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Open fire
理玖の背中を見送ったあと、しゅんとしながら自らも教室へ戻ろうと歩き出した恵瑠に、先程とは打って変わって真面目な声音で吾珠が声を掛ける。
「……ところでさ、新入生くんはAngelだろ」
想定外のどうでもいい問い掛けに対して表には出さずに舌打ちしながらも、今後の理玖との関係進展のために必要な対話は避けるべきではないと思考を切り替えて、恵瑠は天使と見紛うほどの完璧な微笑みを浮かべて振り返る。
「その呼び方やめてくれません?僕には立派な名前があるんで」
「エルくんだっけ?で、どうなの」
春の陽光すら味方につけ、有無を言わせない神聖さを漂わせてみせるクソ生意気な後輩の度胸を買ってやることにした吾珠は、遅刻しまいと足を急がせていた適当な生徒に視線を遣る。音もなくするりと足元から伸びた影がその生徒の影に触れると、壊れた操り人形のように不自然な角度で体が折れて止まった。苦しむ様子もなく、ただ甘い夢を見ているかのようにうっとりと瞳を潤ませ、静かにその場に沈む。そうしてその生徒から奪った"悪なる心"をゆっくりと嚥下した吾珠の周囲500mほどが、まるで最初からそうであったかのような自然さで真冬の闇夜よりも暗い漆黒に飲み込まれた。
全てが淡々と質問を続けながらの幾何も無い間の出来事だった。
この程度は造作もないと己の力量を誇示するためだけのCharmと、心底癪に障るニヤニヤとした笑みを真正面から受け、恵瑠は細く長い溜息とともに軽く両手を上げる。吾珠のつまらない挑発に乗ってCharmを使えば、少なからず周囲のSpiritに影響が出てしまうだろう。入学早々に問題を起こすのは恵瑠としても本意ではない。
「白山です。そうですけど、それが何か?」
何かしらの反撃くらいはあると想定していただけに、吾珠は肩透かしを食らった気分だったがそれをおくびにも出さず、逆に別の可能性を閃いて追撃を仕掛ける。
「なるほどねえ。力の制御ができないなら、あんまり理玖に構ってちゃんしないことだな」
図星を突かれた恵瑠の身体から激しい怒りと嫌悪のオーラが噴き出した。
「……貴方にそんなことを言われる筋合いはない」
地の底を這うように絞り出された低い声も、凶器のように人を射殺せそうな鋭い視線も、吾珠にとってはどこ吹く風だ。わなわなと震えている恵瑠の拳を見て、十分な収穫は得られたとばかりにCharmを解除した。暖かな太陽が戻っても、場に漂う冷えた空気は戻らない。
「おー怖い顔。何か知らんけどアイツにDealがいないことくらい知ってんだろ?幼馴染なら理由も知ってんのかな」
オマケ程度に探りを入れつつ、近くで呆けたままの生徒に近付いた吾珠は、何の躊躇いもなく唇同士を軽く合わせた。ちゅ、と場違いな可愛らしい音を立てて顔を離すと、我に返った生徒が吾珠を認識して慌てて走り去っていった。
その後ろ姿にニコニコと邪気なく手を振っている吾珠の方を見ないまま、恵瑠は苦虫を嚙み潰したように答える。
「…………知りません」
「あっそ、とにかく忠告はしたからなー」
理玖にDealがいないことに対してか、その理由に対してか、どちらともとれる短い返答にはさしたる興味も湧かず、吾珠も今度こそ昇降口へと向かった。大方、後者だろうと想像はつく。力の制御がままならないのは、理玖に固執するあまり自らもDealを持たず、Charmの訓練が圧倒的に不足しているからに違いない。
歩きながら、新教室からこちらを見下ろしていた理玖に気付いて笑い声を上げそうになったが、そこは場を離れるまでぐっと堪えた。
辺りに人気のなくなった頃、恵瑠はようやく握り拳をそっと開いた。痛々しい爪痕が残った掌をじっと見つめて呟く。
「Devilなんかに……りっちゃんは渡さない」
既にホームルームに突入している中、戦いの火蓋が切って落とされた。
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