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第1話

     1  最初に視界に入ってきたのは、まるで彫刻のように整った顔だった。  顔の中の全てのパーツが正しい位置に収まっているような、そんな顔。太すぎず細すぎない、整った眉に高い鼻梁に、切れ長の瞳は翠色だ。  記憶の中にある男の顔よりも少し大人びてはいるが、どこか冷たさを感じる美しさは全く変わっていなかった。  呆然と見据える櫂斗(かいと)に対し、櫂斗の顔を見た男の表情には安堵が浮かび、その瞳は細められた。 「エリアス……」  自分を呼ぶ男の声は震えていた。喜びからか、翠色の瞳は涙ぐんでいる。  ああ、懐かしい。記憶の中と同じ声色に、自然とそう思った。  さらに、男は久方ぶりに会う愛しい恋人に向けるかのような表情を櫂斗に向けた。その優しい眼差しに戸惑い、怯みそうになる。けれど、それはほんの一瞬のことだった。  忘れるな。この男にかつての自分が、エリアスがどんな目にあったのかを。  だからしっかりと、睨むように男、リーンハルトの顔を見つめる。 「違う」  櫂斗が言葉を発した途端、リーンハルトの瞳が見開かれた。さらに、櫂斗は言葉を続ける。 「俺は、エリアスじゃない。そして、あんたの騎士でもない」  驚きながらも、リーンハルトが口を開こうとしているのはわかった。けれど櫂斗は、それを強引に遮った。 「前世の俺が、エリアスがどうだったかなんて関係ない。俺はあんたを、絶対に許さない」  櫂斗がそう言った途端、リーンハルトの表情が凍りついたのがわかる。  なんで、そんな顔をするんだよ……!  明らかに傷ついたような顔をするリーンハルトに苛立ち、拳を握りしめる。  俺を、エリアスを切り捨て、殺したのはお前なのに……!         ◇◇◇  輪廻の輪は巡る。この世で生を終えた人間は、また別の人間へと生まれ変わる。  この世界の宗教にも存在する概念は、かつて櫂斗が生きていた世界においても信じられていた。自分が誰かの生まれ変わりであること、今生きている世界とは全く違う世界での記憶が存在することに櫂斗が気づいたのは、十歳になったばかりの頃だ。  きっかけはなんだったのか、正確にはよく覚えていない。ただ当時通っていた小学校の授業で、色々な国の風景を見る機会があり、その中のヨーロッパの古城と森の映像に、強く惹かれるものがあった。  周りの女子児童たちがお伽話の世界みたいだと喜んでいたが、そういった感覚とも少し違う。櫂斗はその景色に既視感、見覚えがあると思ったのだ。  元々、櫂斗の身体には四分の一ほどヨーロッパの、ドイツ人の血が入っている。  髪色は漆黒だが、瞳の色が碧色なのは先祖返りだろうと母親からは言われていた。  とはいえ、櫂斗自身はドイツに行ったこともないし、話を聞いた後もそれほど興味は持たなかった。  けれど、授業で見た映像は、櫂斗の脳裏に深く、強烈に焼きついた。  そして放課後、学童保育が行われている図書館でヨーロッパの古城や森が載っている本を夢中になって調べた。  ……なんだろう、これ。  自分にとって全く関係のない場所のはずなのに、強く感じる郷愁の念。懐かしさに胸がいっぱいになり、この場所に帰りたいとすら思ってしまった。  そしてそんな思いを抱えたまま、眠りについたからだろう。その晩、櫂斗は夢を見た。  夢の中の櫂斗は、エリアスと呼ばれる少年で、不思議なことに容貌は櫂斗と瓜二つだった。  そのため、最初櫂斗はそこが夢であるとはわからず、ひどく混乱してしまった。  けれど、姿こそよく似ているもののエリアスは櫂斗とは別の人格を持っており、櫂斗の意志とは違う行動を起こしていた。  エリアスが何を考え、何を思っているのかはわかるのだが、エリアスの意志決定に櫂斗は介入できないのだ。まるで過去に起こった出来事を映像で見せられているような、そんな感じだった。  エリアスは、櫂斗が本で見た城のような大きな屋敷に住んでいた。けれど、屋敷の使用人たちはみなエリアスに対して余所余所しく、さらに家族からは忌避されていた。  使用人たちの話を聞く限り、エリアスは貴族の生まれではあるが母親は平民の出で、母親が死んだことにより最近父親である公爵に引き取られたようだ。  母親と暮らしていた時とは違い、裕福な生活を送ってはいるものの、エリアスの表情はいつも寂しげだった。  容貌が自分と似通っていることもあるのだろう。櫂斗はエリアスにいつの間にか感情移入をしていた。自分がもし近くにいたら、友達になれるのに、と。  けれどそう思ったところで、櫂斗の目は覚めた。  これまでも櫂斗は夢を見たことはあるが、時間が経つにつれ夢の記憶はなくなっていった。けれどエリアスに関する夢の記憶はなくならず、むしろ時間が経つにつれ色濃くなっていった。  さらに、その次の日の夜も、そのまた次の日の夜も櫂斗はエリアスの夢を見た。  櫂斗自身も以前のエリアスと同じ、母子家庭だったこともあるのだろう。一月も経つ頃には、エリアスは違う世界に住むもう一人の自分なのではないかと、そんな想像をしていた。  内向的な少年だったエリアスだが、頭脳は明晰で、そして努力家だった。成長するにつれその才能の片鱗を見せるようになる。  貴族の子弟の多くが入学する軍の幼年学校ではその才能を開花させ、多くの人間たちに慕われるようになる。  さらにエリアスの運命は、一人の人間との出会いにより大きく変わる。  十六になったエリアスは、父である公爵の命により、ウェスタリア王国・王太子、リーンハルトの教育係となる。  王太子とはいえ、母である王妃は既に亡くなっていたリーンハルトの立場は強くなく、次期国王はリーンハルトの異母弟であるハインリヒではないかと周囲は予想していた。  王太子でありながらリーンハルトの王宮内での扱いは決して良いものではなく、そういった環境の中で育ったからか、出会った頃のリーンハルトは気弱でおとなしい少年だった。  周囲に頼れる人もいなければ、自己肯定感も低く、自信もない。  そんな姿が、かつての自分と重なったのだろう。この小さき主に仕えようと誓ったエリアスは、リーンハルトを王にすべく奔走した。  自分のあらゆる知識をリーンハルトへ教え、心身を鍛えさせ、王とはどうあるべきかを徹底的に学ばせた。厳しくもあったが、これ以上ないほどの愛情を持って接していた。  エリアスの努力により、数年後にリーンハルトは見違えるほどに立派な王太子となった。  そしてこの時期、隣国との戦争が起こり、リーンハルトの命を受けたエリアスは戦場でも才を発揮する。そんなエリアスの活躍もあったのだろう。誰もがリーンハルトを次期王と認め、また戦果を挙げ続けるエリアスは軍神とも呼ばれるようになっていた。  家族から煙たがられ、孤独だった少年が、王の一番の信頼を受ける騎士となったのだ。  まるで物語のような英雄譚に、櫂斗はどんどんのめりこんでいった。  エリアスの頑張りを最も近い場所で見てきた櫂斗は感動し、胸が打ち震えた。  あくまで夢の中の出来事ではあるが、エリアスの存在は櫂斗の行動や考えにも大きく影響した。 「最近の櫂斗、よく頑張ってるって面談で先生に褒められたわよ」  櫂斗が自宅のリビングで宿題をしていると、帰ってきた母親が楽しそうに言った。  そういえば朝、仕事の帰りに学校の面談に出てくると言っていた。母親の帰宅時間はいつもと変わらないため、すっかり忘れていた。 「櫂斗は運動も勉強もできるのに、勉強に関してはいまいちやる気がなかったでしょう? これくらいでいいやっていう感じで、セーブしちゃってたっていうか。でも、最近はなんにでもすごく一生懸命に取り組んでるって、先生仰ってたわよ」 「え? そうかな?」  面と向かって褒められると、どうも照れくさい。でも確かに、元々スポーツは好きだったが、勉強に関してはそこまで興味が持てなかったかもしれない。 「そうよ。ご家庭で何かあったんですかって聞かれたけど、何もないわよね?」  夢の話は、母親にはしていなかった。なんとなく、自分の中の秘密にしておきたかったからかもしれない。 「何もないよ。ただ、一生懸命に何かをするって、頑張るって、かっこいいと思ったんだ」  エリアスはその高い能力を国と、そしてリーンハルトのために使っていた。誰かのために努力できるエリアスは、櫂斗にとってとても格好よく映った。 「お母さんも、そう思う」  どうしてそう思ったのかは、聞かれなかった。それでも、そう言った母親の顔はとても嬉しそうだった。

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