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最終話 新たにひかるまで
今年の桜は早かった。らしい。毎年、桜がいつ咲いていつ散っているのかなんて興味がないから知らないが、高校3年の卒業式の日には桜がちらちら舞っていたのを覚えている。
夏休みが明けてから、俺は和田と一切接触することはなかった。元々、2組の俺と5組の和田は教室自体が離れていて使う階段も違ったし、体育で一緒になることも選択授業で一緒になることも幸いにもなかった。
それでも無意識に視界の端に和田を見つけてしまう事は多々あった。目が合うことはなかったけれど。
和田への恋心を消す事は難しかった。俺は夏休みが明けても、どうしたら和田と不毛な関係を続けていられただろうかとシミュレートする癖がついてしまったし、夜な夜な和田を思い出しては泣き出したり自分を慰めたりしていた。
一度精神科とかカウンセリングにでも行くべきなのか?と思ったが、秋の半ば頃には受験生という現実を思い出して正気を取り戻していった。
結果、第一志望には落ちたものの滑り止めにはまあ受かった。それでも俺は不貞腐れて、姉に揶揄われたり馬鹿にされたりして久しぶりに取っ組み合い寸前の大喧嘩になった。母だけが何も言わずに見守ってくれていたのが唯一の救いだった。
和田が医大に受かったという話は風の噂というか、普通に話題になって俺の耳にも届いた。密かに落ちてしまえと思っていた俺は面白くない気持ちで残りの高校生活を過ごしていた。(と言っても冬休み明けからほとんど行ってなかったけれど)
その年の冬は暖冬だった。2月は小春日和が続いてそのまま3月になった。みんなの進路が定まり、風が春を含んで吹き始め肩の力が抜ける頃、早々に桜がほころび出した。
そうして卒業式の日があっという間にやってきた。
「くしゅん!」
俺は学校まで向かう途中くしゃみをしながら和田の事を思い返しながら歩いていた。鼻をくすぐる花粉を運ぶ風がうざったい。
多分、きっと。和田を見るのは俺の人生で今日が最後だろう。
俺は結局和田を好きなまま卒業式を迎えてしまった。
和田はもう俺の名前も忘れてるかもしれない。そう思うとなんだか笑ってしまうくらい可笑しかった。
形式的な式が終わり、各々自由に写真を撮影したり、別れを惜しむ時間になっていた。俺はもう良い思い出のないこの学校を一刻も早く去りたかった。去りたかったが、どうしても最後に和田に会いたかった。
「和田」
校門のすぐ近くに和田はいた。何人かの女子生徒に芸能人のように囲まれて順番に写真を撮っていた。校門の近くには桜が植っていて、和田の周りに静かに花びらを散らしていた。それがとても絵になっていた。こういう撮影一等地を陣取っているところがなんとも和田らしい。
「あ、鳥羽くんじゃん。久しぶり」
名字は覚えていたらしい。下の名前を呼ばなかったのは忘れたのか、親密だったことを悟られたくないからなのか、距離を突き付けているのか…。まぁもうどうだっていい。和田の行動理念とか動機とか、考えるだけ無駄だ。
「大学受かった?」
和田は、主に後輩の女子達から囲まれていたがその輪をスッと抜け出して俺の方に来てくれた。
「おかげさまで、第一志望は落ちたよ」
なんでもないように、俺たちの間には何もなかったかのように喋る和田の声と笑顔に、懐かしさと憎らしさと愛おしさが瞬時に湧き上がって涙腺を刺激した。ああ、まだ耐えてくれ。
「そうなんだ。まあ今時、学歴とかそんな関係ないし」
「お前のせいだよ!だから慰謝料よこせ」
「えー?」
俺は和田の襟を掴んだ。周りの女子が悲鳴を上げる。だがその悲鳴が黄色い歓声に変わるまで1秒ほどしかかからなかった。
俺は和田を引き寄せてキスをした。初めてのキスだった。
唇を重ねてたのは、3秒ほどだったがその間に和田との記憶が走馬灯みたいに駆け抜けた。
和田からたくさんの初めてをもらった。初めてセックスをして初めてデートをして初めて手を繋いで初めてこんなに恋をした。
これが和田からもらう最後の初めてだ。和田の唇は想像よりも柔らかくてふわっとしていた。
俺が口を離すまで和田は俺を押し除けたりしなかった。俺が顔を離す瞬間、目が合った。くりっとしたアーモンド型の瞳が見開かれている。和田はずっと目を開けていたのかもしれない。
和田は驚いた顔をしていた。もしかしたら驚いた演技をしたのかもしれない。殴られるかなと思った。それでもよかった。どんな形でもいいから和田の記憶にぶら下がっていたかった。
でも和田はなんでもないようにへらっと笑った。
「びっくりした。刺されるかと思った」
とおどけた口調で言った。俺はそれでダメだった。と悟る。きっと本当に刺すくらいの事をしないと和田は俺のことを覚えておいてくれないだろう。と。
「お前ごときで人生棒振らねぇよ」
「そっか」
「俺、お前のこと嫌いになる。嫌いになるの頑張るよ」
無意味な抵抗だった。無駄な悪態だった。そんなことを言っても和田は傷つかないし、俺も救われない。それでも和田から卒業したい俺の矜持だった。
「頑張って。応援してる」
そう言って肩をポンと叩いて和田はどっかに行ってしまった。
遠くからどういうこと!?とはしゃいだ声が聞こえる。
俺はしばらくその場から動けなかった。遠巻きに何人もの生徒が俺を見ていたが、誰も俺に声をかけては来なかった。
「くしゅん!」
俺は盛大にくしゃみをした。その弾みで涙がぼろっと溢れる。鼻がくすぐったくて痛い。春なんて大嫌いだと思った。
しばらく引きずると思ったのに大学に入ってから恋人ができた。隣で寝ている男だ。これも紆余曲折あったのだが、とりあえず今は割愛する。
俺が欲しかったものは今ここにある。和田に見せたかった。今の俺を。お前なんかいなくても幸せだと。
和田はきっと俺のことなどすぐ忘れただろう。
夏は和田のことを濃く思い出す。予備校の白い教室とベッドルームと観覧車。狭い狭い恋だった。
俺はしばらく輝く月を見ていた。
もう窓は歪んでいない。
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