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◆好きになった人は◆◇6◇ 番う

「うわ、すごい……意識が持ってかれそうだ」  信司(しんじ)は、ようやく手に入れた運命の体を愛おしそうに撫でた。律動に合わせて乱れていく直人(なおと)の姿が、愛おしくて堪らない。直接顔を合わせたのは、あの日一度きり。それ以来会っていないのに、何者にも変え難い存在だと感じるのは、本能のせいだけでは無かった。 「ああ、信司……、噛んで。俺ずっと待ってたよ」  あの時感じた、直人の素直でまっすぐなその無垢さは、今も変わっていないように見える。信司は、直人のこの心の強さを好きになっていたのだった。 『アルファを幸せにしてあげられる』  あの言葉は、信司の心を一瞬で撃ち抜いた。まだ淡い恋もしたことがなかったのに、あの瞬間、自分のものにしたいと思ってしまったほどに、深い恋に落ちていた。 ——やっと、手に入れられる。  信司ははやる気持ちを抑えて、直人のうなじに歯をあてた。そして、探し続けた十五年の日々を思い出し、見つけることは出来ないのかもしれないと絶望していた気持ちをも反芻した。 ——誰にも渡さない。もう絶対離さない。だって、直人は……。 「噛むよ、直人。……俺のオメガ」  そう呟くと、欲に合わせて伸びた犬歯で、うなじをガブリと噛んだ。歯が入った瞬間、直人は「ああっ!」と声をあげ、目を見開いて強張った。そして、信司がオメガフェロモンの源を、自分のモノでマーキングするように唾液を流し込むと、二人は身体中が発熱するような衝撃を受けた。 「っああああああ!」  直人の中で、信司の長い吐精が始まる。その間、変えられない体制をもどかしく感じながら、二人は夢中になって口付けあった。 「はあっ、あ、なんだこれ! 気持ちいいとか通り越して……感激する」 「俺もっ……、っ、涙が止まらないんだけど」  二人でボロボロと涙を流しながら、番たことを喜びあった。そしてそのまま力つき、抱き合ったまま眠りに落ちた。 ◆◇◆ 「直人、直人ー。大丈夫か? そろそろ何か食べないと」 「ん……信司?」  直人はなかなか開かない瞼を擦りながら、ゆっくりと体を起こした。全身が重だるく、節々が痛む。気が狂いそうなくらいに激しいセックスを立て続けにしたのだから当たり前なのだが、ここまで影響が出るモノなのかと驚いてしまった。その直人のそばに腰かけて、「はい、とりあえず水飲んで」とミネラルウォーターを手渡したのは、信司ではなくシンだ。 「あれ? シン……だよな? お前が信司で合ってる? さっきはもう頭がぐちゃぐちゃで何が何やらわかってなくて……」  直人が首を傾げながらシンの顔を見ると、シンは「いや、違うよ。俺はシン……信弥って言うんだ」と言って立ち上がった。そして、引き出しから身分証明証を取り出すと、それを直人に見せてくれた。そこには『小川信弥(おがわしんや)』と記載がある。 「小川信弥……信司じゃなくて、シン」  運転免許証に記載されている名前と写真、そして本人の顔を交互に見比べながら、直人はポツリと呟いた。 「すごく信司に似てるな。似てると運命の痺れも出るのか?」  シンは直人のその反応に頭を抱えたあと、床に座り込んで頭を下げた。直人は人が土下座をする姿を始めて見た。突然の事に慌ててしまい、思わず大声を上げる。 「何してんだよ! 頭あげて、ほら、立って。土下座なんてするもんじゃないよ」  そう言う直人に、眉根を寄せて辛そうな顔をしたシンが叫んだ。 「俺は直人が探してた『信司』の弟なんだ!」 「えっ!? お、弟? いやでも、俺と同い年だろ? 信司もそうだろ?」  困惑する直人の耳に、コンコンと軽快なノックの音が聞こえた。そして、その音を立てた人物は、返事を待たずに中へと入ってくる。それは、目の前のシンと全く同じ姿をした信司だった。 「もしかして……双子なのか?」  直人は二人を見比べるために、何度も信司とシンの間でキョロキョロと視線を動かした。今二人は全く同じ真っ白なワイシャツとベージュのチノパンを履いていている。まるで同じ人物であるかのように似ていた。ただ、シンは普段はアクセサリーをたくさんつけていて、その耳にはピアス穴がたくさん開いている。反対に、信司の耳には一対のピアス穴があるだけだった。 「そうだよ。俺と信弥(しんや)は一卵性の双子なんだ。一卵性だと、お互いの運命の番の影響を、多少なりとも受けるみたいなんだよね。でも、信弥が直人を連れてくるなんて思いもしなかったよ。うなじ噛まないでくれてありがとうな」  信司がそう言うと、信弥は照れを隠すようにあえて不貞腐れたような顔をした。 「本当は、俺が噛みたかったけどね。でも、やっぱり信司の顔が過って、どうしても出来なかった」  そう言うと、悲しそうに笑った。 「直人、信司が今まで会いにいかなかった理由って知ってる?」  信弥は唐突に直人にそう訊ねた。直人は、そのことはこれまで敢えて考えないようにして生きてきた。どう考えても自分が悲しくなるような気がしていたからだ。それをそのまま二人に伝えると、「それはないよ」と即座に否定された。 「二人が出会った後すぐに、信司は直人の親に会いに行ったんだ。そしたら、『そんな子は知らない』って言われたんだよ。その時俺も一緒に行ったから、間違いない」 「え……? 俺の親が信司に俺の居場所を教えなかったから、俺たちはずっと会えなかったのか?」  愕然とする直人に、信弥は顎を引いてそれを肯定する。 「そういう事になるね。でも、それからだって信司は諦めなかったんだよ。ずっと探し続けてた。ただ、全然手がかりがなくて。でも、直人と信司は運命なんだなって、昨日改めて思ったよ。引き寄せ合うんだもんなあ」  信弥はそう言って、羨ましいとばかりに肩を竦めた。 「そんな……でも、俺間違えたじゃないか。間違えて弟を本人だと思って、つ、番おうとまでして。俺、一応恋人もいたことはあるけれど、ずっと信司のことを思ってたつもりだったのに……」 「いや、直人は間違えてないよ。だって、あの店のドアの前で発情したんだろ? ノブの残り香に反応したんだよね? あのドアノブについていたフェロモンは、信司のものだから」  そして、「そうだよな」と信司に答えを促すと、信司はこくりと首を縦に振った。 「あの少し前に、信司が俺に忘れものを届けに来てくれたんだ。店に補充しないといけなかった、オメガの緊急用の抑制剤。俺が昨日直人に打ったものがそれだよ。うちの病院からあの店に持って来てくれたのが、信司だったんだ。だから、あの時直人は信司の残り香に反応したんだ。俺はそれに気がついて、ちょっと感動したんだよ」 「……ちょっと感動したくせに手を出そうとしたのか、お前は」  むくれた信司が信弥を睨みつけると、困ったように笑いながら信弥は言った。 「それは……ごめん。でも、アルファの俺たちが、発情したオメガの魅力に抗うなんて無理だろう?」 「……まあな。よく我慢できたなと思うよ。ちゃんと感謝してる。お前が噛んでしまってたら、俺には永遠に手に入らなかったんだから」  信弥は信司のその言葉を聞いて、嬉しそうにはにかんだ。 「幸せにしてやれよ。直人も、信司のことを幸せにしてあげて」  信弥の泣き笑いに釣られて、直人の頬にも涙が流れる。それでもなんとか「わかった」と答えた。それを見て、信弥は満足そうに微笑んだ。 「ほら、信司をもっと抱きしめてやれよ!」  信弥に促されて、直人は信司をギュッと抱きしめた。 「直人、俺を見つけてくれてありがとう」  信司は絞り出すような声でそう言うと、直人を優しく抱き竦めた。その包み込まれるような香りは、直人を幸せの中へと揺蕩わせてくれる。この幸せは、信弥が与えてくれたものでもある。素直に感謝してそれ以外の細かいこだわりを手放すと、全てに身を委ねた。  抱き合う二人を見て、シンは密かに涙をこぼしていた。悲しさと奇妙な達成感をない混ぜにして、胸に残していくことを誓った。 ——俺は俺で、運命を探そう。  シンはそう決意して立ち上がった。 「一夜だけでもありがとう、直人」  信弥はそう言うと、信司へふわりと微笑み、「良かったな」と呟く。そして、静かにドアを閉めた。直人はその後ろ姿を見送ると、刺さった棘を掴むようにギュッと握った手を胸にあてる。 「信弥が直人を好きになってしまうなんて、思いもしなかったよ。でも、双子だからそれは考えておかないといけなかったのかもね。……直人、気になる? 自分たちだけが幸せになるなんてって思う?」  信司のその問いに、直人は何度も被りを振った。そして、しっかりと信司の目を見て言う。 「俺が好きになったのは、信司だ。あの時は、あんなに似てる香りの人がいるなんて知らなかったから、間違えてシンを求めてしまった。でも、今なら、二人は違うってはっきりわかる。だから、気持ちに応えられない代わりに、シンの幸せを願うよ」  信司はその直人のきっぱりとした主張を見て、遠い記憶の中の笑顔を思い出した。 「アルファを幸せに出来るなら、オメガに生まれて良かった。そう言ってたのは、今も変わらない?」  信司の問いに、直人は「違うよ」と答える。 「今は、俺のただ一人のアルファである信司を幸せに出来るなら、オメガに生まれて来て良かったと思ってるよ」  そう言うと、あの海辺の頃よりもさらに明るく眩しいで、信司を見つめた。 (了)

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