私の牛車で首都まで連れてってあげますが?」  そうとうフリーにご執心のようだ。  話を聞くに、珍しい髪色でないと興奮出来ない特異体質のようだし、なんとしても一晩、出来れば手に入れたいのだろう。ニケとしてはそろそろ殴りたい。  フリーは困ったように首を傾げる。 「夜の相手って、基本的に何をするんですか? 枕投げ?」  シェルどころかその丁稚まであ然とした。 「こ、これは……。左様ですか。いいですよ? 布団の上で転がっているだけのマッグロでも。私が手解きを」  丁稚が用意した踏み台に乗り、フリーに顔を近づける。それでもまだ少し見上げなくてはならないが。  わざわざ目線を合わせようとするなんてこのヒト、ディドールさんみたいなことするなと思いつつ、フリーは親愛を込めてほほ笑む。 「!」  敵意がないことを示そうと思っての笑みだったのに、シェルは間違って虎の巣に入ってしまったような表情をした。  踏み台から下りると、すごい勢いで後退る。  ぽかんとするフリー。 「シェルさん? どうしたんですか?」 「い、いや、なにか髪と耳になにかっ。嫌な気を感じましてね?」  頭部を庇うような仕草をするシェルに、フリーはニケの側でしゃがむ。 「なんであのふわふわの髪に手を突っ込んでみたいと思っているのと、ヒレ耳触りたいと思っていたのが、バレたんだろう?」 「……」  ニケはあほらしくて目も合わせなかった。フリーはいたって真剣に驚愕しているのだろうが、教える気にならない。 (そういや阿呆だったな、こやつ)  再認識して、骨を齧る。 「ニケ?」  無視されてもフリーは気にせず、頬をぷにぷにとつつく。齧られている骨がうらやましい。  ニケが構ってくれないので、シェルに歩み寄る。 「シェルさん」 「な、なんでしょう?」  後退りが止まらない海の民。 「そっちから近寄ってきてくれたのに、なんで遠ざかるんです?」 「あ、へへっ? い、いえ、ね? あの、目が怖いんですが?」  ずんずん迫る白髪に、シェルはとうとう走り出す。 「っ待てオラァ!」 「なんか口調変わってませんかね?」  つい先輩の真似をしてしまった。早く会いたい。 「ぁ、あう……」  主を助けたいが、百八十センチに挑む度胸はない丁稚がおろおろと見守る。ニケはそんな丁稚さんの着物をくいっと引っ張る。 「暇なのであっちで水でも飲みませんか?」 「え? え? あうう……。でも、旦那様が……」 「まさかあなた一人で来たんですか?」  ぼろい着物の丁稚はふるふると首を振る。 「旦那様のいとこの方と一緒に……です」 「そうですか」  久しぶりの近い年齢の子に嬉しくなったのか、ニケは積極的に話しかける。どこぞの蝙蝠野郎と違って嫌な気がしないから気楽だ。  水を飲みながらだべっているとフリーがばたっと倒れたので、回収に行く。 「んなぁ、お前さんさぁ……。頭、怪我しているの忘れたんかい?」 「目の前のもふもふに感動して(怪我を)忘れてました」  腕を引っ張って立たせる。 「まだ休んでいろ」  (背中に届かないので)ケツを押してフリーを納屋へ押し込む。  視界から消えたおかげか、シェルがホッとしたようにニケに近づいてくる。 「……お坊ちゃん方は? 首都には行かないんですか?」 「正直、乗せてほしいですけど。フリーはその、えーっと、怪我の治りが遅い種族なので、もうちょっと様子を見ます」  丁稚から受け取った手ぬぐいで汗を拭っている。海の民から見ても、蜘蛛男は怖いようだ。僕だって怖い。  シェルは少し残念そうに眉を下げる。 「ですが、もう出発しないと大会に間に合いませんよ? 今日出発して、何もなければギリ間に合うといったくらいですのに」  この二日、フリーがランランについて熱く語っていたからなぁ。  ニケも大会に連れてってやりたいが、フリーの身が第一だ。彼に代えられるものはない。フリーだって僕が一番大事だしな。  悩む犬耳に、海の民は譲歩する。 「夜の相手がお坊ちゃん的に許せないのなら、へへっ、髪の一房でも構いませんよ?」  全然譲歩してないな。いや、彼的には譲歩なのだろうが。  背後で戸が開く。

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