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一 ピンチを救う王子様

 |吉田清《よしだきよし》がどんな男なのかと友人たちに問えば、答えは大抵決まっている。「お調子者の馬鹿野郎」、「女好きのノンデリ男」、「風俗とAVしか趣味がない」ついでに見た目は三枚目と、正直にいって良い言われ方をしていない。  だが、本人はそのことを、特に気にしていなかった。ノリが良くて悪いはずがないし、積極的に行かなかったら女の子との接点なんかあるわけない。男なんだから、風俗ぐらい行くだろう。顔は生まれ持ったものだし、卑屈になるほど酷いとも思っていない。ソバカスはなんなら、チャームポイントだと思っている。  清はちょっとのことじゃへこたれないし、落ち込んだりしない。いつだってポジティブで、前向きなのだ。  そんな、どんな時でもへこたれない清が、この日は珍しくへこんでいた。へこんでいたというよりも、絶望といって良い。精神的に疲弊し、限界点に達していた。悪い夢なら覚めて欲しい。そう思うが、夢は一向に覚めなかった。――現実だから。  ずびっと鼻水をすすり、じわりと浮かぶ涙を擦る。恐怖でどうにかなりそうだった。  繁華街の裏路地。そのごみ捨て場に、清は裸で立っていた。かろうじてタオル一枚腰に巻いているものの、それ以外は一切身に付けていない。その清の周りを、ぐるりと男たちが取り囲んでいる。髪を逆立てた大男。腕にタトゥーの入った金髪の男。じゃらじゃらと鎖のようなネックレスを首からさげた、サングラスの男。真っ赤な髪をした、顔面ピアスだらけの男。服装も、派手なスーツやいで立ちで、見るからに『その筋』の男たちだと見て取れた。  自然界で生き物が、毒があるのを主張するのに派手になるように、彼らもまた、派手で威圧的な見た目だ。普段なら、絶対に避けて通るタイプの人種。目だって合わせない。それなのに、今は息がかかるほど近い距離にいて、その上ギロリと睨まれている。 (なんで、こんなことに……)  ぐずっと鼻を啜って、唇を噛む。  清は、女の子が好きだ。風俗通いが好きだ。女の子が好きでアプローチはあちこちにかけているものの、性格か、顔か、彼女は現在居ないし、気兼ねする相手もないとなれば、休日は風俗に出掛けるのが常だった。ところが、地元のソープでいつも指名している女の子が、退店してしまったらしい――店の他の女の子は、やや年増だが悪くはなかった。だが、なにもその店にこだわる必要もあるまい。  以前から、清は|萬葉町《まんようちょう》の風俗に興味があった。都心の一等地のすぐ近くにある繁華街は、最近は観光客も多いらしい。昔ながらの風俗の他にもキャバクラやホストクラブなどがひしめく、一大歓楽街である。人生で一度くらい、萬葉町で遊んでみたい。そんな好奇心から友人を誘ってみたが、残念ながら軒並み断られてしまった。風俗が嫌いな男などいると思っていない清は、「怖気づいちゃって」という体だったが、今となっては彼らのほうが正しかったような気がする。  店を物色していた清は、客引きに誘われるままにソープランド『ピーチパラソル』に入った。見せられた女の子の写真の中から、ボブカットのアイドル似の女の子を指名した時は、気分が高揚していたし、写真と雰囲気が全く違う女の子が出て来た時だって、「これはこれで」と楽しんでいた。お喋りをしながら、萬葉町のソープはどんなものなのかと期待を膨らませながら、服を脱いでいざシャワーという段になって、女の子が笑顔で「ちょっと待っててね」と告げて来た。その時だって、「うん♥」と大人しくしていたし、女の子が十分経っても帰ってこなくても「まだかな~」と呑気にしていた。  清が混乱と絶望に陥ったのは、ようやく扉が開き、期待した女の子ではなく、ガラの悪い男たちが現れた瞬間だった。清はあっという間に男たちに囲まれ、裸のまま店の裏手に放り出された。そして、「困るよお客さん、本番行為禁止って、書いてあるよね?」と、突然詰められたのである。  本番どころか、まだシャワーも浴びていない。女の子のおっぱいだって見ていない。その状況で詰められ、最初は「勘違いしている」「何のことだ?」と反論していた清だったが、男たちの態度が変わるにつれ、口数が少なくなっていった。 「こっちは女の子が泣いてるんだよ。出るとこ出ても良いんだぜ? ああ?」  ガシャン! 男がビールケースを蹴り上げる。威嚇され、清は肩を竦みあがらせた。 「っ……」  裁判。その二文字が頭を掠め、清はサッと青くなる。やった証拠はないはずだが、やっていない証拠もない。女の子の証言一つで、有罪になるかもしれない。そう考えて、目の前が真っ暗になる。男たちがニヤニヤ笑いながら、放り投げた清の荷物から財布を抜き取る。 「あっ」 「ふんふん。お、社員証か。夕日コーポレーションだってさ」 「一部上場企業だねえ、お兄さん。会社に知られたらどうなるかねえ」 「っ……! そ、それは……!」  会社名までバレてしまい、清は顔を真っ青にさせた。腕を伸ばして「返してくれ!」と懇願するが、聴いてくれる相手ではない。腿を、男が靴先で蹴り上げた。 「ぐあっ」 「まあ、五百万で良いでしょ」 「ご、五百万っ……!?」 「安心しな、ローンも組めるからよ」 (そんな大金、払えるわけない。けど、払わなければ会社にもバレ……)  清はなにもしていなかったが、『風俗で女の子に乱暴した男』というレッテルを貼られてしまうのだろう。裁判をしても良いが、時間も精神も擦り切れてしまうのが目に見えた。友人たちは、清を信じてくれるだろうか。親はなんと言うだろうか。同僚は、職場の人間は。  最悪の状況が、頭を掠める。 (どうしよう。どうしよう)  混乱して、泣けてきて、どうしていいか分からない。 「おら、立てよ!」 「うっ!」  腕を掴まれ、引っ張られる。借金の契約書を書かされるのだろう。男たちが清を、店の中に連れて行こうとした、その時だった。 「テメェら、オレらの|シマ《・・》で何やってやがる?」 「あ?」  青年が、細い路地の奥からやって来る。グレーのラメの入った派手なスーツを着た、金髪の青年だった。年の頃は二十代半ばといったところだろう。恐らく、清とそう違いない年齢に見える。涙で滲む目で、青年を見る。青年はチラリと清を見て、それから男たちを見た。男たちがたじろぐ。 「……テメェ、ブラックバードの……」 「通報されたくなきゃ、その兄ちゃん置いてさっさと消えな」 「チッ……。運が良かったな」  男の一人が清の財布から札だけを抜いて、財布と服を投げつけて立ち去っていく。その様子に、ホッとして清は足元から崩れ落ちた。 「は……は……」  ガクガクと膝が笑っている。どうやら、助かったらしい。金髪の青年が煙草に火をつけながら近づいてきた。 「嵌められたか?」 「そ……そう、見たいっす……、あの、ありがとうございました……」 「アンタ、この街は初めて? 馬鹿だね」 「……そう、っすね……」  グズ、と鼻を啜る清に、青年は顔を覗き込んでフッと笑った。 「ぶっさいくだなー、アンタ」 「……」  自分でも解ってはいるが、そんな風に言わなくても良いじゃないかと、少しだけ恨めしい顔で男を見上げた。随分、綺麗な顔をした男だ。派手なスーツに派手な外見。ホストだろう。 「ああいう時は、警察に言った方が良いよ。ああいう奴らは警察沙汰にはしたくないもんさ。警察を挟めば、大抵は引いていく」 「そ、そうなんすね……。勉強になりました……」  警察をたてに脅してくるが、実際には警察に介入されたくはないのだと、青年が言う。清は立ち上がり、砂のついた膝を払った。投げ捨てられた服を身に着け、何とか体裁を整える。散々な目に遭ったし、プライドもなにもかも、ぐちゃぐちゃだった。憧れだった萬葉町にせっかく来たと言うのに、金も取られてしまった。カードを抜かれなかっただけマシだと思うしかない。 「で、兄さん、名前は?」 「あ……。吉田です。吉田、清」 「そう。清くん。オレはね、カノっての。この裏にある『ブラックバード』っていうホストクラブのホスト」 「ホストクラブ……」 「助けてやったんだし、飲んでいきなよ。ボトル入れろとは言わねえからさ」  ニヤリ、笑うカノの魅惑的な笑みに、清の心臓がドキリと跳ねた。胸のあたりをさすって、ドキドキする心臓を宥める。 (こ、これがホストってやつか……)  不覚にもときめいてしまった自分に、少しだけ動揺する。カノは煙草をもみ消し、清をエスコートするように手を差し出した。 「最近は|白桜会《はくおうかい》の動きが大人しいんで、ああいう半グレみたいなヤツらがのさばっててね」 「そう、なんすね……」  カノの手に掌を重ねる。男の手を握ってドキドキする日が来るとは夢にも思わなかった。 「……なんかカノさん、良い匂いっすね」 「あは。気に入った? あと、カノで良いよ」 「じゃ、じゃあ、カノくん……」 「結構ね、男性客も来るんだよ。同性と喋りたいって奴、案外居るんだ」 「なるほど」  それは、解るかもしれない。女の子とおしゃべりするのも楽しいが、男と話すのはまた違うものだ。清は寮暮らしだから、同性と喋る機会など幾らでもあるが、世の中には男性と喋る機会が少ない男も居るのだろう。それは、なんとなく想像がついた。  カノに導かれるままに、店の方へいざなわれる。黒を基調としたシックな雰囲気の調度品。キラキラしたシャンデリア。なんとなく、学生時代に好きだったゴシックメタルやビジュアル系バンドのような雰囲気がある。ざわざわと、胸が疼いた。 「それじゃ、吉田清様。ホストクラブ・ブラックバードへようこそ」  完璧なエスコートで笑みを浮かべるカノに、清はポッと頬を赤く染めた。

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