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シャハブはマーヴィンがポルノスターとして最後に寝た男の子。4年前、6時間200ドルで鍵を借りたロッジのベッドに入り、年齢を聞いた時には21歳だと言い張っていた。どう考えても自分と10歳違いには見えなかったし、他のスタッフもそう思っていたはずだ。だからこそ「両親がスキーに行っている間に遭難者を家へ招き入れたら、誘惑されて性の悦びを知る高校生」という役に抜擢したのだろう。
彼と話していると、あの時有耶無耶にした良心とか良識とか、とにかく善いものに今更責め立てられているような気分になる。恐らくやっと法定成人年齢に達したこの期に及んでも、ただただ砂糖菓子のように可愛いから、余計にそんなことを思うのかもしれない。テヘラン生まれで、糖蜜のようになめらかな肌と、優しい心根を持つ天使。
シャハブも今では人に使われるような動画には出演していない。ロープワーク・アーティストをしているドイツ人の恋人と組み、縛られたり吊るされたり悶えたりする一部始終を公開するアカウントをポーンハブで開設してざくざく稼ぎながら、界隈の人間には「ジーノの店」と呼ばれるこの店でバーテンダーをしている。
勿論、マーヴィンが今日店を訪れたのは、贖罪の為ではないし、ましてや男を引っ掛ける目的でもない。そんなことをしたらピエールが盛大に臍を曲げる──俳優を辞めるきっかけを作ってくれたピエールにマーヴィンは今でも感謝していたし、正直首っ丈と言っても良い程には愛している。
問題は、愛情と信頼がなかなか一致しないことだった。
「28歳にもなって、ピエールは8歳児並みの情緒しか持ってないんだ。間違いない、精神科に行って確かめて貰ったんだから」
ぐずっと鼻を啜って飲むキューバン・スクリューの5杯目は、もう一口で空になる。ついさっき帰った、いやらしい目つきのスキンヘッドを宥めていた時よりは余程真面目に、シャハブは「もう飲むの止めなよ」と肩を叩く。いやいやをするように頭を振り、マーヴィンは残りの愚痴を一息に唱えた。
「いや、8歳児ですらもっと人の心を持ってる」
ここまでが、ピエールを罵る時に用いる最もオーソドックスな台詞の流れだった。カメラの前で演技をしていた時よりも、外連味たっぷりに唸っている自信がある。当たり前だ、これだけ本心から発する呻吟を耳にして心を打たれないなんて、よほどの冷血漢か精神異常者に決まっている、さながらピエールのように。
「可哀想なローズマリー……」
「お悔やみを言うよ……どこの霊園に埋葬したの?」
「サンタクルーズ。海が見える場所。あの子は海岸で遊ぶのが本当に好きだったんだ。フリスビーを投げたら、ロケットみたいに飛んでいって、自分の背丈の3倍は飛び上がった」
ビーグルらしく元気一杯だったローズマリー。そもそもピエールは、あの犬と相性が悪かった。ブリーダーと連絡を取る前から渋っていたし、譲り受けてからも心なしか邪険に扱っていた気がする(カウチへ腰掛ける為、たった六ヶ月の子犬を爪先で蹴飛ばすなんて!)
挙げ句の果てに、ピエールが開けっぱなしにしておいたドアから飛び出した可愛いお嬢さんは、3ブロックも逃げ回った末、ウエスト・ブラウン通りを走ってきたプリウスに轢かれてしまった。
その晩は食事も喉を通らないような有様だったマーヴィンを一頻り慰めた挙句、非故殺の現行犯は翌朝なんと宣ったか。
「そんなに寂しいなら、新しい犬を買ってやるよ」
「ピエールがサイコだって、あなたが一番知ってるのかと思ってた」
「サイコだなんて……人を勝手にラベル付けするのは嫌いだ」
「でも、彼はまともじゃない」
自分用にウィルキンソンのソーダへクランベリー・ジュースを垂らした飲み物をこしらえながら、シャハブは軽く爪先立ってたたらを踏んだ。カウンターに伏せたマーヴィンの盛り上がった肩を飛び越え、彼が注視したのは、先程からテーブル席で未成年と思しき男の子を弄んでいる、若い株式仲介人っぽい2人の様子だろう。いじめられっ子はすっかり酔っ払い、緑色に染めたレザーの上でつるつる滑っているように、体をぐらつかせていた。右の男に肩を抱かれてよろよろ、左の男にデニム履きの太ももを撫でられてびくびく──あんまり続くようなら割って入ってやろうと、マーヴィン自身が気を付けていた連中だった。
「あなたは優し過ぎるからね。だからピエールを付け上がらせてるってことはあるんじゃないかな」
「ピエールはいい子だよ。ただちょっと、周囲がまともな教育を彼に施さなかっただけだと思う。それに、彼のペニスはまるで誂えたみたいに僕へぴったり来るし……」
「はいはい、ご馳走様」
涎まで垂らされて興味をなくした男達が、酔っ払いを人形の如く無造作にカウチへ放り出したと確認してから、シャハブはよしよしと頷いた。
「ねえマーヴ、あなた、大分参ってる。ペットロスを甘く見ないで……気分転換に、どこかへ遊びに行ったら?」
「僕だけ楽しむなんて、ローズマリーに申し訳ないよ」
「ローズマリーは、飼い主がこんなにも悲しむことを望まないんじゃないかな。今は夏休みなんだから、仕事もお休みでしょ?」
「でもそろそろ、来学期の履修登録の準備を始めなくちゃならないし……数日で行けるようなところがあったらいいのにな」
「数日ね」
少し考えた後、シャハブはカウンターの下に重ねてあった丸いコースターを取り出した。スマートフォンを見ながら、裏面にボールペンで書き込まれたのはインスタグラムのアカウント。
「スレッズはこまめにチェックしてるみたいだから、連絡を取るならそっちの方がいいかも」
「言っておくけど、新しい出会いとかは全く考えてなくて」
「違うよ。僕の知り合いの知り合いで、映像作家なんだ」
「ポルノ?」
「違う、産業映画っぽいのから、アーティストの依頼とかまで幅広く手掛けてる」
顰めっ面を浮かべるマーヴィンに向かって振られる手は、あくまで決然としている。
「ちょっとセクシーな、って言ってもメーガン・ザ・スタリオンのMVくらいのね。そう言うのは撮るみたいだけど。とにかく知る人ぞ知る人らしくて、引く手数多だから、恒常的に俳優を募集してるんだ。あなた位ハンサムだったら、絶対に一発で採用だよ」
「でも僕、ダンスは下手なんだ」
「嘘つき。映画でストリッパーの役してたじゃないか」
中途半端な正義感ほど面倒なものもないと、己自身が何よりも身に染みているし、潔癖とか軽蔑とか大袈裟なことも言わない。ただ単に、自らは一定以上感情を通わせた男以外と寝るのが嫌なのだと気付くのに、6年の歳月は時間がかかり過ぎた。その間の迷走乱行と言えば、若気の至りで済まされない事も、正直なところ、ある。
「何度か店にも来てくれたこともある。いい人だった。毎回、凄く仲のいい彼氏を連れてきてさ」
まだ胡散臭げにコースターをためつすがめつしている間に、シャハブはちゃちゃっとスマートフォンで情報を検索してくれた。有名なインフルエンサーと提携しているらしい。どこかのSNSで見た女の子と一緒に写真へ収まるのは、まだ大学を卒業して数年足らずといった、ハンサムで、利発そうな若者だった。
「僕の名前を出してくれたらいいよ。脱がないって言えば、それ相応の仕事を見つけてくれると思う……活動拠点はフロリダだから、ちょっとのんびり日光浴して、蟹でも食べてさ。そうしたらきっと、新学期までに気分も少しはマシになる」
「本当に、脱ぐような仕事は嫌だからね……」
「大丈夫」
店の用心棒に顎でしゃくられ、バドワイザーの小瓶の栓を抜きながら、シャハブは肩を竦めた。
「そもそもあなた、もうピエールに挿れてもらえないと勃起しないんでしょ?」
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