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 期末テストが迫っている。  勉強そっちのけで応援旗のデザインに熱中している守羽(しゅう)だが、さすがにそろそろテスト勉強もしなくては、と昼休みに別館の図書館へ行こうと外へ出た。 (暑い・・)  ユラユラと熱気が漂う空気の向こうに夏向(かなた)の背中が揺れて見えた。 (あ、夏向だ)  数人の友人たちと連れ立って歩いて行くその背中を何気なく目で追っていると、守羽の視線に気付いたかのように夏向が振り向いた。バッチリと目が合い、夏向は一瞬目を見開くと手を振り、何やらサインを送ってくる。守羽が首を傾げると、手に持ったソーダアイスの袋を見せて右手の別館の上を指さし、夏向はそっと友人たちから離れて木の影に身を隠した。一人が振り返り、夏向がいないことに気がついた様子で 「あれ?ナツは?」 と声を上げる。 「え?さっきまでいたのに」 「ナツーッ!」  皆がキョロキョロと探して夏向の名前を呼ぶのを木の陰からニヤニヤと笑ってやり過ごし、守羽に人差し指を立てて唇に当てシッという仕草をした。  守羽は少し俯いて知らぬ顔で速足に右手の別館に向かった。校舎の中に入るとひんやりとした空気が汗で張り付いたシャツを冷やす。後ろから走ってくる足音と、ハッハッという息遣いが迫って来て 「はは、なに、守羽、その顔。ウケる」 と笑いながら夏向が後ろからぶつかるようにして肩を組んできた。 「うわっ」  夏向の熱く大きな体が覆いかぶさってきて、守羽はつんのめった。 「屋上で一緒に食おうぜ」  夏向がソーダアイスの袋を見せる。 「いいの?」 「何が」 「友達」 「何で?嫌い?ソーダアイス」 「好き」 「じゃ、一緒に食お」  夏向の笑顔にこちらもつい、笑って頷いてしまう。  屋上に上がると、コンクリートが熱く焼けて夏のムッとする匂いがたち込めていたが、 給水塔の陰に座るとそこはひんやりとして、時折、風が吹き気持ちがいい。  夏向がソーダアイスをサクリと真ん中で二つに折り曲げるようにして割った。1本を口に咥えもう片方を、ん、と守羽に差し出す。 「ありがと」   守羽は小さな声でお礼を言うとアイスの棒を夏向の手から受け取った。  口に入れるとひんやりと甘いソーダの味が広がる。こっそりと2人だけで食べるソーダのアイスは甘美で格別な味がする。 「おいし」 「ん、うまいよな、これ」 「懐かしいな、このアイス」  子供の頃の記憶が蘇ってきて守羽は呟いた。 「ん?」  夏向があっと言う間に食べ終わって棒を咥えながら訊いた。 「あ、コレ、子供の頃はよく食べたなぁって」 「今は食べないの?俺、毎日ぐらい食ってるけど」 「ええ?毎日?」  守羽は笑った。 「うん」 「最近は全然。小さい頃はお兄ちゃんが半分こしてくれてよく食べた」 「最近は半分こしねーの?」 「うん、もう今はしてない」 「えー、なんで?」 「え?だって、もう高校生だし」 「いーじゃん、高校生でも、半分こして」 「・・それに、もう何年も会ってないし」 「え?そうなんだ」 「うん」 「なんで?」 「父親と母親、離婚して。僕は母親と一緒で、お兄ちゃんは父親と一緒だから」 「え、あ、そか。なんかごめん」 「ううん、別に」 と言う守羽の手にポタポタとアイスが溶けて垂れる。 「おわっ、守羽っ!アイス溶けてるっ!落ちるぞっ」  夏向が叫んだ。 「え?ああ・・」  守羽が慌ててハンカチを出そうとポケットを探った時、夏向がアイスを持った守羽の手をグイと引っ張り手に垂れたアイスを舐めた。肘の近くまで垂れた雫を舌で受けて手の平まで舐め上げる。守羽の体にゾクリと甘い痺れが走った。 「あ・・」  守羽の声が掠れる。夏向は守羽の食べかけのアイスの残りを口に入れて棒から抜き取ると自分の唇を守羽の唇に押し当てた。歯を割って冷たいアイスが口の中に押し込まれほどけて甘いソーダの味が口中に広がる。 「ん・・」  冷えた舌先が一瞬触れ合い、すぐに顔が離れると夏向の上気した顔が間近に見えた。 「じゃあ、これからは俺と分け合えばいいじゃん」  夏向が真剣な顔で言う。 「かなた・・」 「嫌?」  守羽は首を横に振った。 「嫌じゃない」 「ほんとに?」  守羽は小さく頷いた。 「良かった」  夏向の日に焼けた顔をぼぅ、と見つめる。  予鈴が鳴るのが遠くで聞こえた。 「ヤベッ、予鈴だ」  夏向が立ち上がって握ったままの守羽の手を引っ張った。 「わっ」  強い力で引っ張られて守羽は勢いよく夏向の分厚い胸にぶつかった。夏向が守羽の小さな体を受け止め抱きしめる。 「うわ、守羽の体、軽っ」  頭の上で夏向の囁く声が聞こえる。 「ちっさ」  長い手の中にすっぽりと包み込まれて守羽はその心地良さにクラクラと眩暈がした。熱く強い肉体を感じ、もっとこうしていたい、と願ったその瞬間、夏向の体がサッと離れる。 「行こ」  はにかんだ笑顔を見せ、駆け出して行く背中に 「あ、待って」 と呼びかけ守羽もドキドキと胸を高鳴らせながら駆け出した。    期末テストが終わるとすぐに夏休みになる。夏向のインハイはいよいよ来月だ。練習にも熱が入ってきて、夏休みに入ればすぐに夏向は強化合宿、そしてインハイの調整練習へと行ってしまう。  守羽もようやく応援旗のデザインを決め、製作に入った。  ホームルームが終わり、部室に行く前にほんの少し廊下で夏向と言葉を交わす。 「応援旗、出来上がりそう?」 「ギリギリになりそう。終業式の日には絶対、渡すから」 「うん、楽しみ。暑いから無理すんなよ」 「うん。夏向も、怪我しないようにね」  もっと話していたい気持ちを押し殺し 「じゃ、また明日。練習、頑張って」 と夏向の背中を見送る。 (終業式に旗が出来上がったらその後、どうなるんだろう)  なんとなくこの関係は応援旗が出来上がるまでの間のような気がしていて、その先のことが想像できない。夏向から告白されて最初は戸惑っていた守羽も、今はすっかり夢中になってしまっていて四六時中、夏向のことばかり考えてしまう。だが「応援旗を作って欲しい」という夏向の願いから始まった気持ちはその願いが叶った瞬間、守羽への興味を失い存在すら忘れられてしまうのではないだろうか、という思いに囚われてしまう。  夏向の事を好きになってしまった今、そう考えるだけで心臓がちぎれるほどつらい。 「あぁ、嫌だな・・」 (それでも、夏向の気持ちに応えたい。自分には応援旗を作ることしかできないんだから) 胸の痛みに息を詰まらせながらも、部室へと急いだ。 「間に合った」  ようやく夏向の応援旗が出来上がったのは終業式の前の日だった。 「渡貫(わたぬき)君、お疲れさま」 「部長もお疲れ様でした。手伝ってもらってありがとうございました」  毎日、閉門ギリギリまで作業を続ける守羽に部長は何も言わず、ずっとつきあってくれていた。 「カッコいいの、出来たね」 「そうかな、本人が気に入ってくれたらいいけど」  残る不安はそれだけだ。 「へぇ、渡貫君、ずいぶん変わったね」 「え?そうですか?そうかな」 「うん。去年の野球部の応援旗の時は、どうせ誰も見てないから部員に気に入ってもらう必要なんかないんじゃないですか、って言われて、うおっ、ってなったの覚えてる」  その言葉に2人で笑う。 「僕、そんなこと言いましたっけ。部長、うおっ、ってなったんですか?」 「うん、なった。綺麗な顔してエグいこと言うなーって」 「あはは、そっか。結構、本気でそう思ってました。こんなもん、誰が見るんだって」 「なかなか拗らせてるね」 「ですね。でも誰も見てないと思ってたあの旗を見てくれてた人がいたんです。誰に向けても描いてなかったのに、すごいね、いいねって言ってくれてすごく恥ずかしくなった。だから、今度はちゃんとその人に応えたくなりました」 「そっか。そういうの、いいよな。ちゃんと繋がってる感じ。誰かがどこかで見ててくれるって。この旗も届くといいな」 「はい」  終業式が終わり、守羽は美術室で待っていた。 「守羽?」 「お邪魔しまーす」  美術室のドアが開いて夏向と木下が入って来る。大きく張った応援旗を見て 「おおー、カッコいー!!いいじゃーん」 と木下が嬉し気に声を上げた。  白い雲を突き抜けるようにユニフォーム姿の夏向の背中を描いた。手には高跳びのポールを握っていて夏の空に向かって突き上げている。 そして真ん中の夏向の背中に大きな一対の白い羽を旗いっぱいに描いた。 「どうかな?」  無言で目を見開いて旗を見上げる夏向の横顔に守羽は恐る恐る訊いた。 (どうか、気に入ってくれますように)  夏向が何も言わずに教室を飛び出して行く。 「あ?え?夏向っ?待ってっ」 (何?ダメだった?)    慌てて追いかけようとした守羽は木下に両手で肩を掴まれた。 「シュウちゃんっ、だーいじょうぶ」 「え?え?でもっ」 「ナツ、感動し過ぎちゃってるだけだから。もうちょっと1人で浸らせとこ」  木下が守羽に笑顔を向ける。 「え?ほんとに?気に入らなくて怒って帰ったんじゃっ」 「んなわけないって。ナツの夢、まんまの絵じゃん。気にいらないわけないっしょ?」 「え?夢って?」 「え?これ、この羽。ナツが描いて欲しいって言ったんじゃないの?」 「羽?いや、どんなのがいいか訊いたけど、任せるって言われて、それで勝手に僕が描いた・・」 「うへ?聞いてないのにシュウちゃん、羽、描いたの?マジか。君ら、すげぇな。ちょっとカンドーだわ」  木下が驚いた顔をする。 「どういうこと?」 「うん?去年の野球部のやつにもさ、羽、描いてたじゃん?」 「ああ、あれは、学校のシンボルマーク入れただけで・・」 「あ、そうなの?ナツさぁ、あれ見た時、もう超興奮して、自分にもあんな羽が欲しいってずっと言っててさ」 「あ・・」 「そっから大会の前には絶対あの旗、見に行くようになってたんだけど、インハイの選考試合の前に取り外されちゃってさ。結構、落ち込んでたんだぜー」  ニカッ、と木下が守羽を見て笑う。 「そんなの、夏向、何にも言ってなかった・・」 「バカかよあいつ。ナツはさー、あんま自分からああしたいとかこうしたいとか言わないからシュウちゃんにもなかなか旗の事、頼めなくってさ。いっつも周りに合わせて笑ってるだけだろ?見た目ゴリラのくせに中身、寂しいと死んじゃうウサギみてーなとこあってさ。ウケるんだけど俺的にはちょっとイーッてなってたんだよなー。んで、やっと声かけたなって思ってたら、今度は初心者過ぎて加減できてねーし、シュウちゃん引きまくっててヒヤヒヤしたよ。マジであのゴリラ、テンパってて笑えた。結果うまくいってほっとしたわー。なによー、知らなかったのにこんなん描いちゃうとか、どんだけ愛し合ってんのよ」  ギュッと首に手を回されてユサユサと揺すぶられる。 「愛って、ちょっ、木下君っ」 「キノッ、守羽に触るなってっ」  突然、後ろから夏向の声が聞こえて木下がビクリと飛びあがる。 「おわ、ゴリラ出たっ」 「誰がゴリラだよっ」  捕まえようとする夏向の手を木下はスルリとかわし 「んじゃ、俺、先に練習行くね。ドンちゃんにはうまく言っとくから。ごゆっくりー」 と教室を飛び出して行った。 「あの、夏向」  呼びかけた瞬間、守羽は夏向の腕の中に抱きしめられていた。 「ありがと、守羽」 「気に入った?」 「うん、最高。なんでわかったの、羽のこと。マジでもう、信じらんないくらい嬉しい」 「良かった。夏向が僕の絵でもっと高く跳べるかもって言ってくれた時、ほんとはすごく嬉しかった。夏向の気持ちにどうやったら応えられるんだろうって思って。そしたら夏向にどうしても、羽、描きたくなったんだ」  守羽は両手で夏向の頬を挟むと顔を寄せて唇を合わせた。 「応援の気持ち、今度はいっぱい込めたよ」 「うん、ありがとう。今までで一番高く跳んでくるな」  守羽は背の高い夏向の首にうんと背伸びをして手を回した。 「思いっきり高く跳んできて」  夏向の首を引き寄せ守羽はもう一度熱く唇を押し付けた。

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