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連絡をした時は腹を括るという状態にすら達していなかった。飛行機の電子チケットがメールされてきてもまだ現実感が伴わなかったし(宿泊ホテルからビジネスクラスの往復料金まで全て負担すると言われた時には流石に驚いたが「最近はそういう仕事も多いよ、というかジェットブルー程度でねえ」とシャハブの助言を受けて、少しだけ安心した)
ピエールには「大学時代の友達と会ってくる」と伝えた。「あっそう、楽しんできて」と上の空な口調よりも、その目は更に無慈悲で、最近はまっているオンラインカジノの画面へひたすら食い入っている。これって一種の浮気じゃなかろうかと、ほんの少し罪悪感を覚えたのが馬鹿みたいに思えた。挙げ句の果てに「あの臭い犬のベッド、片付けてもいいよな」と重ねられたら、寧ろこの寛容と程遠い恋人へ地団駄を踏ませるのが楽しみになってすら来る。
マイアミ国際空港からウーバーで20分、ビスケーン湾を超えて、スタジオのあるマイアミ・ビーチへ向かっている時は少し緊張した。35歳、いい加減、熱く焼けた砂浜でカラフルなショットボトルを一気飲みし、はしゃぎ回る年齢でも無い。
幸い、オールド・ビーチと呼ばれるだけのことはあり、市街地には様々な年齢層の人間が溢れている。誰も彼もが夏休みに入って寛いだ表情、照りつける刺すような日差しへ混ざり込む潮風は、胸をくすぐりながらもどこか鄙びていて、暗く沈んだ心をいっそ落ち着かせた。
スタジオと聞いていてたが、そこは実際のところ、ホテルらしかった。観光客が案内人と共にセグウェイへ乗って見て回るような、アール・デコ様式の希少な建物。角のない正方形を保つ真っ白い石膏の壁は、階層ごとにパステル・ピンクとペパーミント・グリーンのルーフ・ラインで交互に区切られ、さながらショートケーキのよう。ペントハウスらしい最上階、ホテル正面玄関の真上には、海藻と人魚のスタッコ製レリーフがあしらわれている。
まさしくその最上階が、知る人ぞ知るビジュアル・アーティスト、バレット・クロスボウの待ち構えている場所だった。
建物内部もまた、30年代の佇まいを保っていた。このホテルがオープンした時代に、ジーンズとTシャツなんて装いで足を踏み入れようものなら、ドアマンが有無を言わさず外に放り出しただろう。幸いリバイバル・ブームですら過ぎ去った現代では口うるさい輩もなし、流線型の車のボンネットを思わせるフロントデスクでパソコンを操作する受付嬢は、こちらを見向きすらしない。
抑えられた照明の光ですら吸い込む、美しい黒大理石製タイルを貼り付けたドアの前に立った時は、流石に居住まいを正す。クローム製のドアノッカーを叩くと、バレット本人が扉を開けてくれた。
吸い込まれそうな程青い瞳はただでも大きいのに、こちらをじっと見つめる時は殊更丸く見開かれる。
「シュレイバーさん?」
「マーヴィンでいいよ。昔の仕事仲間はみんなそう呼んでた」
「そう? マーヴィン?」
傷だらけのキャリーケースを受け取り、青年は両の口角を吊り上げる。顔の均衡が微かに崩れているのだが、表情筋を動かすと、途端にそのズレが正しい位置へ戻るタイプの、いかにも懐っこそうなハンサムだった。
「そっか、以前にも俳優の仕事をしてたって」
「俳優って言ってもね。今はもう、脱いだりは……」
「あ、大丈夫です。僕もポルノは卒業したんで」
フロアを二つに区切ったうち、右側の部屋がこの客室な訳だが、外観から想像するよりも広く感じた。狭い廊下の両壁を見ただけでも、客室が3つ。白と茶色の床板をヘリンボーン状に組み合わせた床板に、ごつごつとライディング・ブーツの足音が響く。
「実は僕のパートナーも昔、男優をしてて。アール・デュークって芸名だったんですけど」
「伯爵なの? それとも公爵?」
恐らく死ぬほど繰り返されただろう戯言が口をつき、しまったと頭を抱えたくなる。けれどバレットは、少し口元を緩めただけで、突き当たりの客間を顎でしゃくった。
「彼ももう、セクシー路線を引退しちゃったから……まだ僕がUCLAへ通って、撮影助手をした頃に。いつか彼で一本撮ってみたいなあって思ってるんです」
そこまで胸を張るのだから、クリス・ヘムズワースも腰を抜かす絶世のセクシーガイでも現れるかと思っていた。けれど落ち着いたピンク・グレーをしたスリー・クッション・ソファで待っていたのは、言っては何だが、中肉中背、至って普通の男性だった。
確かに、可愛らしい顔立ちをしている。ちょっと瓜実顔のキューピー人形と言った面立ち。年齢は30手前位、その年齢で体を売る仕事から足を洗ったのだとしたら、利口者であることに間違いはないのだろう。知的な広い額に掛かった茶色い巻き毛は今でもふさふさしているし、瞳は眠たげに下がった眦の奥で黒く潤んでいる。もっと若い頃は、恐らく業界中の男性とインターネットの向こうの助平達が、彼を組み敷きたいと舌なめずりしたに違いない。
濃灰色のパラシュート・パンツに包まれた足を組み替え、アールは目を老いた犬のように瞬かせた。
「彼が?」
「そ、今回の」
黒いコーヒーテーブルで水溜まりを作る、クリスタルらしいブランデーグラスを取り上げ、バレットはどたばたとミニバーへ向かう。
「アールはいつもの。あなたは、マーヴィン?」
「飲んでもいいならビールでも」
「バドワイザーしかないけど大丈夫?」
子供じみた無邪気さで張り上げられる声には、言葉でなく哀れむような笑みの返答が用意される。アルコールで濡れている指を噛みながら、アールは対面の一人掛け用ソファに腰を下ろしたマーヴィンの方へ顔を傾けた。
「あんまり若いから不安に思っただろ……つまり、俺らみたいなベテランにはさ。でも、最近のインフルエンサーとか言う人種は、同い年位の子の方が親近感が湧いていいんだって」
「何事もフレンドリーに、秩序よりも優先して、って話かな」
「そういうこと」
手渡されたグラスの中に注がれている時ではなく、とろけるような滑舌で言葉を発する大きい口へ含まれた時、ブランデーの甘ったるい芳香は部屋に満ちる。まるで小さな弟が兄へするように、頬へ唇を押し当てるバレットから逃れ、アールは廊下を横目で示した。
「あっちの部屋にも一人いるよ。ダンサーらしい、イン・シンク並のダンサー」
「それってジャスティン・ビーバーがいたグループだっけ」
むちっとした太ももを押し除けて愛人の隣に腰を落とすと、バレットはまたにっこり、唇を綻ばせた。
「ええっと。あなたは大学の先生をしてるって聞きました。じゃあ、あんまり過激なことはやらない方がいいな」
「先生なんて良いものじゃなくて、一介の職員だけどね。大分注文を付けたから、まさか本当にオファーしてくれるなんて思わなかったよ」
「僕は色々な仕事を受けてるんです。アールには欲張りすぎだって叱られるけど」
じっと、またあの青い瞳が、全身へ這わされるのを感じる。色目を使われたと言うよりは、イケアの家具か食肉用の牛になったような気がして、マーヴィンは早々に汗を掻き始めた缶からビールを二口、三口と流し込んだ。これだけ古い建物だから仕方がないのかもしれないが、この部屋は少し蒸し暑い。目の前の、特にアールは文字通り全く涼しげな顔をしているが。
「今回撮るのは、後で紹介しますけど、ダンサーのウォルティ・マカブルのイメージ動画で……ちょっとダークな雰囲気にしたいんです。エロスじゃなくて。ゴスっぽいって言うのか、それともパンクかな。ソニック・ユースに近い感じ? だよね?」
「だよねって、俺に聞くなよ」
首を傾げて顔を覗き込む恋人の鼻先で、アールはグラスを揺すって氷をからから鳴らしてみせた。
「演出するのはお前なんだから」
「あー、その、服を脱ぐ必要は無いんですけど、フード付きのローブを着て呪文を唱えるふりをしたり、枕カバーを被った状態で焼き豚みたいに縛られて、魔法陣の真ん中に座って貰ったりはします」
思わずマーヴィンが吹き出したおかげで、どこか張り詰めていたその場の空気は立ち所に和む。
「あなたは馬鹿げてると思うでしょうけど」
「いや。どうやら顔出しする必要もないみたいで安心してる」
「ええ、顔出しはなし」
自らが手にしていた炭酸水のペットボトルをぐいと傾け、バレットはソファから腰を上げた。
「それに、ここだけの話だけど、ウォルティはかなり負けず嫌いなんです。あなたみたいなハンサムが登場したら、場を攫っちゃうんじゃないかって臍を曲げるかもしれない」
同じフロアにあるもう一つの客室へ足を踏み入れた時──正確に言うと、そこは客室ではなかった。一室ぶち抜きの空間は、フローリングも板張りの壁も、何もかもが目に痛い程真っ白だった。窓ですらシャッター式の雨戸を下ろし、ペンキを塗る徹底ぶり。箱の中へ潜り込んだ感覚に陥る。
この瀟洒なホテルにふさわしくない、現代的な冷ややかさと、ウォルティ・マカブルは完璧な調和を保っている。
寡聞にしてマーヴィンは名前は知らなかったが、人気があると言うのも頷ける、魅力的な青年だった。体操選手を思わせる逆三角の上半身は、油を塗ったようになめらかで、その身へぴったり張り付くモスグリーンのタンクトップによって強調される。肌の色と同じく、黒く艶めいたレザーのズボンは、しなやかに整えられた筋肉と一体化していた。
「ウォルティ、この人、今回手伝ってくれる」
バレットの紹介に、ウォルティは取り敢えず手を差し出した。
「なあ、あのコンセプトだけど、やっぱりちょっと毒々し過ぎないかな」
「君は人にショックを与えるのが好きなんだろ? 大丈夫だよ、保証する……今からセットを組むから準備してて」
「手伝おうか?」
「ううん、すぐに済むから大丈夫」
マーヴィンの申し出が断られたのは遠慮故ではない。バレットの脳内には、彼のみが理解できる確たる構想が組み上がっているようだった。部屋の片隅に寄せてあった、キャスター付きの長テーブルを引っ張ってきて、封鎖された窓の前に据える。そこに並べられるのは、銀製品──燭台、柘榴の実を盛った器、そして十字架。だが何よりもマーヴィンをぎょっとさせたのは、古い宝石箱を思わせる、細かな瑪瑙の象嵌が施された箱が取り出された時のことだった。敷き詰められたビロードと全く同じ色、赤のラッカーによって毒々しく艶めいた頭蓋骨が、慎重な手つきで持ち上げられる。
「変わってるだろ? あれ、あいつの姉さんなんだってさ」
床の上で大きく開脚する柔軟運動をこなしながら、ウォルティは軽く頭を振って、こめかみに流れる汗を往なした。
「俺も最初に見せられた時はかなりビビった」
「だから、これはレプリカだってば。本当に怖がりだなあ」
唇を尖らせ、バレットは抱えたものを机の中央、銀色に染められた絹スカーフの上へと恭しく据える。それから部屋の隅の段ボールを漁り、昔の手術着を想起させる、上下のゆったりした白いシャツとズボンを差し出した。
「マーヴィンはこれを……彼が登場するシーンだけ、先に全部撮ろう。今日一日で終わるようにね」
Tシャツを脱いだら、足元から小さく口笛の音が響く。
「すっごくいい体してる。後で一戦どう?」
「悪いけど、もう予約済なんだ」
そう笑いかけるものの、心の中の天秤がぐらりと傾いたのが自分で分かる。
今頃ピエールは、家にいるのだろうか──付き合い始めて、と言うか家に転がり込まれて3年ちょっと。彼が半年以上同じ仕事に就いていた形跡はない。ふらっと外に出かけては金を持って帰ってくるので、最初は路上強盗かひったくりでもしているのではないかと不安に思ったものだ。
近頃はもう「俺はノマド・ワーカーなんだよ」という本人の言葉を信じるしかなくなった、すなわち諦めた。
ウォルティ・マカブルはあののらくらと違い、己の夢を把握し、そこへ向かってまっすぐ突き進んでいるようだった。軽薄そうではあるが、軽く首を縮めた際の悪戯っぽい眼差しは引き際を理解している。「撮影の後、気が変わったらいつでも言って」と片目を瞑る、自信に満ち溢れた様子と言ったら。30も半ばの、日々を漫然と過ごしている人間なら、誰だって気圧されてしまうに違いない。
役者達が水を飲んだり、お喋りしたりしている間に、バレットは着々と準備を整えていく。長机に当たるよう、赤い電球を取り付けたスタンドライトを三つ設置した後は、薄紅色のチョークを取り出して床に紋様を書き込み始める。丸、三角。更にはよく分からない記号や文字。ぼろぼろになったノートを参照しつつ描かれるそれは、ファンタジー映画に出てくる魔法陣を思わせた。
「何だか、本当に悪魔崇拝みたいだね」
「バレットの作品って、こう言うのが多いんだけど」
呆気に取られて眺めているマーヴィンに、ウォルティは肩を竦めてみせた。
「彼の生い立ちが関係してるのかもな。新興宗教のコミューンで育ったんだって。アールも同じ土地育ち……て言うか、アールはそもそも、バレットの姉さんの夫だったらしい」
「小さい頃に親同士が勝手に決めた、科学的交配って奴だよ」
驚きを隠しきれていないマーヴィンへ臆する様子もなく、バレットはちょっと笑って見せた。
「そもそも、両親は僕が6歳の時に脱会してるしね」
「分かってる、あんたがジム・ジョーンズだとは言わない」
タンクトップを脱ぎ、ウォルティはからからと笑い声を上げた。
「アリ・アスターだってカルト出身って話じゃないか。マーティン・スコセッシも堕落したカトリックな訳だし。映画監督と宗教って、相性がいいのかもよ」
「いい事言うじゃない」
「俺も、過激な、っていうか、ゾクッと来るような事は好きだし……それにしたって、くそっ、この部屋暑いな」
まるでタイミングを見計らっていたかのように、部屋のドアが開く。
頭巾付きの黒いローブを身に纏ったアールは、10人に見せたら10人が悪魔崇拝者と指をさすだろう。けれどウォルティはまるで屈託がない。長い裾を引きずり、しずしず歩み寄ってきた男の尻を、バシンと音が響くほど勢いよく叩く。
「嘘だろ、ノーパン?」
「痛っ、ちょっと……ちゃんと履いてるよ」
ほら、と捲って見せられた布の下には確かに下着が見えた。腰を横断するストリングから伸びたクロッチは、豊かな尻たぶの狭間へ完全に食い込んで姿も形も言えないが、それは間違いなく下着だった。
「この歳でね。年下の彼氏を持つと、誘惑するのも一苦労なんだよ」
「そんな悲しいこと言わなくても。あんた十分セクシーなのに」
恐らくお世辞ではなく慰めるついで、もう一撫でしようと手のひらを差し伸べたウォルティに、バレットは慌てて「駄目駄目」と腕を振り回した。
「セクハラはなし! アールもそんな格好、僕以外に見せびらかさないでよ」
不意にマーヴィンが思い出したのは、去年の誕生日にピエールが抱えて帰宅した大きなプレゼントの包み。わくわくしてリボンを解き、箱を開いて現れた黒革の下着を目にした時の喫驚は、今でもまざまざと胸に再現することができる。理解が及ぶよりも早く、マーヴィンは真っ赤になって箱を振り上げ、角の部分がもろに当たるよう、ピエールの頭をどついた。
「冗談が通じないな」とこぶを撫で摩りながらぼやいていたピエールが、あの時本気だったことは間違いなかった。彼は心の底から、マーヴィンにあの下着を身につけて欲しいと思っていだのだ。けれどこちらからすると、こんな特別な日にはもっと良いものを、と期待してしまった──良いものだって? まるでセックスが悪いものみたいな言い草じゃないか。幾ら堅気に戻ったと言っても、己はそこまでお堅い性根を持ち合わせていたのか?
例え少々手段が捻くれていたとしても、真摯に訴えれば愛情は伝わる。受け取る側が心を開いてさえいれば。証拠にバレットはまるでアールに夢中で、ローブ越しにくっきり浮かび上がった腰からの輪郭から視線を剥がすのに、相当苦労してる様子だった。
「怖い?」
しんみりしているマーヴィンに、アールは楚々と微笑みかけた。
「びっくりしただろう、本格的だから」
「まあね、少しだけ」
「正直で嬉しいよ。悪いけど、しばらく付き合ってくれないかな」
幼稚園でお砂場遊びをしている子どものように、背中を丸めて取り組んでいる姿を一瞥し、目を細める。
「俺達が、ちょっと特殊な環境で育ったって言うのは聞いた? あいつは何ともないふりをしてるけど、やっぱり心のどこかにオブセッションがあるみたいでさ。ああいうテーマへの好奇心が旺盛で、ちょっと困っちゃうよ」
「君も言ってたけど、かなり本格的だね」
「うん。でも、悪魔を信じてるって言うよりは、一種のセラピーなんだ。ああ言う儀式をしてると落ち着くんだろうね……俺はあいつの気持ちを、尊重してあげたいと思う」
口調や仕草は恬淡としているものの、一生懸命チョークを走らせる年下の恋人を眺める時、アールの瞳は信じられないほど優しく潤みを増す。まさしく、お互いを敬い、心を通い合わせる恋人達の、理想的な姿だった。
「崇拝は死ですら凌駕する。そこに肉欲も加われば最高だけど……」
「大丈夫だって」
目の周りにアイラインを引いていたウォルティが、小さな手鏡越しに目配せして見せる。
「ほんと、バレットさえ許してくれたら、俺絶対あんたにかぶりついてたよ」
「はい、お待たせしました」
指先の粉を払い落とし、書き上げた円陣の中央に椅子を設置すると、バレットはマーヴィンを手招いた。
「ウォルティが僕の白雪姫へかぶりつかないうちに片付けないとね」
椅子に座らされた後は、先ほど言っていた通り、枕カバーを被せられて、焼き豚のように縛り上げられる。麻縄は背もたれに後ろ手で固定される腕と胴体から始まり、座面と一体化させられた太腿、椅子の足と同じ広さに広げられた足首まで網羅しているものの、そこまできつさは感じない。バレットは一々「痛くない?」と確認し、マーヴィンが微かに身じろぐだけで、位置を丁寧に調整する。
「順調に進めば2時間位で終わると思う。勿論、ワンテイクずつ、と言うか、どれだけ長くても20分ごと位に休憩は入れるから……彼が疲れないかは、君にかかってるんだよ、ウォルティ」
「分かってる。一発で凄いの決めてやるからな」
最後にバレットは、頭を軽く締め付けるような何かを袋の上から被せる。
「これはBluetoothヘッドホン。耳の位置は合ってる?」
「大丈夫だよ」
「リラックスできる音楽を流すからね。まあ、気楽にしてて。イメージとしては、敵に捕らわれた捕虜って感じに、ぐったりと……頭を片側に垂らして、そうそう」
それが最後の指示だった。リラックスするとバレットは言ったが、まあどうだろう。ひずんだ旋律が大音量で流れ始める。マーヴィンが10代半ばの頃(周囲に言えば驚かれるが、実のところマーヴィンは、かなりおませな子供だったのだ)こっそり出入りしていたアングラ系のゲイ・クラブで、まだぎりぎり流れていたノイズ・ロック。
若いのに変わった子だなあ、やっぱり特殊な環境にいたからだろうか。それとも最近、またこういう曲が流行ってるのかしらん。そう言えばさっき、ソニック・ユースがどうとか言ってたし。
内心首を傾げながら、マーヴィンは耳を聾する音楽の中に、今夜食べにいくシーフードのイメージを溶け込ませた。マイアミは初めてだと言うと、バレットは夕食の提案までしてくれて、何でも今夜行くレストランは、「ストーンクラブのマスタードソース掛けと、ロブスターのマッケンチーズが絶品」なのだそうだ。
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