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第5話①

「まだ見付からないのか!」  ヴィルフリート・E・ハンコックは、燃えるような紅い長髪を振り乱しながら、秘書官に食って掛かった。切れ長の瞳は怒りに歪められていたが、野性的な美貌には憔悴の影が色濃く張り付いている。  翌日、午後。  ヴィラ側から、琉斗(りゅうと)が昨夜から戻っていないことを知らされて以降、ヴィルフリートのコテージには張り詰めた空気が満ちていた。  琉斗は調子のいい青年ではあるが、勤務態度は勤勉な日本人らしく、至って良好である。こんな風に無責任に仕事を投げ出す筈はないというのが、彼の叔父を始めとしたヴィラ側の見解だ。昨夜の夜会の最中、休憩時間が終わる直前に入った彼からの電話連絡が不自然に途切れたこともあって、スタッフの間にも動揺が広がり始めているという。 「申し訳ございません」  秘書官のクレイグが、静かに(こうべ)を垂れた。どんな時でも冷静な表情が、やや痛ましげに(ひそ)められているのは、幼き日より苦楽を共にしてきた主の焦燥が伝播しているためだろう。元々感情の起伏の激しいヴィルフリートだったが、他人の安否を気遣い、これほどの動揺を見せたことはない。  落ち着かない様子で執務用のデスクを離れたヴィルフリートは、苛々と窓辺へ向かった。防弾ガラスの向こうには抜けるような青空が広がり、紺碧の海は静かに凪いでいる。誰もが心休まる穏やかな光景も、しかし今のヴィルフリートには何の感慨ももたらさなかった。  琉斗の行方不明について、現時点ではまだ誘拐と確定した訳ではない。が、ヴィラの庭園に残された彼の業務用スマートフォンから、その線が最も疑わしいのは事実だった。そして、これが裕福な観光客を狙ったのであれば、身代金目的の誘拐というのが一番有り得る話かもしれない。だが、ヴィラの敷地内で、従業員用の制服を纏った琉斗を攫ったとなれば、状況は大きく変わってくる。  ――ハンコックでは、今回ヴィルフリートがこの島へ招かれるにあたって、島内に開発反対派組織なるものが存在することは調査済みだった。  もちろん、国が推し進める「原住民の暮らしと文化、及び自然環境を保全しながらの開発」は、そのスローガンの高尚さもあって、大半の住人に受け入れられている。彼らが一丸となって観光業に従事、或いは協力することで、島の生活水準は一気に上昇した。ハンコックが出資を決めたのも、いずれはこの理念が途上国の模範となるであろうことを予測したからに他ならない。  しかし、既得権益を守ろうと足掻く者は、どこにでも存在する。実際に島内では、開発に協力的であるという理由で、反対派の者から脅迫されたなどという話は珍しくもないらしい。  ヴィルフリートは、島の置かれた状況を見極め、ハンコックとしての今後の方針を決めるという意図を持って、この島へやって来たのだ。  ――嫌な予感がする。 「……ッ」  両腕を胸の前で組んだヴィルフリートは、右肩を壁に凭せ掛けた。わずかに癖のある真紅の長髪がさらりと揺れる。  琉斗の社用スマホは、庭園の東屋近くで発見された。もし誘拐であるならば、これを犯人達がわざわざ捨てていったのは、GPSで追跡されるのを警戒したためだろう。  ハンコックの情報網によると、琉斗が島外に連れ出された様子はない。しかし、島内には開発途上エリアも多く、捜索に少々手間取っているらしい。  ――あんな風に別れるのではなかった。  ヴィルフリートは小さく首を横に振って、きつく瞼を閉じた。  昨夜のことは、我ながら短絡的な行為だったとは思う。だが、進言は(これでも)すべて琉斗のためを思ってのことだった。立派な祖父、人生の師が身近に居るというのは、それだけで財産だ。楽器制作に興味があるなら、その道を進むのに何の障害があるだろう。初めて触れた楽器をあれほど愛おしむような目で奏でることが出来るなら、優れた職人になる素養は充分にあるはず。だから、それを関係ないとか、自分のことなんてどうでもいいのだろうなどと言われて、どうしようもなく腹が立った。  琉斗とヴィルフリートとの関係は、あくまで「講師」と「生徒」。元を正せば、「従業員」と「宿泊客」でしかない。これを懐に入れるにあたって、ヴィルフリートの部下(この場合は秘書官のクレイグ)が琉斗の身元を調べるのは当然のことだ。ハンコックの当主に不審人物を近付ける訳にはいかない。  けれど、その資料にヴィルフリートが目を通したのは、単純に「成海(なるみ)琉斗」という人物に興味があったからでもあった。これは彼の21年の人生で初めての経験であり、自分でもその行動の意図を認めることが出来ずに、感情を持て余しているところだったのである。  ――そんな琉斗を、ハンコックの問題に巻き込んでしまったのかもしれない。  ヴィルフリートの胸に、悔恨の嵐が吹き荒れる。  ああやはり、あんな風に置き去りにするのではなかった。精神的なつながりや約束事のない関係では、いくら無神経なことを言われたからといって、無体を働く理由にはならない。琉斗にはきっと、ヴィルフリートの蛮行の原因がわからず、恐ろしい想いさせてしまったはずだ。  ――ハンコックの当主ともあろう者が、ただ部下からの報告を待つしかないとは、情けない限りだ。  自嘲に整った顔を歪めたところで、コテージのインターフォンが鳴った。機敏な動作でクレイグが応じたのち、駆け込んできたのは、琉斗の叔父でもある支配人だ。 「ハンコック様、これを……!」 「!」  もたらされた報せに、ヴィルフリートは何かを決意したように唇を引き結んだ。

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