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最終話
「なんでオレには懐かないんだ」
「そりゃ俺の腹のなかに一年もいたから絆があるんだよ」
「そう言われると言い返せないな」
ウォルフは眉間の皺を深くさせて、ルッツを見下ろした。ルッツがなかなか懐いてくれないのを気に病んでいるらしい。
オオカミは集団で子育てをする性質から構いたくて仕方がないのだろうが、ルッツの気質はうさぎ寄りなのかもしれない。
だからなんとなくオオカミであるウォルフを本能的に警戒しているのだろう。
でももう少し大きくなって物事を理解できるようになればウォルフが怖い存在ではなく、愛してくれる父親なのだとわかってくれる。
「みゃーみゃー」
「そろそろミルクの時間か」
椅子から立ち上がり、キャンバスを片づけようとすると横からウォルフの手が伸びてくる。
「オレがやる」
「少し休憩してなよ」
「これくらい問題ない」
寝不足でクマが浮いた目元でウォルフは微笑んでくれた。
慣れない旅路で疲れているのか海街に来てからルッツの夜泣きは酷い。交代で夜の番をしようと提案したが、ウォルフが頑なに譲らず、ほとんど眠れていない。
だからこうしてのびのびと海を描く時間がある。ずっと来たかった海は想像よりも騒がしい。波の音、鳥の泣き声、船の汽笛。ここに来なければ潮風で耳の毛がくるくるしてしまうことも知らなかった。
ルッツの小さな鼻を撫でてやると指をちゅぱちゅぱと吸い始めた。そろそろ空腹で泣き始めるかもしれない。
「幸せだな」
恥ずかしげもなくストレートな言葉に顔を上げる。相変わらずまっすぐすぎる性格は出会って一年以上経つとさすがに慣れてきた。
「俺も同じことを思ったよ」
「ルッツに出会わせてくれてありがとう」
「こちらこそありがとう」
顔を寄せられたので目を瞑って甘いキスを受け入れた。
キャンパスやイーゼルを手早く片付けて軽々と持ち上げるウォルフの隣を歩く。
一年前までは考えられなかった幸せがいまここにある。夢を見ているようで目が覚めたらなくなってしまうんじゃないかと不安が過る。
「部屋に戻ろう」
右手を掴まれてその温かさにこれが現実なのだと教えてくれた。力強く握り返すとふわりと笑顔を向けられる。
「夕飯はウォルフが作ったサンドウィッチがいいな」
「用意しておこう」
「水気多めでよろしく」
「それだと腐ってしまうだろ」
笑い合って、日々が過ぎていく。なんて幸せな時間だろうと噛み締めて一歩踏み出した。
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