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青天の霹靂
「あのね、別れて欲しいの」
初夏の爽やかな風が、まるで一陣の刃のように身に吹き付けた気がした。
「……えっ?」
「だって、環君と一緒に居たってつまらないんだもん」
やっとのことで聞き返したのに、恋人である瀧田沙希は表情一つ変えることなく、まるで用意していたかのようにスラスラと言ってのける。
「つまらないって、そんな……」
面と向かってここまではっきり言われるとは思っておらず、次の言葉が出てこない。
沙希と付き合って数カ月、デートは数えるほどしか行ったことがない。それでも、月に何回かは一緒に映画を観たり、買い物に行ったり、それなりに楽しく過ごしていたと思っていた。しかし、そう思っていたのはどうやら俺だけだったらしい。
ショックのあまり言い返す言葉すら出てこない俺を見て、沙希は天使みたいな柔らかい笑顔を浮かべたまま、追い打ちをかけて来た。
「親が椎名コーポレーションの社長って言うから、付き合ってみたけど一人暮らしのタワマンには絶対に入れてくれないし。夜だって全然遊んでくれないじゃない。流石に付き合い悪すぎ。ブランド品もプレゼントしてくれないし、顔だって十人並だし、なんかもう飽きちゃった。だから別れて」
自分の言葉にどれだけの棘が含まれているのか、沙希はわかっているのだろうか。
確かに俺の父さんは地元でも有名な椎名コーポレーションという会社の社長を務めている。しかし俺はそんな家柄を鼻にかける気なんて全くなかったし、むしろ学校の奴らにはそんな家のことは一切話していなかったはずだ。
でも、沙希は知っていた。
何処で知ったのかはわからないけれど、俺の父さんが社長であることを知って、近づいたんだ。
俺が良いとこのお坊ちゃんだから、金になると考えたのか。
そう考えると、自分の何もかもを否定されたようで悔しくて仕方がなかった。
でも、それ以上にそんな事にも気付かず舞い上がってしまっていた自分が惨めだった。
ざぁ、と二人の間を吹き抜けた春風は、まるで俺の心までをも連れ去っていくように、冷たく感じた。
「そういうことだから、もう連絡して来ないでね。バイバイ。童貞君」
言いたい事だけ言ってスッキリしたのか、沙希は何事もなかったかのように駅の方へと歩いていった。
本当に悲しい時って、涙の一つも出てこないんだな。
俺はそんなどうでもいいことを思いながら、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
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