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第6話

 勝手なことをして、とヘルマンに怒りをぶつけたところで、元の世界に戻ることはできない。そのような力を持つ者がおそらくいないだろうし、いたとしても方法がわからないはずだ。科学が発達していないこの世界では魔術や幻術の類を信じられてはいるが、そういった力を持つ人間は滅多に生まれてこない。  それでも天災をはじめとする厄災を避けるため、祈りを捧げる神殿は重要な役割を持っている。そして神殿には、時に特別な力を持った人間が存在する。ヘルマンもその一人で、だからこそ召喚術が使えたのだろう。  百年以上前の国王が、自身の妃の魂を取り戻すために使ったことがあったが、我こそが王妃の生まれ変わりだと名乗る少女たちが何人も現れ、それ以来禁術とされていた。  ……迷信の類だと思っていたのに、本当に存在してたんだな。  元の世界に帰れない、それに対する怒りがないわけではない。もしこの世界のことを何も知らなかったら、おそらくパニックになっていただろう。  勿論、今の櫂斗だって混乱していないわけではない。それでもある程度は冷静でいられるのは、時間は経過しているとはいえ、この世界を自分は知っているからだ。 「そのようですね……それは、申し訳なく思っております」  櫂斗はヘルマンのことを責める気にはなれなかった。彼はただリーンハルトの命に従っただけなのだ。 「ところで、ご自分はエリアス様ではないと仰っておりましたが、あなた様には生まれ変わる以前の、エリアス様の記憶があるのですか?」 「はい。全てではないでしょうが、ある程度は」 「ある程度、と仰いますのは」 「不遇な幼少期を過ごし、士官学校で優秀な成績を収め、王太子の教育係となり、側近であり騎士となった。後に始まった戦争では指揮官としての活躍を見せ、ウェスタリアの軍神とまで呼ばれるようになる。しかし作戦指揮が敵国に見抜かれていたことから内通者の疑いをかけられ、裏切り者の烙印を押される。最後は王太子から切り捨てられ、率いていた部隊は戦場で孤立。敵国の捕虜となり、獄中死」  感情的にならないようにしていたからだろう。自分でも驚くほど滑らかに、淡々と説明することができた。 「な……!」 「ヴェルト!」  櫂斗の説明に納得できなかったのだろう、すかさず言葉を発しようとしたヴェルトを、リーンハルトが止める。 「なんの目的があって俺をわざわざこの世界に呼んだのかは知らないけど、残念ながら過去のことは全部覚えています。それで、どうして秘術まで使って異世界に転生したエリアスの魂を呼び寄せたんですか?」 「それは……」 「お前のことが、心配だったからだ」  ヘルマンの言葉を遮り、リーンハルトが口を挟む。 「俺は過去に、取り返しがつかない過ちを犯した。お前が俺を恨むのも、許せないのも覚悟の上だ。だけどそれでも、今度こそ、生まれ変わった後の世ではお前に幸せになって欲しかった。だから……この世界にお前を呼び寄せた」  真っすぐな瞳で櫂斗を見るリーンハルトには、おそらく嘘はない。  櫂斗だって、リーンハルトがエリアスのことを大切に想っていたことは知っているし、不幸なすれ違いだったこともわかっている。捕虜として捕らえられたエリアスも、最後までリーンハルトの下に、ウェスタリアに帰ることを諦めていなかった。  けれど、結果的にそれは叶わなかった。 「つまり、俺はあなたの罪悪感を消すためにこの世界に呼び戻されたってことですか」 「違う、そんなつもりは……!」 「違わないですよね? 幸せになって欲しい? 勝手なことを言わないでください。俺は十分、元の世界で幸せでした」  嘘だった。決して不幸ではなかったが、幸せでもなかった。けれど、それをリーンハルトに説明する理由はない。  櫂斗の言葉を聞いたリーンハルトの表情が、目に見えて歪む。  だから……なんでそんな表情をするんだよ。  自分の言葉が原因だとはいえ、リーンハルトの苦し気な表情を見たくなくて視線を逸らす。 「すまない……俺の我儘だということはわかっている。それでも、俺はお前の幸せな姿を見たかった」  うるさい。これ以上話を聞きたくはない。  リーンハルトに視線を向けぬまま、櫂斗は口を閉ざす。 「……目覚めたばかりのお前に、長話をさせてしまって悪かったな」  櫂斗が話をする気はないということがわかったのだろう。リーンハルトが、部屋の隅に立っていた従者に目配せをする。  外に待機していたらしく、すぐに侍女が櫂斗の傍までやってくる。年の頃は四十を過ぎたくらいの落ち着いた女性だった。 「湯浴みは明日にして、今日はお休みください。その前に、お茶をご用意いたしますね」 「よろしくお願いします」  一言そう言えば、侍女から驚いたような顔をされた。  櫂斗にしてみれば普通の返答だが、王族や貴族の世話している侍女からすると違和感があるのかもしれない。けれど、すぐに微笑み一旦その場を下がっていった。 「ところで、聞きそびれてしまっていたが」  二人のやり取りを見守っていたリーンハルトが、櫂斗にもう一度話しかけてきた。 「今世での、今のお前の名はなんというんだ?」  そういえば、言ってなかったな。  少し意外だった。リーンハルトが、エリアスではなく、櫂斗の名前に興味を持つとは思わなかったからだ。 「櫂斗」  名字は必要ないだろうから、とりあえず名前だけを伝える。 「カイト、か。良い名だな」  そう言ったリーンハルトの声色は、先ほどよりも少しだけ明るかった。  なんでそんな嬉しそうな顔するんだよ。名前を教えただけなのに。  名前が聞けて、満足したのだろう。リーンハルトはヘルマンとヴェルトを連れ、そのまま部屋を出ようとする。その広い背中に、声をかける。 「俺も、一つ聞いていいですか」  櫂斗に話しかけられ、よほど驚いたのだろう。弾かれるようにリーンハルトが振り返った。 「ああ、勿論」 「戦争は、イスファリアとの戦はどうなりましたか?」  この世界に来て、一番に気になったことを問うた。 「勝った。こちらにとってかなり有利な条件で、条約も締結することができた。コツウェルも取り返した」 「そう、ですか……」  コツウェルはウェスタリアとイスファリアの間にある豊かな穀倉地帯で、数十年前にイスファリアから独立して自治領となっている。  戦争の理由もその権利を巡ってのものだった。 「お前が……いや、エリアスがコツウェルをその身を挺して守ってくれたおかげだ」  その言葉には、何も答えなかった。口を開いてしまえば、感情的な言葉が出てくるのは目に見えていたからだ。  そっか……勝ったんだ。  リーンハルトの健勝な様子を見れば、大戦に勝利したことはなんとなく察してはいた。ただ、改めて聞くとやはり安心した。 「また、明日来る」  リーンハルトも、櫂斗にその事実が伝えられて納得したのだろう。今度こそ、部屋を出ていった。  ヴェルトからは最後まで鋭い視線を向けられていたが、櫂斗は気づかぬふりをした。

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