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第3話

「カイト!」  講堂を出たところで、櫂斗の姿に気づいた青年が、友人たちの輪を抜けてこちらへとやってくる。 「発表、すごかったな! 研究発表って結構長さもあるからみんな途中でぐだぐだになったりするのに、最後まで聞いてたよ。内容がそれだけ面白かったからだろうな」 「ありがとう。でも、ハンスは一度聞いてるだろう?」 「そりゃそうだけど、何度聞いても面白いものは面白いし。それに、あの場所であれだけ堂々とプレゼンできるのがすごいんだよ」 「それはまあ、失敗しても死ぬわけじゃないし」  櫂斗自身、思ったことをそのまま言ったつもりだったのだが、周囲にはそう聞こえなかったのだろう。 「死ぬわけじゃないって……随分大層なことで」 「さすが、最優秀学生様は言うことが違う」 「残念ながら、俺たち下々の者には理解できない考えをお持ちなんだろう」  少し離れた場所にいた、長身の学生たちの嘲笑交じりの声が聞こえてきた。  しっかりとした体躯を持った優秀な、将来の将官候補とも言われている学生たちだ。確か、父親が国防省の高官だという者もいたはずだ。櫂斗のような留学生に晴れの場を奪われれば面白くはないだろう。 「言葉の通り、発表に失敗したところで死ぬわけじゃないって意味だよ。実際の戦場に立つことを考えれば、怖くもなんともない」  ただ言われっぱなしでいるほどお人よしではないため、とりあえず言葉は返しておく。  まさか言い返されるとは思わなかったのだろう。三人が驚いたような顔でこちらを見る。 「いやいや、戦場って」 「なんだ、考えたことがないのか? それとも、士官である自分は安全な後方で指揮をするだけで危険はないとでも?」 「軍大学は士官を養成するための学校で、俺たちは指揮官になるんだ。当然だろう?」 「確かに兵に比べれば命の危険は少ないだろうな。だが、自分がミスを犯せばたくさんの兵を失うことになる。俺が兵なら、他人の死の重みを感じられない人間の下で働きたくないな」 「な……!」  三人の学生たちの顔が、カッと赤くなる。 「カ、カイト! そろそろ戻ろう! 最後、将官から何か言われてただろ? 気になってたんだ」  隣にいたハンスから腕を軽く引っ張られる。口論になっていることに気づいたのだろう。廊下にいた学生たちの視線がこちらへと向いている。櫂斗としても、見世物になるのは不本意だった。 「わかった」  櫂斗が頷くと、ハンスがホッとしたような顔をした。 「じゃあ」  一応礼儀として三人に声をかけ、そのままハンスと一緒にその場を後にする。 「……腰巾着が」  ぼそりと呟かれた言葉は、ハンスに向けられたものだということはわかる。  ムッとはしたが、言い返すのはやめておいた。ハンスだって軍大学の学生なのだ。無用な庇い立てをして、プライドを傷つけるようなことはしたくなかった。 「もう、ヒヤヒヤしたよ~。カイトって顔に似合わず喧嘩っ早いところがあるよね」  寮の自室に戻ると、ハンスが大きなため息をついた。資料を机の上に置いた櫂斗はデスクチェアに座り、ベッドに座ったハンスの方にぐるりと身体ごと向ける。 「顔に似合わず?」 「うん、日本から留学生が同室になるって聞いた時にはどんなやつが来るのか楽しみにしてたんだけど。初めて見た時にはカイトがあまりにきれいでびっくりした」 「ああ、最初ハンスがなんか緊張してたのはそれか」 「カイトみたいな美人、なかなかいないし、しかも小柄だから。どう接していいかわからなかったんだよ」 「小柄って……俺の国では平均より高いんだからな? この国の人間が高いんだよ」  軍大学の入学基準に身長があるのかは知らないが、ほとんどの学生は櫂斗よりも背が高い。 「あと、ドイツ語も教科書通りの正確さだし、性格もおとなしい感じかと思ったんだけど……でも、話したら全然違った。そもそも全然おとなしくないし」 「悪かったな、イメージと違って」 「全然。櫂斗は面白いよ」  軍大学は全寮制で、ほとんどの部屋は二人部屋だ。  ドイツに来たばかりの頃、同室のハンスには色々と世話になった。  基本的に、お人よしなのだろう。留学してそろそろ一年近くになるが、これといって親しい人間のいない櫂斗に唯一話しかけてくるのもハンスだ。 「他のみんなも、櫂斗の本当の性格を知ったら絶対好きになると思うんだけどな~」 「いや、それはないと思う」 「どうして?」 「基本的に自分勝手だし、優しくもないし。仲良くしたいとは思わないだろう」  前世のエリアスの姿を見ているからだろうか。日本にいた頃から、親密な人間関係は築いてこなかった。 「カイトは優しいよ、試験前には勉強だって教えてくれるし、訓練中も何度も助けてくれた」 「勉強は自分の復習にもなるし、訓練はグループで動いてるんだから助けるのが当たり前だろ」  言外に、ハンスのためではなく自分のためだということを伝える。 「そうなんだけど、でも、俺を助けてくれたのはカイトだけだったよ。そもそも、自分勝手な人間は軍人になんてならないだろ?」 「それもちょっと違うな……元々は医者を目指してたわけだし」  エリアスとして生きた記憶があるからだろう。歴史や戦術には興味があった。それこそ、エリアスが捕虜となった戦いで、捕らわれる前に撤退する方法はなかったのか何度も考えた。戦術眼が異様に育ったのも、それがきっかけかもしれない。 「そうなの? え? どうして医者になるのはやめたんだい?」 「病気を治したいと思っていた母が、高校の時に亡くなったから」  櫂斗がそう言えば、ハンスがショックを受けたような顔をする。なんと言葉をかけていいのか、わからないのだろう。 「別にもう何年も前の話だし、気にしなくていいよ」  当時は悲しく、塞ぎこんだ時期もあったが、時間が経つにつれ母の死は受け入れられた。 「むしろその後が大変でさ。俺は母一人子一人で育ってきたんだけど、戸籍上の父親が出てきて引き取りたいって言いだしたんだ。父親の家族にとってみれば、突然出てきた俺は邪魔者でしかない。だから学費も生活費もかからない、防衛大学校を選んだ」  ドイツで軍学校を選ぶ人間は、それなりに志を高く持った人間が多い。こんな話をしたら、幻滅されるだろうか。けれど過大評価されるのは本意ではないため、正直にすべてを話した。 「そっか……すごいね、カイトは」 「は?」 「きっかけはなんでも、厳しい士官学校での生活に耐えられるってすごいと思うよ。それに、やっぱりカイトは優しいと思う。将来、カイトの部下になる人間は幸せだね」 「お前の方が、よっぽど優しいと思うけどな」  櫂斗がそう言えば、ハンスが照れたように笑った。

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