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第55話 ふにっ

 鬱陶しそうにフリーは白髪を耳にかける。 「だいたい、ワガキミってなんですか?」 「へ?」  鬼が目を点にする。  気持ちは分かる。事情を知らなければ、フリーのことはただの無知阿呆世間知らずとしか映らないだろう。いや、その通りなのだが。  温羅は「なんでそんなことも知らないんだ?」と言いたげに、人差し指でかりかりと頬を掻く。 「主を、親しみを込めて呼ぶものでさあ。気に入りませんかい?」 「ふー……ん? 落ち着かないかな? 主ってニケみたいにしっかりしたヒトのことを言うんでしょ? 俺はそんな立派な人間じゃないし……りりり立派な幽鬼族じゃないし」  油断していたのか思いっきり言い間違え、大量の汗がぶわっと溢れる。ニケは呆れすぎて頭が痛くなった。 「幽鬼族?」  鬼は裏返った声を出す。その目が「お前のどこが幽鬼族だ?」と言っている。 「我が君? 具合でも悪いんですか?」 「俺は幽鬼族なの」 「……え、どう見ても」 「幽鬼族。言ってみて」  つんっと鼻先をつつかれ、温羅は口をパクパクとさせた。 「お、ゆ、我が君は幽鬼族で、す?」  フリーはにっこりと笑う。 「うん! よろしくね?」 「……なにか事情があるんですね? そういうことにしておきましょう」  大人の対応をしてくれた。 「うん。で、ニケは? どういう店に行きたい? 今なら温羅さんが案内してくれるよ! やったね」 「うーん。そうだな。僕は洋服が売っている店に行きたいな」  ニケの顔を覗き込む。 「洋服って、スミさんが来ているやつ、みたいな?」 「おう」  シャツ+ズボン+ニケ=可愛い(可愛い)。 「よよよ、洋服を着てるニケっ? そんなの可愛いに決まってるじゃん! よし行こう。すぐ行こう。さあ、温羅さん。案内してね」 「へーい」  歩き出した温羅の後ろに続く。  ヒトの数が増えてきたように思う。ただでさえ人口の多い首都だ。ちょっとでもよそ見をしようものならすぐさま誰かにぶつかるだろう。 「おい、あれ……」「鬼だ」「いいか、絶対に目を合わすな」  先頭を温羅が歩いているおかげか、ヒトが勝手に避けていく。快適だがめっちゃひそひそ言われる。  これなら歩きやすいと、ニケはぴょんと腕から飛び降りる。歩けるなら歩きたいのだ。だが地上に着くなり頭上から「なんで下りちゃうの……?」と、怨念じみた声が聞こえた。無視した。 「ねえ、温羅さん?」 「へえ」  わざわざ足を止めて振り返ってくれる鬼に、フリーは「歩きながらでいいよっ」と慌てて手を振る。 「そうですかい……」  歩き出す鬼の背に話しかける。炎に似た赤い髪がきれいだと思った。 「温羅さんさあ。なんかあった時と話し方、違くない」 「……そっ!」  ばっと口を押さえ、鬼は苦虫を噛み潰した顔をした。  ――あの時は、かっこつけてたなんて言えないっ! (べ、別に大物感を演出したかったとかじゃないし!)  あちこちに目を泳がせ、なんとか声をひねり出す。 「……き、気のせいですよ」 「ふうん? そういうことにしておくよ」  声が裏返ったが、主は大人の対応をし返してくれた。  顔を見られたくなくて、若干早足になる。 「ちょっと待ってよ。温羅さんて、ずっと俺の側にいるつもり?」 「ま、まあ、そりゃあ。我が君より、強い者が現れるまでは」 「そんなに強いのに王様とかアキ……神使さんとかに、仕えたりしないの? 喜ばれるんじゃない?」  血を煮込んだようなどす黒い瞳が、ちらっと振り返る。 「自分の王は自分で決める主義でして。神使は、神になんぞ近づきたくもないですね」 「祭りには来てたじゃん?」 「……何が言いたいんです?」  言いながら目を細める。怒ったわけではないのに、通行人がそろって青ざめる。ニケもランランのにおいがついているフリーの背中にしがみつく。 (この馬鹿。あんまり刺激させるなよ)  ハラハラするにニケの心情に気づかず、フリーはキョトンとする。 「え? ただの雑談ですけど? 俺、温羅さんのこと何も知らないし」  温羅はふっとかすかに笑い、目を閉じる。 「我のことを知ろうとしてくださって、光栄でさあ」 「でね? 俺は借金を返したらニケと宿を再開させるんだ。温羅さんは宿経営とか、したことある? って、これ、ニケに許可取らないといけないのか」  ぽんと手と叩く。 「ねえ、ニケ。温羅さんも多分宿についてくるけど、いいかな?」  振り返ると、肩に顔を乗せていたニケの頬と頬がぶつかる。  ふにっ。  その場に倒れ込んだ。 「ぐあああああっ! あったかくてやわらかいいいい」  身構えていなかっただけに、半端ではない衝撃に襲われる。 「我が君っ?」 「急に倒れんな。びっくりするだろ」  二分後。 「宿の経営などは、したことありませんね。放浪の身ですから」  ごつくて太い腕を掴み、前を歩く温羅の顔をひょいっと覗き込む。 「そうなの? じゃあ、俺が先輩ってこと? えへーん。色々教えてあげるからね。まず、お客さまには笑顔を迎えなきゃいけないんだよ」  人差し指を立てて胸を張るフリーの足をぺしっと蹴る。 「調子に乗んな」 「えへへ……。つい。あ、宿ではニケが一番立場上なんだからね。温羅さんもニケの言うこと、しっかり聞くんだよ?」 「楽しそうですねぇ」  軽くクスッと笑う。興味なさそうにされ、ニケではなくフリーがムッとする。 「ちょっとこれ、大事なことなんだからね?」 「我はそんなことより、こっちの方が」  フリーの腰を掴んで引き寄せる。 「うわっ」  急に動く方向を変えられ、足が絡まる。転びかけたフリーが温羅の両肩に全体重をかけて手をついてしまうも、彼はビクともしなかった。 「我が君。なんだかやじろべえみたいですね」  魔九来来を使ったせいだとは言わず、 「温羅さんが急に引っ張るからでしょ!」  と、怒っておく。  百八十センチに見下ろされる形で大きな声を出されても、温羅は薄く笑うだけ。余裕の笑みは消さないし、掴んだ腰も放さない。  抱き合うようなふたりに、通行人がちらちらと見ていく。「触んな」とニケが温羅の手をげしげし蹴るも、「ダメージゼロ」という文字が見えるかのようである。 「温羅さん。なに? くっつきたくなったの? 寂しがり屋さんなの?」  しょうがないなーと頬を膨らませるフリーの唇に、背伸びをした温羅が噛みつく。口づけと呼ぶには無遠慮で乱暴にすぎた。 「わうっ?」 「……? ……~~~~ッ!」  通行人が目を見開いて固まる。  押しのけようとするも、魔九来来を使っていないフリーでは不可能だ。身体強化しようにも声が出せる状況ではないし、なによりそんなことは頭から飛んでいた。 「ん……んっ」  逃げようとしても後頭部を掴まれ、舌が差し込まれる。反射的に噛みついてやろうとしたが、鬼の舌はゴムのように弾力があり、文字通り歯が立たない。 「やめろ。こやつ!」  ニケが助けようとするが、どこを殴っても温羅は怯みもしない。小さな拳の方が痛くなる。 (僕もまだそんなに口づけしたことないのにっ)  火で燃やしてやろうかと思うが、地獄の業火の上で眠る鬼に、火が効くはずもない。それにこれだけ密着していたらフリーまで燃える。  酸欠で意識が遠のきかけた頃、ようやく解放された。唇と唇の間に、銀の糸が伸びる。  膝に力が入らず、崩れかけた青年を片手で抱きとめる。 「温羅さん? ……はぁ……なに?」 「なんでしたっけ? そうそう、宿をやるより、我はこういうことの方が好みでさあ」  口元を手の甲で拭い、豪快に笑う。ニケは殺意が湧いた。  仔犬の怒りなどそよ風ほども気にせず、鬼は主の足も持ち上げ横抱きにする。

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