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第6話③
一斉摘発を受け、開発反対の過激派住民組織は壊滅に追い込まれた。
逮捕者の中には、誘拐事件の当日、夜会に出演した楽団のチェリストも名を連ねており、実行犯達はこの手引きによってヴィラに侵入したのだという。
原住民の代表者達から正式な謝罪を受けたハンコックはこれを受け入れ、晴れて両者の業務提携は成立した。
誘拐事件に関与した「島の要人の遠縁の娘」の処分は、厳重注意に留まった。立場を考慮されたためとのことだが、どうやら元々あまり素行は良くなかったらしく、これを機会に一族の厳重な監視下に置かれることになったそうだ。今後は危険な男達と交流を深める機会もなくなることだろう。
こうして、この国におけるヴィルフリートの業務は、すべて完了したのだった。
●
南国の強い陽射しが降り注いでいる。
時折吹き抜ける風が、焼けた肌に心地良い。
原色の鮮やかな花々は、変わらず爛漫と咲き誇っている。
ヴィルフリートのチェックアウトの日がやって来た。
彼のコテージの専属バトラーとして、それ以外のプライベートな時間は彼の恋人として過ごした琉斗 の最後の仕事は、出立のお見送りだ。
メインロッジの正面に設置されたヴィラ専用の船着場で、ふたりは見詰め合った。
最上級のVIPといえど、ヴィルフリート本人の意向もあって、大々的な送別はない。気を利かせた有能な秘書官は、一足先にクルーザーに乗り込んでいる。
寄せては返す波の音だけが響く中、ヴィルフリートは琉斗の頬にそっと触れた。
「――君が、顧客を満足させられるような楽器が作れるようになった時は、私専属の職人として迎えてやっても良い」
愛おしむような手付きとは裏腹に、発言はどこまでも俺様だ。夜が明けるまで愛し合った疲労など、まったく感じさせないのも小憎らしい。
だが。
「いいな、それ」
強がりなヴィルフリートの精一杯の『再会の約束』に気付いて、琉斗は素直に笑った。自分の方が大人なのだし、最後の時間を小競り合いに費やすのは本意ではない。
顎に手が掛けられ、整った顔が近付いてきた。お別れのキスだ。何となく胸がいっぱいになってきて、琉斗はしがみつくようにして逞しい身体を掻き抱く。力強く抱き締め返してくれる腕とも、これでサヨナラだ。
名残惜しくはあるけれど、多忙なヴィルフリートをいつまでも引き留めて置くわけにはいかないし、出来るとも思えない。彼の社会的立場は、あまりにも大き過ぎる。
しかし、だからこそ、離れていても彼の話題を耳にすることはあるだろう。
そして、彼の情報網を以てすれば、世界中どこにいたって、琉斗を見付けることなんて容易いはずだ。
「――では、また」
「ああ。……元気でな」
もう一度、触れるだけの口付けを交わして、ふたりは身体を離した。
長い赤髪とジャケットの裾を翻し、ヴィルフリートは悠然とクルーザーに乗り込んでいく。
――お互いに軽く手を挙げてみせる、それが最後だった。
「……よし!」
ひと夏の恋人を外界に送り届けるクルーザーが水平線の向こうに消えて行くのを見送って、琉斗は気持ちを切り替えるように、大きく伸びをした。
これからは忙しくなるだろう。年下の男に感化されたというのは少し癪だが、次に彼と再会する時、恥ずかしくない自分でいたいというのが、今の琉斗の正直な気持ちだった。
まずは、専門学校に入るのが得策だろう。楽器店への就職というのもなくはないが、文字通り手に職もない状態ではさすがに厳しい。いや、それよりも、父親を説得するのが先だろうか。
琉斗は思わず、小さく笑みを浮かべた。面倒だと逃げてきたすべてが、不思議と今は些細なことのように思える。やれることは何でもやってやろうという、まるで少年のような気概に満ち溢れているのだ。
これこそが恋愛のなせる業だろうか、それともヴィルフリート・ハンコックの影響力か。
――まぁ、どっちでもいいか。
『今どこ?』
ラインで叔父の所在を確認して、琉斗はメインロッジの支配人室へ向かった。叔父と、共同経営者であるその友人達が、笑顔で迎えてくれる。気難しいVIPをうまくあしらったことと、何より危険に巻き込まれながらも無事生還したことを、今更のように喜んでくれているのだ。
慰労と賞賛を思う存分浴びてから、琉斗は改めて、首脳陣に向き直る。
琉斗の中での、時は満ちた。
南の島でのバカンスは、もう終わりにしなければならない。
けれど、琉斗はここで、最高で最強のロマンスを経験した。
それはこれから先の人生を、きっと豊かにしてくれるのに違いないから。
「叔父さん。俺、そろそろ日本に帰るよ」
晴れやかな気持ちで、琉斗はいたずらっぽく微笑んだ。
END
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