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第2話
思春期の少年が、漫画やアニメの主人公や歴史上の英雄に憧れるように、櫂斗はエリアスの生き方に感銘を受けた。
毎晩のようにエリアスの人生を疑似体験しているのもあるのだろう。自分も一生懸命学んで、誰かのために頑張ることができる人間になりたい。そう思い、色々なことを頑張るようになった。
けれど、ちょうど中学に上がった頃だった。毎晩見ていたエリアスの夢は、唐突に終わった。エリアスが、その三十年足らずの短い生を終えてしまったからだ。
早世の理由は、病気でも事故でも、そして戦死でもなかった。
敵国の捕虜となったエリアスは、長い尋問と過酷な拷問の末、獄中死という結末を迎えた。
捕虜となったのも、エリアスの考えた作戦が失敗したわけでも、相手の方が上手だったわけでもない。単純に、ウェスタリア内部の権力闘争に負けたのだ。
歯車が狂い始めたのは、リーンハルトが次期国王となったことだった。それにより、周囲の態度は一変した。これまで見向きもしなかった家臣や有力貴族たちが、みなリーンハルトを持て囃すようになったのだ。それにより、リーンハルトに懸命に仕えてきたエリアスとの関係にも、亀裂が入った。
才覚があるとはいえ、リーンハルトはまだ十代の青年だ。陽の目を見ない、不遇な立場だったこともあり、周囲の甘言はリーンハルトの耳に心地よく入っていった。逆にエリアスの苦言は、リーンハルトにとっては煩わしく感じられたのだろう。
さらに、エリアスも父は高位貴族とはいえ、母は平民だ。そんな人間が騎士団でも高い地位を得て、リーンハルトの信を受けていることが面白くない人間も多かったはずだ。
エリアスは身に覚えのない内通者の疑いを受け、そのまま戦場に出て敵国の捕虜となった。
敵国から要塞を死守している途中、予定していた援軍が来なかった。そしてこの作戦の指揮をとっていたのは、リーンハルトだった。
つまり、エリアスの隊はリーンハルトに見捨てられたのだ。
誰に疑いをかけられようとも、リーンハルトが信じていてくれればそれでいい。そんなエリアスの儚い願いも通じることはなく、その短い生涯を終えた。
あんなにも、エリアスはリーンハルトに忠誠を誓い、その身の全てをかけ、仕えていたというのに。
そしてようやく櫂斗は思い出した。かつての自分が、エリアスとして生きていたことを。
同時に、思った。
エリアスのように人を信じ、誰かのために何かをしたりなんてしない。
誰かに搾取され、踏みにじられる生き方なんて絶対にしたくない。
自分は、自分のためだけに生きようと。
◇◇◇
静まりかえった大講堂には、ぎっしりと、たくさんの人間が集まっていた。
大講堂は現代的な建物が多い軍大学の中では珍しく、煉瓦造りというクラシカルな様相になっている。詳しくは知らないが、大講堂だけは一世紀以上前に作られた歴史ある建物なのだそうだ。
着席している多くは軍大学の学生たちで、伝統的な灰色の軍服もこの半年見慣れていた。
それだけならば、普段の大学の講義と変わらないのだが、今日は学生たちの顔つきからしていつもとは違っていた。
最前列に座っているのはスーツの男性と、学生と同じ軍服を着ているものの、階級を示す菱形の数や徽章の数が明らかに違う将官たち。つまり、ドイツ国防軍のお偉方がずらりと座っていた。
大講堂の空気がピリッとした緊張感で溢れているのも、彼らの存在によるものだろう。国が違っても、軍隊組織に属していれば階級が上の人間に対しては畏怖の念を持つ。櫂斗も例外ではなく、名前が呼ばれ講堂の前方へ行くまでは手のひらが冷たかった。
まだ二十歳そこそこの学生、しかも日本人である自分が海外の軍大学でその国の高官たちの前でプレゼン、研究発表を行うのだ。あまりの緊張から、声が出なくなるのではないかと、直前まで指導をしてくれていた教授からも心配されていた。
けれど、いざ教卓の前に立つと、不思議と緊張はなくなっていた。
――別に、失敗したからといって死ぬわけじゃない。いつも通りにやればいい。
むしろこんなふうにたくさんの人間に囲まれるのを、どこか懐かしいとすら思った。
「ご紹介に与りました、清武(きよたけ)櫂斗です。これから、近代戦における戦車を使用した戦術・研究を発表します」
櫂斗は笑みを浮かべ、自身の背後にある大きなスクリーンにパソコンの画面を映した。
櫂斗がプレゼンを終えると、割れんばかりの大きな拍手が講堂内に起こった。
内容に対する純粋な賛辞を送ってくれている人間もいるが、不満げな顔もちらほら見えた。国防省の高官の前で研究成果を発表するのだ。この場に立ちたかった学生は多かったはずだ。
ただ、櫂斗は別に希望してこの場にいるわけではなかった。
学内で最も優れたレポートを作った学生を代表者にと決めたのは軍大学の戦術教官だ。櫂斗自身、外国人である自分が選ばれるとは思わなかった。自国の学生を差し置いて留学生という外様の自分が選ばれたのだ。当然、面白くない学生だっているだろう。
すぐに質疑・応答へ移り、恰幅のよい白髪交じりの金髪の男性がマイクを持った。
「素晴らしい内容だったよ。学生の君が作ったとは思えない、綿密な作戦だった。まるで、実際に戦場を経験しているかのような、そんな手腕だ」
「ありがとうございます」
謙遜はせず素直に礼を言う。堂々とした姿を見せていた方が、この国では心証がよい。
まあ、実際戦場には立ったことがあるんだけど。あくまで夢の中、前世での出来事ではあるが、騎士団を率いていたエリアスは幾度も過酷な戦場を生き抜いてきた。
正規の軍人(正確には自衛官だが)にもなっていない、士官候補生である櫂斗が高い戦術眼を持つのは、エリアスの記憶を有していることが大きい。
ただ、それを伝えるつもりはないし、そもそも相手の高官だって本気で思っているわけではないだろう。
「我が国にとって歴史的に戦車は重要な役割を果たしてきたからね。君の戦術はぜひ参考にしたいところなんだが……実際のところは、どうなのかな?」
「……と、いいますと」
「この作戦は、実践ではどこまで有効だと思う?」
皺の多い高官が、ニッと口の端を上げた。
櫂斗はちらりと、スクリーンにある図面に視線を預け、もう一度高官に目を向ける。
「わかりません」
さらりと答えれば、講堂内が少しざわついた。高官も、面食らったような顔をしている。
「古代中国に、趙括(ちょうかつ)という武将がいました。名将の子として生まれ、幼い頃より兵談義に長けていたそうです。しかし、いざ指揮をとった趙括は戦で大敗、自軍を壊滅させました。紙の上で兵略を議論したところで、実際のところはわからない、紙上談兵という言葉の語源にもなりました」
「……君の戦術も、そうだと言いたいのかね?」
「いえ、十分実践可能な戦略を練りました。おそらく、よほどのことがない限り有効だと思います。ただ、実際の戦場ではどうなるかはわかりません。それくらい、戦場では予測不可能なことが起こりますから」
「そうか……わかった、ありがとう」
櫂斗の言葉に、高官は狐につままれたような顔をしていた。
……生意気だと思われたかな。
確かに、一介の学生の口から出てくる言葉ではなかったかもしれない。
櫂斗は他国の人間ではあるが、国防省の高官に好感を持たれればどこかで有用に作用しただろう。それこそ、将来の駐在武官や外務省への出向という可能性もあった。
けれど、櫂斗は別に出世がしたいわけではない。わざわざ反感を持たれるような行動はとらないが、かといって必要以上に媚びを売る必要はない。
かつてのエリアスのように、権力闘争に巻き込まれるのは御免だった。
その後も質問はいくつか続いたが、櫂斗は全てさらりと、淡々と回答を終えた。
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