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肺へ吸い込まれる酸素が覚醒を促す。痛みに伴い明瞭化した視界はすぐさま涙で滲み、激しい噎せ返りが止まらない。
「大丈夫、ゆっくり息をして」
吸って、吐いて、と穏やかな口調に合わせて背中を摩られ、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。前のめりの体を持ち上げ、ウォルティはようやく状況を把握できるだけの余裕を取り戻した。
目覚めたら自宅のベッドの上だった、なんて甘い期待は即座に打ち砕かれる。左右上下もれなく白、最初にこの『スタジオ』を訪れた時、箱に閉じ込められて地の奥底へ埋められた気持ちになったが、今もまさしく死んだみたいに感じた。
そうだ、そもそも生きているのがおかしい。体を寸断される衝撃──痛みは感じなかった、全身を襲う雷に打たれたような衝撃は、床へ投げつけられてから意識が消えるまでの幾らかの時間、決して消えることがなかった。
顔を覗き込むバレットを殴りつけようとしたが、鉛じみた重さを持つ腕は呆気なく空振りする。
「それだけの元気があれば上出来だ。もうちょっとしたら指先まで感覚が戻ってくるね」
「この、クソ野郎、悪魔」
「僕らは悪魔じゃない。あいつらも多分、違うみたいだ」
白いバスローブを身につけ煙草を吹かすアールは、まるで濡れ場の撮影でもこなしていたと言わんばかり。微かな倦怠と興奮が滲んだ声音は低く嗄れ、妙に色っぽい。
「尤も、聖書に載っていない存在を全て悪魔と見做すなら、定義には当てはまるんだろうけど」
実を言うと、子供の頃以来聖書をまともに読んだことはないし、この期に及んで宗教談義をするつもりもない。そして恐らく、目の前の男達はそんなウォルティの性分を見抜いていたのだろう。
「君は理解できそうだから」
そう言って動画と、ここに来てから実物を見せられた時、逃げ帰らなかった時点で、己は彼らの共犯者だった。
「なんで俺は生きてる」
「なんでだろうね。一つ確かなのは、あいつら、自分を信奉して、供物を捧げる人間の願いは、必ず叶えてくれるってことだよ……君がライバル視してたチェイス兄弟も滅茶苦茶バズったし、あのカタルーニャの種馬だったかな? 彼もヴェガスのスロットでジャックポット当てて、今頃ニースかどこかで念願の引退生活を楽しんでるはずだよ」
そこまで行ってから、バレットの青く澄んだ瞳はにこっと細められる。
「でも今回君は、やられ損。マーヴィンが逃げちゃったから……彼も仲間になってくれれば、もっと楽しめただろうな、勿体無い」
「俺らみたいに、捧げるものと受け取るものが一緒なら、苦労しなくて済むのにねえ」
剥き出しになったウォルティの上半身を撫でるアールの手つきは、こうした誘惑が日常茶飯事になっていることを示している。それにこちらも、命の危機を感じたせいだろうか。指先が臍の下を這い、レザーパンツのチャックへ沿うように下り始めた頃には、ペニスが徐々に膨らみ始めている。すりっと身が摺り寄せられた拍子に露わとなったアールの肩はしっとり汗ばみ、踏み潰した果実を思わせる甘い匂いがした。
「なあウォルティ、君の望みを叶える為、俺は何をしてあげられる?」
「取り敢えず、生贄を捕まえてこなくちゃ」
床へ転がっていた斧を拾い上げ、バレットは軽く肩を回した。
「あのフロントの男の子なんかどうだろう。アール、気に入ってたよね」
「別に誰でも構わないよ」
猫が身を丸めるような姿勢でウォルティの股間に顔を埋めたきり、アールが背後を振り返ることはない。股間の匂いだけですっかり酔ったような表情になり、黒い目が今にこぼれ落ちそうなほど潤んでいる。
「早く戻ってこないと、最後までやるぞ」
「そう、本番は無し! そこは心得といてよね、ウォルティ」
ドアの前で振り返り、血まみれの刃先を突きつけながら、バレットは素っ頓狂なほどの大声でそう言ってのけた。
「もしも挿入までしたら、今度こそ君をあいつらの餌にしてやるから!」
「フロント係って、大丈夫なのか、そんなことして」
ばたんと威勢良く閉められた扉の音が静寂へ飲み込まれるよりも早く、目の前の頭は上下し始める。形のいい頭骨を撫でながら、ウォルティは思わず尋ねた。
「ああ、大丈夫」
と、アールは肩を竦めた。ペニスへ蛇のように舌を絡み付かせる合間、やわい粘膜に歯を掠めることなど全くせずに。彼は超一流のプロフェッショナルだった。
「ここのホテル、俺のものだから。妻の遺産なんだ」
「バレットの姉貴?」
「そう。彼女、撮影中に興奮し過ぎたせいで、うっかり呪文を間違えて……そういう、おっちょこちょいなところはバレットもそっくりだし、心配しちゃうよ」
そう呟きながら本格的に喉を開く前、アールが恍惚とした視線を這わせたのは間違いない。宝石箱からこちらを睥睨する、真っ赤な骸骨だった。
end?
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