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第5話③

 後ろ手に手首を縛られたまま無理矢理引き立てられ、琉斗(りゅうと)は腕の痛みに顔をしかめた。  足元が覚束ないのは、自由が利かないせいだけではない。夕刻の海岸線で、エンジンを切った小型艇は、風に舞う木の葉のように、不安定に揺れている。  連れてこられたのは、整備されていない天然の砂浜だった。監禁されていた廃屋の宿泊施設からの距離と、辺り一帯の人気(ひとけ)の無さから恐らく、島民達の居住区ではないかと思われる。とすれば、あの女の言った「ヴィルフリートの敵」というのは、原住民なのだろうか。しかし、ハンコックを招いたのは島の名士であるというし、どうにも話が合わない。  そしてその女はというと、「野蛮なことに興味はない」と、同行を断った。琉斗の口から女の身元がヴィルフリートに伝われば、彼女もただでは済まない。ということは、ヴィルフリートが犯人達のどんな要求を呑もうと、このまま琉斗達を無事に帰すつもりはないのだ。逃げ出さないように拘束こそされているものの、目も口も塞がれていないのがその証拠だろう。返す返すも、彼の足手纏いになってしまったことが悔やまれる。  一つ良いことがあるとすれば、その後悔が大き過ぎて、命の危険への恐怖を若干感じにくくなっていることくらいだろうか。  海風に煽られながら、琉斗は下卑た談笑を続ける男達を盗み見た。比較的大きめの船内には、運転士と、琉斗をしっかりと拘束した男、監禁中の琉斗の元へ顔を出した男の、計3人が乗船している。話の内容から、最後の男がリーダー格であるのは間違いないようだ。他2人の顔には見覚えがない。とすれば、彼らはそれなりの人数を揃えた組織なのかもしれない。  そんなことを考えていると、波の音に混ざって、耳慣れたエンジン音が聞こえてきた。吊られるように視線を動かすと、突き出た海岸線の向こうから、ヴィラの専用バギーが姿を現す。やや荒々しいテクニックを披露する、赤い髪を靡かせたドライバーに、琉斗の胸はドキリと高鳴った。 「ようやくのお出ましだぜ」  リーダー格の男が笑うのに合わせて、小型艇が少しばかり浅瀬に近付く。波打ち際ギリギリに停車したバギーの主は、躊躇うことなく海水に浸かって、船の元までやって来た。犯人達の要求通り、一人で、丸腰で。 「……ヴィル……」  梯子(ラダー)に手を掛け、スマートな所作で乗り込んできたヴィルフリートは、表情こそ厳しいが、心なしか疲れた様子が伺える。迷惑をかけてしまっていることが心苦しくて、琉斗は眉根を引き絞った。彼に対する愛情を自覚してから初めての邂逅でもあるためか、胸が締めつけられるような切なさを感じる。  まったく怖じることなく乗組員を見回したヴィルフリートの視線が、琉斗を捉えた。一瞬安心したように緩んだ目元は、拘束されていることを確認して、厳しさを取り戻す。 「――彼は関係ない。速やかに解放しろ」 「それはアンタの出方次第だな」  威厳に満ちたヴィルフリートの一瞥を受けても、唯一座ったままのリーダー格の男に、怯む様子はない。こんな非合法な手段に訴え出るからには、それなりに腹は据わっているのだろう。  小型艇の右舷と左舷に分かれて、両者は睨み合った。  ややあって、ヴィルフリートが小さく溜め息をつく。 「――要求を聞こう」 「そうこなくちゃな」  無精髭のリーダーが笑みを深めるのを受けて、再びエンジンが掛かった。右回りに大きく旋回して、小型艇は砂浜を離れていく。 「島の開発から手を引け」  充分に海岸線から距離をとった辺りで、男が口を開いた。ヴィルフリートにとっては予想の範囲だったらしく、整った面立ちにこれといった変化はない。その様子から、琉斗にもおおよその事情は掴めた。  やはり男達は、島の開発に反対する過激派組織なのだ。滞在中の要人、もしくはその関係者を誘拐し、身柄と引き換えに計画の断念を要求するのが目的なのだろう。どこから見られていたのかはわからないが、琉斗をヴィルフリート・ハンコックの関係者――おそらくは同性の恋人と踏んで拉致し、交渉の材料にしようと考えたという訳だ。  だが、そもそもなぜ? 琉斗の疑問を代弁するかのように、ヴィルフリートが「なぜだ」と静かに問い掛ける。 「我々は君達の伝統を重んじ、共存しながら発展していけるよう、手段を講じている。そうでなくとも人類史に変化は常だ。無理に拒むこともないだろう」  政府が開発を決定し、これを受け入れた島は現状、豊かになっている。当初環境破壊を憂いていた人々も、今では大多数が賛成派に変わったという話だった。だからこそ、今後の共栄のために、ハンコックの支持を得ようとしているのではなかったか。  ヴィルフリートの主張に、男達は一様に底意地の悪い笑みを浮かべる。琉斗の腕を掴んだままの男が、品位のかけらもない声で喚くように言った。 「アンタら海外資本に間に入られちゃ、困ることもあるんだよ」 「既得権益(きとくけんえき)を失いたくないという訳か」  ヴィルフリートもまた、嘲笑を浮かべて見せた。小悪党共の考えることは似たりよったりだと考えているのは明白だ。琉斗だって、これが映画かドラマであれば、「やっぱりね」と肩を竦めでもしただろう。だがこれは、紛うことなき現実なのだ。琉斗はただ、固唾を呑んで見守るしかない。 「まあそんなところだ」  悪びれもせず、リーダー格の男が肩を揺らした。この度胸だけは大したものだ。彼の落ち着きが仲間に影響を与えているのは間違いない。事の是非はともかく、首領格としての器は申し分ないと言える。  他は相手にしても仕方がないとばかりに、ヴィルフリートは、どっかりと腰を落ち着けたままの男に向かって言葉を継いだ。 「ハンコックが手を引いたとしても、別の海外資本が乗り出してくるだけだと思うが」 「だからアンタ達は見せしめなんだよ」  ニヤリと口の端を歪めて笑う男の様子に、ヴィルフリートがピクリと眉を動かした。確かに、妨害を恐れたハンコックが手を引いたとなれば、他の企業もこれに追随する可能性は高い。関係者に危険が及ぶとなれば、今後の出資希望者も格段に減るだろう。  ヴィルフリートの弱みを一つ握ったことで、彼らはこれ以上ない最高のカードを手に入れたのだ。 「……わかった」 「! ダメだ!」  ヴィルフリートが小さく頷いたのを見て、たまらず琉斗は声を上げた。自分のせいでとんでもないことになってしまった。窮地に立たされる彼の姿を、これ以上は見ていられない。 「やめろ、ヴィルフリート……!」 「うるせぇ、静かにしてろ!」  翻意を促そうと必死でもがいた琉斗は、横に張り付いた男にピシャリと頬をはたかれた。長時間縛られている無理な体勢もあってか、よろめいてどさりと倒れ込む。 「リュート!」  咄嗟に駆け寄ろうとしたヴィルフリートは、しかしその場で動きを止めた。「おっと!」とおどけた口調で、リーダー格の男が銃口を突き付けてきたからだ。  尻餅をついた体勢で、琉斗は息を呑んだ。そんな物まで用意していたとは、なかなかに侮れない連中らしい。  琉斗とヴィルフリートの接触を禁じた状態で、男は本題はここからだとばかりに、瞳に剣呑な色を浮かべた。 「気が変わらねえうちに、ジジイに連絡入れといてくれや」  顎をしゃくるような仕草で促すと、琉斗をはたいた男が心得た様子で、ヴィルフリートにスマートフォンを手渡す。ジジイとは、と疑問に感じる間もなく、相手が通話に応じた。ヴィルフリートが重たい口を開いて会話を始めたことから、島の開発責任者、原住民の長老格の人物であろうことがわかる。  ヴィルフリートからの契約辞退の申し出に、スピーカーを通して、慌てたような反応が返ってきた。締結寸前の話を一方的に反故(ほご)にするのだから、揉めるのが当然だろう。違約金こそ発生しないが、少なくとも信用は失う。それがビジネスの世界でどれほどの痛手になるのか、琉斗には計り知れない。  ヴィルフリートに弁解の余地を与えず、男達は、用は済んだとばかりにスマートフォンを奪い取り、無理矢理会話を打ち切った。  本来巻き込まれただけに過ぎないはずの琉斗は、自分が不用意に捕まったことで生じたヴィルフリートの損害を思い、絶望的な気分に陥る。 「交渉成立だな」  更に追い討ちを掛けるように、リーダー格の男が、琉斗に照準を切り替えた。黒光りする銃口に、思わず背筋が凍り付く。同時にヴィルフリートが声を荒げた。 「何を……っ、やめろ!」 「悪いな。こっちも自分の身は可愛いんでね」  悪いとは微塵も思っていない様子で肩を竦めて見せながら、男は笑った。 「アンタをバラしてハンコックを敵に回すのは、さすがに分が悪い。だが、コイツをここでやっちまえば、アンタにも俺達の本気がわかるってもんだ」  それは明白な脅迫だった。世界的規模の要人であるヴィルフリートの命を奪うのは、さすがに事が大きくなり過ぎる。その点一般人でしかない琉斗ならば、見せしめにはもってこいだ。ここで琉斗を殺しておけば、無事に帰してやったヴィルフリートも恐れをなし、今後自分達に手を出そうとは思うまい、という了見なのだろう。  最悪の結論に青褪める琉斗に向かって、男はチラリと楽しげな視線を向けてきた。 「――それに、コイツには喋られちゃマズイこともあるんでね」 「……」  それはきっと、あの女の身元のことだろう。今のところ、事件の背後に彼女の存在があることを、琉斗以外は誰も知らない。ヴィルフリートは彼女を「島の要人から押し付けられた遠縁の娘」だと言っていた。琉斗の証言があれば、身元を辿ることは容易いはずだ。  事態を面白がる風の男は、取り敢えず自分の女の安全程度は守ってやるつもりでいるらしい。  安全装置の外される音が、やけに大きく聞こえた。  恐怖から目を背けるように、琉斗は両目を硬く閉じる。 「じゃあ、な……ッ!」  男の声が不自然に途切れたのは、引き金を引く直前、ヴィルフリートが男に掴みかかったからだった。  驚いた男は身を庇うように、咄嗟にヴィルフリートへと銃口を戻す。  ドン、と重たい音が響いて、琉斗はハッと両目を見開いた。  その瞳に映ったのは、ぐらりと傾くヴィルフリートの、逞しくしなやかな肉体だ。  赤い髪を踊らせながら、ヴィルフリートはそのまま、ざぶんと音を立てて海中へと落下していく。 「ヴィルフリート!!」  琉斗の震える声が、虚しく辺りにこだました。

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