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第5話

 そのまま、十五分ほど経っただろうか。とうにハンスが待っている場所についているはずなのに、ハンスの姿どころか、景色はどんどん見覚えがないものになっていく。  土地勘があるわけではないが、櫂斗は空間認識能力には自信があった。  歩いている方向は間違いないはずだ。それなのに、目的としている場所から遠ざかっていくような感覚さえ覚える。  そういえば、今何時くらいだろう。  腕時計に目を落とした櫂斗は、思わず目を瞠る。ハンスと別れてから、既に三時間以上が経っていた。  確かに結構な距離を歩いたはずだが、さすがに三時間は経過していないだろう。  一体どういうことだと、空を見上げてみる。 「は……!?」  見上げた空には、先ほどまで森を覆っていた雨雲はなくなっていた。けれど、暗くなった空を見れば、日が暮れかかっているのがわかる。  おかしい、訓練がスタートしたのは午前中だったし、そこから半日以上経っているとは思えない。どういうことだと、自然と歩く速度も速くなる。  とにかく、早く出発地点に戻らなければと、焦燥感がどんどん募っていく。  何時間歩き続けただろう。既に足はクタクタで、頭も朦朧としてきた。おそらく脱水を起こしているはずだ。  ついに霧がなくなり、森を抜けた先が見えてくる。  よかった、ようやく元の場所に戻れた。顔を上げ、明るくなった視界の先を見つめる。 「え……」  森を抜けた先には、郊外の街の風景が広がっているはずだった。決して都会ではないが、それなりに多くの人家が並んでいた。  けれど、今櫂斗が見ているのは先ほど見た風景ではない。  深い森を抜けた先にある、青々とした草原。そしてそこから見える、高い城壁に囲まれた大きな街。外敵から攻められても、一度も落ちたことがない、難攻不落の城郭都市。  ウェスタリアの王都・リューベン。  櫂斗の記憶の中にある、エリアスが生きた場所だった。  そんな、まさか……。  いつの間にか眠ってしまい、夢でも見ているのだろうか。そう思ったが、今の身体はエリアスではなく、櫂斗自身のものだ。  一体、どうして……。  森を抜けられたことへの安心感からか、気がつけば膝をついていた。脳が興奮状態にあったため、気がつかなかった疲労が一気に身体に巡ってくる。  ゆっくりと、自身の身体が倒れていく瞬間、自分を見つけたのだろう兵たちが駆け寄ってくるのが見えた。 「……エリアス様!?」  自分を取り囲んだ兵の一人が櫂斗をそう呼んだ。  違う、俺はエリアスじゃない。  その言葉が櫂斗の口から出ることはなく、そのまま意識がなくなった。      2  感情のままに、相手に気持ちをぶちまけるような、そういった冷静さに欠けた行動は好きじゃない。冷静に、理性的であるよう努めているのもそのためだ。  櫂斗にだって感情はあるし、どちらかといえば情に厚い方だとも思う。聞き流すことができないわけではないが、おとなしく黙っているのは性に合わない。  ハンスから、時折喧嘩っ早いと言われていたのもそのためだろう。  けれどそれをしたところで、状況が好転することはあまりないことも知っている。だからこそ、感情的にならないためにも、他者との距離は適度にあけてきた。  相手に失望したり、怒りを感じるのは相手に期待をしているからだ。そういった感情を、櫂斗は痛いほど知っていた。  けれど、いざリーンハルトを前にすると、そんな普段の冷静さを保てなかった。  どうして、どうして助けてくれなかったんだ。エリアスは、最後まで援軍が来ることを、リーンハルトのことを信じていたのに。  最近は夢に見ることもなくなっていたし、当時よりは客観的に状況を考えられるようにもなっていた。  当時リーンハルトは王太子だったが、病床の父王に代わって国を背負っていたのだ。まだ十九の青年だったリーンハルトに、それがどんな重圧であったかは今の櫂斗ならわかる。  リーンハルトのことを思っていたとはいえ、厳しい言葉を言っていたエリアスより、周囲の者たちの甘言の方が耳に聞こえも良かったのだろう。けれど、それとエリアスを見捨てたこととは話が別だ。  だからこそ、リーンハルトの顔を見た途端、気持ちが抑えられなくなってしまった。  自分はエリアスではない。けれど、エリアスの無念は誰よりわかっている。  ただ、そんなふうに思い切り自身の気持ち吐き出したからだろう。頭は急速に冷え、冷静になっていく。そうすると、まず、ここはどこだという単純な疑問が頭に過る。  自分が寝ているのは大きな寝台で、室内はそれほど広くはない。オフホワイトの壁には金の細工が施され、風景画が飾られている。  一見、貴族の屋敷のようだが、部屋の造りはどことなく見覚えがある。おそらく、王都リューベンの中心にあるヘルンブルグ城だろう。  まあ、リーンハルトがいる時点で王城だってのはわかってたけど。  場所が確認できたことで、多少心にも余裕が出てくる。  視線を上げれば、リーンハルト以外にもこの場に人がいることがわかる。すぐ傍に控えているのは服装からして神官長、さらにその隣には自分と同じくらいの年の青年が立っている。  王太子であるリーンハルト、いやおそらく服装からして既に王となったのだろう。   国王相手に思い切り悪態づいた櫂斗に対し、二人とも呆然と視線を向けている。  そうするとちょうど、神官長の隣に立つ青年と視線が合った。それにより、我に返ったのだろう。青年の眦が、目に見えて上がっていく。 「貴様……! 兄上に対してなんたる無礼を!」  今にも櫂斗に掴みかからんばかりの怒りようだった。 「ヴェルト」 「しかし……!」 「何があっても、口を利かぬという約束だったはずだ。それができないのなら、この部屋から出ていけ」  先ほど櫂斗に向けられた眼差しとはうってかわった厳しい視線をリーンハルトが向ける。  リーンハルトが本気で言っていることがわかったのだろう、ヴェルトと呼ばれた青年が口を閉じた。  納得できない、という表情をしているが、この場を離れるつもりはないのだろう。  ヴェルト、おそらくリーンハルトの末の弟がそんな名前だったはずだ。けれど、櫂斗の知る、エリアスが生きていた頃のヴェルトはまだ少年だった。  リーンハルトが年齢を重ねていることから薄々感じてはいたが、エリアスの死から十年近い年月が経っているようだ。  頭が冷えたことあるだろう。ヴェルトの言葉に従うわけではないが、言葉遣いに関しては確かによろしくなかったかもしれない。少なくとも、一国の王に対し使う言葉ではない。 「あの……少し、よろしいですか」  この場にいるもう一人の人間、神官長が口を開いた。 「……はい」  最初に感情的になってしまったから少しの気恥ずかしさもあるため、素直に応じる。 「申し遅れました。私は当代の神官長を務めさせていただいております、ヘルマンと申します。リーンハルト陛下の願いを聞き、エリアス様の魂を持ったあなたをこの世界に呼び戻したのも、私です」 「魂の召喚術は、禁術だったと思いますが」 「いえ、それはこの世界に生まれ変わった場合の話です。あなたは異世界に転生してしまったので、呼び戻すことが可能だったのです」 「俺は望んでいませんが」  淡々と答えれば、ヘルマンの顔が強張る。

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