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十話 キャンディ味の

(多分、しばらく戻ってこない、よな……)  便座の上に座って、清はため息を吐いた。スマートフォンを取りだし、時間を見る。一人で飲むのは嫌だが、カノ以外のホストと飲むのも何だか嫌だった。あの時間は、カノとだけ、共有したいのに。 (くそ……)  スマートフォンを開き、メッセージアプリを起動させる。いくつか通知が入っていた。 『吉田、またホストクラブ通ってんの? バカなの?』 (うっさいわ。ほっといてくれ)  清のクラブ通いを知っている友人が、要らぬ心配を送って来ていた。今、こんなものを見たくない。楽しく飲んでいる時に、余計なお世話だ。 「楽しく――…」  ポツリ、呟く。ちゃんと、自分は楽しんでいるんだろうか。楽しめて居るんだろうか。疑問が頭に湧いて、そんなはずはないと首を振る。  買い物も、食事も、楽しかったはずだ。一緒に飲めていないのはちょっと寂しいが、カノにとってはこれが仕事だ。 「……戻ろう」  ひとしきり落ち込んだのち、冷静になって頬を叩く。清が臍を曲げて、カノの評価が下がっては元も子もない。気持ちを切り替えるために水道で顔を洗い、外に出る。フロアの音楽が急に耳に襲い掛かってくる。顔を顰めながら、席に戻ろうとした時だった。 「ねぇ、カノ~っ。最近、ぜんぜん同伴してくれないじゃん~」 「そうだっけ? この前したんじゃなかったっけ?」 「もう一週間も前だし!」 (っ……)  エレベーターホールの前で、黒いワンピースの女が、カノに寄り掛かるようにして立っていた。長いまつ毛、赤い唇。綺麗に整えられた爪。どれも、清にはないものだ。  とっさに、壁に身を隠す。女は随分酔っているようだった。恐らく、今から帰るところなのだろう。 「今から仕事じゃなきゃ、アフター誘ってもらうのにぃ」 「リナちゃん今日飲み過ぎかもね」 「へーきよ。それより、今度ほんとうに同伴してくれなきゃ、お店変えちゃうかもね」 「わー、怖い。ほら、エレベーター来たよ」  チンと音が鳴って、エレベーターが開く。女が酔った瞳でカノを見上げた。カノは困ったように笑って、彼女の腰を引き寄せる。 (え――)  ドクン。心臓が鳴る。  嫌だ。  女の赤い唇が、カノの唇に触れる。 (ズルい――)  ズキン、胸が痛む。 「あ――、はっ……。は……」  キスのショックに、息が荒くなる。見たくなかった。見たくなかった。  女が満足そうに笑って、エレベーターに消える。カノは手を振って彼女を見送ると、唇を指で拭った。 「――っ……」  へにゃ、と、座り込んでしまった。どういう感情で居たらいいか分からず、自分でも戸惑う。 「~~~~っ」 「ん?」  うめき声に、カノが振り返った。そのまま壁際にやって来て、清の姿を見て目を見開く。 「清くん?」 「あっ……」  カァ。顔が熱くなる。動揺して目を逸らす清に、カノが「あ」と呟く。 「もしかして、見た?」 「っ……」  困ったように笑うカノに、清はつい、カノのジャケットを掴んだ。 「ズ――ズルいっ……」 「え? あ――…。清くんも、ホストになったらああいうこと出来るよ」 「へ……? あ、あ――」  笑顔で言われ、清はハッとして瞼を伏せた。  違う。そうじゃない。ズルいと思ったのは――。 (あ、れ……?)  自分の感情に、ジワリ、熱が上がる。羨ましかったのは、彼女の方だ。女だというだけで、甘えて、強請って、キスも許される――。 「っ、席っ、戻るっ」 「あ、一緒に行こうよ」  自分の感情に気づき、ロボットみたいにぎこちない動きで、席に戻る。席には先ほど声をかけて来たツーブロックの青年がまだ待っていた。カノが気づいて目線で合図すると、彼は会釈だけして去っていく。 「ごめんね待たせて。――清くん?」 「……」  清は頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。 (俺、カノくんと、キスしたいの?)  自分の感情に、動揺して顔が見られない。先ほどのキスが衝撃的で、忘れられない。 「清くん? きーよーしーくーん」 (どうしよう、どうしよう) 「おい。清」 (俺、カノくんが、好きだ――) 「清、耳食べちゃうぞ」 「はいっ!?」  衝撃的な言葉が聞こえた気がして、慌てて顔を上げる。カノの腕が清の肩を掴んだ。 「カノっ……」  かぷ。と、耳を噛まれる。ぞくん、背筋が粟立った。 「ひゃ、っん!?」 「やっとこっち見た」 「っ」  カノの視線がテーブルに向く。テーブルの上には、殆ど手を付けていないワインとグラスがあった。 「……」 「あ、あのっ」  カノを好きかも知れない。そう自覚したばかりなのに、距離が近い。心臓がバクバクいって、破裂しそうだ。 「清くん。さっき買った飴」 「へ? これ?」  袋を手渡すと、カノが徐に一粒取り出す。そのまま、清の口に突っ込んだ。 「んむっ?」  いきなり何だ。そう思いながら、カノを見る。カノの視線が、いつもより強い。何か言いたいことがありそうな瞳に、ビクンと肩を揺らす。 「あ、あの、カノくん?」 「何味だった?」 「え? あー、多分、イチゴ」 「ふーん。じゃあ、それ、頂戴」 「え? イチゴ味? ちょっと待って」  袋をガサガサと探る清の手を、カノの手がやんわりと止めた。 「ううん。それ。清くんの、頂戴」 「――え」  言われて、意味を理解し、顔を赤くする。袋を持つ手が震えた。 「っ……、い、いの……?」 「何が?」 「――っ……」  カノがニヤニヤと笑う。  こんなこと、良いのだろうか。そう思いながら、チャンスは今しかないと、打算的な自分が囁いている。 「――は……っ」  緊張して、呼吸が荒くなる。おずおずと、飴の乗った舌を差し出す。ふわり、甘い香りが鼻孔を擽る。カノの、コロンの匂いだ。  震える手を、カノの手が掴んだ。飴を差し出して開けた唇を、カノの唇が塞ぐ。 「んっ……」  舌が、絡みつく。二人の舌の間で、飴が転がる。飴を舐めているのか、カノの舌を舐めているのか、自分でも解らない。だが、夢中になって舌を貪る。  カノの手が、太腿を撫でる。ピクっと皮膚が反応した。 「んぅ、ふっ……んっ…」  キスって、こんなに気持ち良いものだっただろうか。甘くて、刺激的で、くらくらする。  飴はやがてカノの口に渡り、唇が静かに離れていく。清は息を乱しながら、熱っぽい瞳でカノを見上げた。 「っ……は、ぁ……っ」 「ん。イチゴだ」  カノは平然とした様子で、少しだけ悔しくなる。客相手にキスをすることなど、カノには何でもないのだろう。そう思うと、少し哀しい。 (キス……しちゃった……)  まだ、ドキドキしている。身体が火照って、暑い。  余韻に浸る横で、ガリッ、ガリッと音が鳴る。その音に顔を顰めて見上げれば、カノが思いっきり飴をかみ砕いていた。 「え? カノくん?」  こっちは良い気分だったのにと、軽く引いてみればカノが顎で飴の袋を指す。 「他にどんな味があんの?」 「え?」  そう言われ、カノと飴の袋を交互に見る。 (いや、まさか)  ゴクリ、喉を鳴らす。そんな訳ない。そう思いながら、チラリとカノを見る。カノがニヤニヤと笑っている。 「――っ」 (これは、そういう、ことって……コト!?)  震える指先で飴の包みを開き、ぱくんと口に含む。 「何味?」 「っ……、グ、グレープ……」 「ふーん。良いじゃん」  カノの腕が、腰に回る。ビクッと身体を震わせる清の耳元に、甘く囁かれる。 「そっちも、味見させて」 「――っ」  ぶわっと、顔から火が出そうだった。もしかしたら、カノはもう、清の気持ちを知っているのかも知れない。知っていて、こんなことを言ってくるのかも知れない。余計なことをぐるぐる考えている清の唇を、カノが塞いだ。 「んぅっ……」 「おら、舌出せって」 「あ」  無理矢理唇をこじ開けられ、舌が絡みつく。 (このホスト、悪い男かも知れない)  そんなことを想いながら、結局この日、清はカノと三回キスをした。

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