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第4話①
夜の帳が下りる頃、ヴィラのメインロッジ周辺には、着飾った人々が集まり始めていた。
今夜は島の名士達を主催として、滞在中の有力者を招いた夜会が開催される。大半のスタッフが準備に駆り出されるのと同時に、担当顧客がそのまま招待客に名を連ねている琉斗 達VIPルーム専属の執事 も、万一の呼び出しに対応できるよう、運営班としてパーティールームに詰めることになっていた。
慌ただしい中にも準備は着々と進み、開始時刻まであと10分と迫った頃。
(やっべ!)
到着の遅れた楽団の搬入を手伝っていた琉斗は、会場までのルートを小走りに駆け戻っていた。パーティールームはメインロッジの最奥部にあり、当然ながら搬出入口はその更に裏手になる。本来アルバイトでしかない琉斗は、飲み物をトレイに載せて会場内を回るサーブ役に割り振られており、持ち場に戻るには正面入口からしれっと紛れ込むのが一番早いと踏んだためだ。
全般的に楽器の扱いに慣れているという理由で、琉斗を楽団の補助へ向かわせたのは、ヴィラの経営陣に名を連ねる叔父であり、一番責任の軽いサーバーの仕事に多少遅れたからといって、運営上さほどの支障が出る訳ではない。にも関わらず気が急いてしまうのは、時間厳守の日本社会で揉まれた経験のなせる業だろうか。
煌々 と輝くエントランスの照明が視界に入ったところで、歩調を緩める。ほとんどまばらになってはいるものの、招待客や、その間を奔走する同僚のスタッフの姿があるということは、充分に余裕を持って戻って来れたということだ。
琉斗は安堵に胸を撫で下ろした。呼吸を整えつつ、装飾用のプランターを、傷付けないように掻き分ける。
「!」
見知った人物の姿が目に飛び込んできたのは、明るい光の中へ一歩踏み出そうとした、その瞬間のことだった。
燃えるような赤髪を金のヘアカフスで一つに纏め、浅黒く逞しい肉体を、黒地に金の刺繍の施されたタキシードに包むのは、ヴィルフリート・ハンコック――ヴィラの最重要VIPでありながら、(なぜか)琉斗の性技の生徒でもある、ワイルド系超絶イケメンだ。
要人からの招待を受けて島に滞在しているヴィルフリートは、当然ながら今夜の夜会の出席者にも名を連ねている。言い換えれば、彼が夜会へ参加するからこそ、そのコテージの専属バトラーに任命された琉斗も、この場へ駆り出されているのだ。
そして、ここで姿を見掛けたのも、偶然ではない。答えは、どこか所在なさげなその表情からも明白だった。ヴィルフリートは普段から、彼の美貌と財産目当ての女性や、年頃の娘を紹介しようと近付く資産家達に辟易している。そういった輩から極力距離を取る為にも、開始直前まで入場せず、ここで時間を潰しているところなのだろう。
――羨ましい奴め。
琉斗はひっそりと微笑んだ。持ち場に戻る前に少し揶揄ってやろうかと考えたのは、内面の意外な子供っぽさを知っていてなお、正装したヴィルフリートの姿に思わず見惚れてしまった悔しさのせいだ。出逢った時の彼もタキシード姿だったが、間近で見ると、その容姿はもはや破壊的ですらある。男性として理想的な体格と、整った容貌。エントランスの隅で、扉に背を向けて佇んでいながら、行き交う人々の視線は自然とヴィルフリートに集中する。
つい最近までド下手だったくせに、何かやっぱりムカつく、と、琉斗は理不尽な苛立ちを覚えた。意識して、年下の男が無防備に放つセックスアピールを念頭から振り払いながら、ブーゲンビリアのハンギングプランターを潜り抜けるべく、腰を屈める。
不意に、ヴィルフリートが薄い唇を開いた。
「――お前からすれば、愚かに見えるのだろうな」
「!」
声音の微妙なニュアンスから、琉斗ははたと動きを止めた。慌てて姿勢を戻し、外壁に寄り添い息を潜める。
応えたのは、ヴィルフリートの背後に控えた秘書官だった。「いいえ」と小さく首を横に振ったクレイグは、知的な眼鏡の下に控えめな微笑を浮かべているようだ。
「ヴィルフリート様が楽しそうで何よりです」
親しげな口振りから、年上の秘書官が本気でそう考えていることが理解できたのだろう。ヴィルフリートは虚勢を張るように、しかしどこか砕けた様子で、ツンと高い鼻を上向ける。
「まったく、とんでもないセイレーンだ。この私を惑わせるとはな」
「――!」
結果的に二人の話を立ち聞きすることになった琉斗は、思わず息を呑んだ。責めるような口調とは裏腹に、ピンク色の花の間から覗き見えるヴィルフリートの表情は、普段の苛烈な印象からは考えられないくらいに優しい。
自分には向けられたことのない顔を目に、琉斗ははっきりとショックを受けていた。元々浅黒い肌をした彼が、夜目にも判別可能なほど頬を赤らめているところから見ても、話題が恋愛に関することであるのは間違いない。そして、セイレーンというのは大抵、人魚のような艶めかしい、神秘的な女性に喩えられる――
――アイツ、いつの間にそんな相手が。
愕然としたまま、琉斗はしばらくその場に立ち竦んだ。仕事と休養を兼ねてこの島に滞在しているというヴィルフリートは、休暇の度ごとに琉斗を呼び出し、性技の指導という名目で身体を重ねていたはず。とはいえ、琉斗だってバイトとはいえ、ヴィラの業務もある。そもそもセフレ程度の感覚で始まった関係だ。琉斗がヴィルフリートの細かなスケジュールまでを把握できているはずもない。
そして、関係が希薄だからこそ、ビジネス上の守秘義務という壁に阻まれるのが、自分という存在なのだ。
「………………」
改めて「住む世界の違い」というものを思い知らされた気がして、琉斗はあどけなさの残る顔に自嘲を浮かべた。
ヴィルフリートの本命は、以前のように、島の名士に紹介された女性だろうか。何にしても、セイレーンに喩えたくなるくらい、心を奪われているらしい。
――俺とのセックスが、早速役に立ちそうってことか。
小さく肩を竦めて、琉斗は連なるハンギングプランターを潜り抜けた。惚 けている間に、ヴィルフリート達は既に会場へ入ってしまったようだ。
気持ちを切り替えるように制服を整え、持ち場に向かう。
――いいさ。俺だって、いつまでもここで遊んでいられる訳じゃない。
仕事、恋愛、将来の夢、そして家族。日本から逃げ出したという自覚は琉斗にもあるし、このままでいい訳がないこともわかっている。
すべてに向き合う踏ん切りがつかない状態にあることからは目を背けたまま、琉斗は勇ましく歩を進め、同僚達に合流した。トレイによく冷えたピニャ・コラーダのグラスを並べながら、何でもないことのように自分を納得させる。
ああ、それでなくても、ヴィルフリートは世界を股に掛ける、多忙なビジネスパーソンだ。この島での仕事が片付けば、速やかに彼の日常へ帰っていく。元々別れは、そう遠くないうちにやってくるはずだった。ちょっと寂しく思ったとしても、すぐに忘れられる。傷は浅い……。
それが強がりでしかないことに、悲しいかな琉斗は気付いていた。周囲の喧騒が、まるで遠くの世界のもののように思える。
人懐っこい笑みを浮かべていながら、琉斗は最悪な気分のまま、機械的にトレイを手に取った。
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